8月に入ってすぐ、花はもう一度、倉内家を訪問することとなった。
フルールに会いに、というのも嘘ではないが、今度はもうひとつ別の用事があったのだ。
倉内楓が、わざわざ迎えに来てくれるという紳士節を受けた花が、彼の家の玄関をくぐった瞬間。
「イラッシャーイ!」
どこぞの関西のお笑い大御所が現れたかのような言葉と共に、イキのいいカワイコちゃんが飛び出して来たのだ。
倉内より薄いブラウンの髪をポニーテールにし、明るい緑の目をした綺麗な少女──そして何故か、夏の白いセーラー服に身を包んでいた。
「あー……花さん、そ、騒々しくてごめん。従妹のエリーズ」
困った顔で、倉内が彼女を紹介してくれる。夏休みに遊びに来ることになっていた従兄妹二人の内の、妹に当たる人だ。兄の方は、いま日本国内を旅行中らしい。
何でも彼女は、日本のカルチャーやファッションが大好きで、女子高生の制服のお古などを、倉内母に見つけてもらってはカナダへ密輸を頼んでいるという話だった。
「は、初めまして、斉藤花です」
カタコトながらに日本語は分かるということなので、彼女は無理せず素直に日本語で挨拶をした。
「オー、アナ! エリーズネ、ヨロシクデス!」
あ、穴?
微妙に自分の名前が改変されているのに気づいて、花はちょっと戸惑った。
「エリーズ……アナじゃないよ、ハナだよ、ハナ。ただいま、フルール」
倉内は、玄関のエリーズの足元を潜り抜け、駆けてきた白い猫を両手を広げて抱きとめながら、従妹の発音を正す。
『さん』抜きで呼ばれるのに慣れていなくて、花はそこでちょっと照れてしまった。
「ア……ァ……ンー……ハァァナァ?」
ブラウンの眉をくしゃくしゃに寄せて、苦しそうに喉から音を搾り出すエリーズ。
「呼びにくいなら、斉藤でいいですよ。サイトー」
かわいそうになった花は、名字の方を提案してみた。
「オー、サイトー! サイトーアジメ、スキ、カコイイ」
彼女の名字は、お気に召したようだ。エリーズが、斉藤という名の誰かをアピールするが、聞き覚えのない人だった。
「エリーズ……アジメじゃない、ハジメ」
「オゥ……カエデウルサイ」
そこでようやく花は、彼女が言っているのが誰であるか分かった。一体どこから知識を仕入れて来るのか、新撰組の人だったのだ。
更に、発音を正そうとする倉内と、そんな彼を少し鬱陶しく思っているらしいエリーズの温度差がおかしくて、つい花は笑ってしまった。
「ご、ごめ……花さん。暑いのに、こんなところで……あ、あがって。エリーズ……どいて」
「アガル……アガル……! ニカイ、カエデ部屋行ク?」
「エリーズ、あがる、は玄関のこの高さでも使うの。階段から上に行くんじゃないよ」
オオゥと、エリーズは自分の理解が間違っていたことに気づいたようで、しょんぼりした。
お、おかしい、楓先輩がおかしい。
笑い転げるわけにはいかないが、花は顔が緩みっぱなしになりそうなのを、こらえられなかった。
あの倉内が、従妹とはいえ女の子に、一切どもる様子もなく、それどころか自分から言葉を畳み掛けるのだ。そんなレアなシーンが見られて、すごく得した気分だった。
聞けば、毎年のように夏休みには日本に来ているらしいし、年末には逆によくカナダに里帰りしているため、親戚仲はすこぶる良いという。そのおかげか、対人恐怖症は、彼女には発生しないようだ。
確かにエリーズは、彼の綺麗な顔に釣られて突撃するタイプには見えなかった。別の意味でのパワーは有り余っているようだったが。
そんな倉内の従妹である彼女は、日本の女の子の友達が欲しい、花の十五歳。9月から10年生で、学年の感覚としては花と同じということだ。
彼女は、エリーズの日本の女友達になってくれないかと倉内に頼まれて、今日お邪魔することになったのである。
強引な白い手に、涼しい居間に引っ張り込まれた。今日は倉内母は出かけているようで、倉内自身が冷蔵庫に飲み物を取りに行ってくれている。足元には、勿論可愛い彼のお姫様がくっついていた。
「サイトーサイトー、日本語オシエテクダサイ」
そんな彼の背中を、手伝った方がいいかと見守っていたら、エリーズが彼女をソファに引きずり下ろすように座らせて、真横から笑顔で迫ってくる。
同じ年だというのに、胸元のボリュームの違いは、人種の違いということにしておこうと花は思った。
「────ハ、何ト言イマスカ?」
聞かれた言葉は、難しいものではなかった。
ごくごくありふれた英文で、聞き取れなかったわけでもない。
「んー『私はあなたを愛してます』……だけど、あんまり日本では言わないかな」
すごく仰々しい言葉で、花は口にしながらも、まったく恥ずかしくない。
「ウェー……愛シテル人、ナニ言ウデスカ?」
すごく困った眉で、エリーズに問いかけられる。このままでは、日本人は愛情を相手に伝えない冷たい人だと勘違いされてしまいそうだった。
慌てて花は、代替の言葉を探してつかみ出した。
ただ、それを口にするのは、さっきと違ってとても恥ずかしい。思わず、はにかみながら、彼女はこう言った。
「あ、『あなたが好きです』……かな」
グワーーン!!
花の言葉が終わるか終わらないかの隙間に、金属質の大きな音が響き渡った。
何事かと、花がビクッとキッチンへ視線を投げると、フルールはもっと驚いたようで、思い切り飛びのいていた。
フローリングの床に落ちていたのは、金属のトレイ。
ああ、あれが落ちたんなら変な音がするわと、花は深く納得した。
トレイの上に、割れ物が乗っていなかったのが不幸中の幸いである。
そして、トレイを落とした当の本人の倉内楓は。
「エ、エリーズ!」
大きく目をむいて、従妹を責める口調で名を呼ぶ。
「アーアー、キコエナーイ」
何か心当たりがあるのか、彼女は自分の両方の耳を手で押さえて、可愛らしくも高度な日本のしらばっくれテクを炸裂させた。一体、どこからそんな技を習得するのかと、花は変なところを感心してしまった。
「あんまり花さんに変なこと言うと、もう会わせないからな」
「日本語ムズカシイ、カエデ何言ッテル分カラナイ」
両手で空を持ち上げ、肩を大袈裟にすくめるエリーズは、明らかに倉内の言葉を右から左に聞き流している。
相当ヒアリング能力は、高いのではないかと、花が疑う瞬間だった。
そんな人が、『I love you』の日本語の意味を知らないとは考えにくい。倉内の様子を見る限りで言えば、きっと花をからかって、恥ずかしい言葉を言わせようとしたのだろう。
「エリーズさん、エリーズさん」
だから、花も彼女がしたのと同じように、彼女を呼んでみた。
「ナニナニ? エリーズデイイ」
「じゃあ、エリーズ。エリーズは、楓先輩のどこが好き?」
恥ずかしいからかいには、恥ずかしいからかい返しを。同じ年ということもあって、ちょっと気軽な感じで、花はそんな言葉を振ってみた。
彼の顔ではないところを好きな人に、それを聞いてみたかったのだ。
「は、花さん!」
再びお盆を落としかけた倉内は、慌ててそれを空中で確保した。ナイスキャッチだ。
「アー……カエデ? ワタシ? シャイ、小サイコトウルサイ、好キジャナイ」
こらこらああ。
花は、思わず心の中で激しく突っ込みを入れた。好きなところを聞いたのに、好きじゃないところを答えてどうする、と。
「ンン……デモ、シンセツ。髪ヒッパルシナイ、『バーカ』イウシナイ。イイ人」
基準のズレが物凄いなと、花は追加された言葉にも、やっぱり突っ込みたくはなった。
けれど、親切でいい人という表現を聞くことが出来たのは、花も嬉しかった。確かに、彼女も倉内楓のことはそう思っている。
さすがは向こうの人だ。本人の目の前だろうが、はっきりとこういうことを言葉にしてくれる。その開放的な性格は、少し羨ましく思った。
「サイトー、カエデ、ドコ好キ?」
ぶふっ。
彼女の答えに、上機嫌になっていた花は、まさかそこの部分を、エリーズにやりかえされるとは思ってもいなくて、吹き出してしまった。慌てて口を押さえる。幸い、何もそこから漏れてはいないようだ。
我ながら、見事な墓穴を掘り当てたものだと、花は軽い眩暈を覚える。しかし、エリーズは、目をキラキラさせながら答えを待っている。彼女には答えさせて、自分は答えないというのは失礼だろう。
親切でいい人──オウム返しのように言うのは簡単だ。あなたと同じ答えです、と。
だが、花の心の中の倉内楓という人を、その言葉だけで表すだけでは、少し物足りない気がした。
そして、思い出す。
本人の口から、直接聞いたわけではない、あの言葉を。
「んー……そこにいるフルールを、幸せに出来る人、なところかな」
小さな命と向き合うことで、生き方を変えようと努力する人がいる。そんなかけがえのない瞬間に立ち会えたことを、花は多分一生忘れることはないだろう。
それを一文で表そうとすると、彼が倉内父に言った、『あの猫を幸せに出来る人になりたい』という言葉になるのだ。
「??」
エリーズは首を傾げていた。きっと、良く分からなかったに違いない。
冷蔵庫の前の倉内は。
金属のトレイを抱えたまま──固まっていた。
面と向かって、自分の話題を出されるのは、やっぱり恥ずかしいことだろう。花なら悶え死ぬが、倉内という男は固まるようだ。
そんな彼に、すみませんの意味を込めて、小さく頭を下げると。
ようやく、彼の時間は動き出した。
※
「あ、ありがとう」
花を送り届けた斉藤家の玄関で、倉内が改まって彼女に感謝の言葉を口にする。
「お安い御用ですよ。エリーズさん、明るい人なので私も楽しかったです」
「あ……そうじゃ……うん、まあ……と、とにかく、ありがとう」
もごもごと、出しかけた言葉を引っ込めたり、また感謝の言葉を引き出したり。
倉内をダシにエリーズといろいろ話をしたので、きっと彼も今日は落ち着かなかったに違いない。
「ま、また誘う……」
「はい、また誘って下さい」
フルールだけではなく、いまはエリーズもいる。夏休みの間に、花は再びお邪魔することになりそうだ。
「ありがとう、花さん」
いつものように、彼が最後の感謝にタックを寄せて、そんな言葉のリボンで結ぶ。
そういえば、と花は思った。
そういえば、彼にこの言葉をもらってばかりだった、と。
エリーズと話をしたおかげもあるのだろう。花は、倉内の言葉に、ちゃんと言葉で返したい気持ちが生まれていた。
「私も楽しかったです。ありがとうございます、楓先輩」
投げられる感謝の言葉は、受け取るだけじゃ駄目なのだと知った花は、少しだけ自分が大人になった気がする。
びっくりして固まった倉内の顔を見て、えへへと照れくさく彼女は笑ったのだった。
『今日は、間抜けにもトレイを落として、僕の可愛いフルールをひどく驚かせてしまった。ごめんね、フルール。今日は本当に何て日だったんだ。ああ、どうしよう、胸が痛い』
倉内楓の今日のブログは、可愛いフルールへの懺悔でいっぱいのようだった。
彼は、今頃フルールにどんな顔をして謝っているのだろうと想像して、思わずブログ画面を見つめて、にやけてしまった花だった。
『終』
フルールに会いに、というのも嘘ではないが、今度はもうひとつ別の用事があったのだ。
倉内楓が、わざわざ迎えに来てくれるという紳士節を受けた花が、彼の家の玄関をくぐった瞬間。
「イラッシャーイ!」
どこぞの関西のお笑い大御所が現れたかのような言葉と共に、イキのいいカワイコちゃんが飛び出して来たのだ。
倉内より薄いブラウンの髪をポニーテールにし、明るい緑の目をした綺麗な少女──そして何故か、夏の白いセーラー服に身を包んでいた。
「あー……花さん、そ、騒々しくてごめん。従妹のエリーズ」
困った顔で、倉内が彼女を紹介してくれる。夏休みに遊びに来ることになっていた従兄妹二人の内の、妹に当たる人だ。兄の方は、いま日本国内を旅行中らしい。
何でも彼女は、日本のカルチャーやファッションが大好きで、女子高生の制服のお古などを、倉内母に見つけてもらってはカナダへ密輸を頼んでいるという話だった。
「は、初めまして、斉藤花です」
カタコトながらに日本語は分かるということなので、彼女は無理せず素直に日本語で挨拶をした。
「オー、アナ! エリーズネ、ヨロシクデス!」
あ、穴?
微妙に自分の名前が改変されているのに気づいて、花はちょっと戸惑った。
「エリーズ……アナじゃないよ、ハナだよ、ハナ。ただいま、フルール」
倉内は、玄関のエリーズの足元を潜り抜け、駆けてきた白い猫を両手を広げて抱きとめながら、従妹の発音を正す。
『さん』抜きで呼ばれるのに慣れていなくて、花はそこでちょっと照れてしまった。
「ア……ァ……ンー……ハァァナァ?」
ブラウンの眉をくしゃくしゃに寄せて、苦しそうに喉から音を搾り出すエリーズ。
「呼びにくいなら、斉藤でいいですよ。サイトー」
かわいそうになった花は、名字の方を提案してみた。
「オー、サイトー! サイトーアジメ、スキ、カコイイ」
彼女の名字は、お気に召したようだ。エリーズが、斉藤という名の誰かをアピールするが、聞き覚えのない人だった。
「エリーズ……アジメじゃない、ハジメ」
「オゥ……カエデウルサイ」
そこでようやく花は、彼女が言っているのが誰であるか分かった。一体どこから知識を仕入れて来るのか、新撰組の人だったのだ。
更に、発音を正そうとする倉内と、そんな彼を少し鬱陶しく思っているらしいエリーズの温度差がおかしくて、つい花は笑ってしまった。
「ご、ごめ……花さん。暑いのに、こんなところで……あ、あがって。エリーズ……どいて」
「アガル……アガル……! ニカイ、カエデ部屋行ク?」
「エリーズ、あがる、は玄関のこの高さでも使うの。階段から上に行くんじゃないよ」
オオゥと、エリーズは自分の理解が間違っていたことに気づいたようで、しょんぼりした。
お、おかしい、楓先輩がおかしい。
笑い転げるわけにはいかないが、花は顔が緩みっぱなしになりそうなのを、こらえられなかった。
あの倉内が、従妹とはいえ女の子に、一切どもる様子もなく、それどころか自分から言葉を畳み掛けるのだ。そんなレアなシーンが見られて、すごく得した気分だった。
聞けば、毎年のように夏休みには日本に来ているらしいし、年末には逆によくカナダに里帰りしているため、親戚仲はすこぶる良いという。そのおかげか、対人恐怖症は、彼女には発生しないようだ。
確かにエリーズは、彼の綺麗な顔に釣られて突撃するタイプには見えなかった。別の意味でのパワーは有り余っているようだったが。
そんな倉内の従妹である彼女は、日本の女の子の友達が欲しい、花の十五歳。9月から10年生で、学年の感覚としては花と同じということだ。
彼女は、エリーズの日本の女友達になってくれないかと倉内に頼まれて、今日お邪魔することになったのである。
強引な白い手に、涼しい居間に引っ張り込まれた。今日は倉内母は出かけているようで、倉内自身が冷蔵庫に飲み物を取りに行ってくれている。足元には、勿論可愛い彼のお姫様がくっついていた。
「サイトーサイトー、日本語オシエテクダサイ」
そんな彼の背中を、手伝った方がいいかと見守っていたら、エリーズが彼女をソファに引きずり下ろすように座らせて、真横から笑顔で迫ってくる。
同じ年だというのに、胸元のボリュームの違いは、人種の違いということにしておこうと花は思った。
「────ハ、何ト言イマスカ?」
聞かれた言葉は、難しいものではなかった。
ごくごくありふれた英文で、聞き取れなかったわけでもない。
「んー『私はあなたを愛してます』……だけど、あんまり日本では言わないかな」
すごく仰々しい言葉で、花は口にしながらも、まったく恥ずかしくない。
「ウェー……愛シテル人、ナニ言ウデスカ?」
すごく困った眉で、エリーズに問いかけられる。このままでは、日本人は愛情を相手に伝えない冷たい人だと勘違いされてしまいそうだった。
慌てて花は、代替の言葉を探してつかみ出した。
ただ、それを口にするのは、さっきと違ってとても恥ずかしい。思わず、はにかみながら、彼女はこう言った。
「あ、『あなたが好きです』……かな」
グワーーン!!
花の言葉が終わるか終わらないかの隙間に、金属質の大きな音が響き渡った。
何事かと、花がビクッとキッチンへ視線を投げると、フルールはもっと驚いたようで、思い切り飛びのいていた。
フローリングの床に落ちていたのは、金属のトレイ。
ああ、あれが落ちたんなら変な音がするわと、花は深く納得した。
トレイの上に、割れ物が乗っていなかったのが不幸中の幸いである。
そして、トレイを落とした当の本人の倉内楓は。
「エ、エリーズ!」
大きく目をむいて、従妹を責める口調で名を呼ぶ。
「アーアー、キコエナーイ」
何か心当たりがあるのか、彼女は自分の両方の耳を手で押さえて、可愛らしくも高度な日本のしらばっくれテクを炸裂させた。一体、どこからそんな技を習得するのかと、花は変なところを感心してしまった。
「あんまり花さんに変なこと言うと、もう会わせないからな」
「日本語ムズカシイ、カエデ何言ッテル分カラナイ」
両手で空を持ち上げ、肩を大袈裟にすくめるエリーズは、明らかに倉内の言葉を右から左に聞き流している。
相当ヒアリング能力は、高いのではないかと、花が疑う瞬間だった。
そんな人が、『I love you』の日本語の意味を知らないとは考えにくい。倉内の様子を見る限りで言えば、きっと花をからかって、恥ずかしい言葉を言わせようとしたのだろう。
「エリーズさん、エリーズさん」
だから、花も彼女がしたのと同じように、彼女を呼んでみた。
「ナニナニ? エリーズデイイ」
「じゃあ、エリーズ。エリーズは、楓先輩のどこが好き?」
恥ずかしいからかいには、恥ずかしいからかい返しを。同じ年ということもあって、ちょっと気軽な感じで、花はそんな言葉を振ってみた。
彼の顔ではないところを好きな人に、それを聞いてみたかったのだ。
「は、花さん!」
再びお盆を落としかけた倉内は、慌ててそれを空中で確保した。ナイスキャッチだ。
「アー……カエデ? ワタシ? シャイ、小サイコトウルサイ、好キジャナイ」
こらこらああ。
花は、思わず心の中で激しく突っ込みを入れた。好きなところを聞いたのに、好きじゃないところを答えてどうする、と。
「ンン……デモ、シンセツ。髪ヒッパルシナイ、『バーカ』イウシナイ。イイ人」
基準のズレが物凄いなと、花は追加された言葉にも、やっぱり突っ込みたくはなった。
けれど、親切でいい人という表現を聞くことが出来たのは、花も嬉しかった。確かに、彼女も倉内楓のことはそう思っている。
さすがは向こうの人だ。本人の目の前だろうが、はっきりとこういうことを言葉にしてくれる。その開放的な性格は、少し羨ましく思った。
「サイトー、カエデ、ドコ好キ?」
ぶふっ。
彼女の答えに、上機嫌になっていた花は、まさかそこの部分を、エリーズにやりかえされるとは思ってもいなくて、吹き出してしまった。慌てて口を押さえる。幸い、何もそこから漏れてはいないようだ。
我ながら、見事な墓穴を掘り当てたものだと、花は軽い眩暈を覚える。しかし、エリーズは、目をキラキラさせながら答えを待っている。彼女には答えさせて、自分は答えないというのは失礼だろう。
親切でいい人──オウム返しのように言うのは簡単だ。あなたと同じ答えです、と。
だが、花の心の中の倉内楓という人を、その言葉だけで表すだけでは、少し物足りない気がした。
そして、思い出す。
本人の口から、直接聞いたわけではない、あの言葉を。
「んー……そこにいるフルールを、幸せに出来る人、なところかな」
小さな命と向き合うことで、生き方を変えようと努力する人がいる。そんなかけがえのない瞬間に立ち会えたことを、花は多分一生忘れることはないだろう。
それを一文で表そうとすると、彼が倉内父に言った、『あの猫を幸せに出来る人になりたい』という言葉になるのだ。
「??」
エリーズは首を傾げていた。きっと、良く分からなかったに違いない。
冷蔵庫の前の倉内は。
金属のトレイを抱えたまま──固まっていた。
面と向かって、自分の話題を出されるのは、やっぱり恥ずかしいことだろう。花なら悶え死ぬが、倉内という男は固まるようだ。
そんな彼に、すみませんの意味を込めて、小さく頭を下げると。
ようやく、彼の時間は動き出した。
※
「あ、ありがとう」
花を送り届けた斉藤家の玄関で、倉内が改まって彼女に感謝の言葉を口にする。
「お安い御用ですよ。エリーズさん、明るい人なので私も楽しかったです」
「あ……そうじゃ……うん、まあ……と、とにかく、ありがとう」
もごもごと、出しかけた言葉を引っ込めたり、また感謝の言葉を引き出したり。
倉内をダシにエリーズといろいろ話をしたので、きっと彼も今日は落ち着かなかったに違いない。
「ま、また誘う……」
「はい、また誘って下さい」
フルールだけではなく、いまはエリーズもいる。夏休みの間に、花は再びお邪魔することになりそうだ。
「ありがとう、花さん」
いつものように、彼が最後の感謝にタックを寄せて、そんな言葉のリボンで結ぶ。
そういえば、と花は思った。
そういえば、彼にこの言葉をもらってばかりだった、と。
エリーズと話をしたおかげもあるのだろう。花は、倉内の言葉に、ちゃんと言葉で返したい気持ちが生まれていた。
「私も楽しかったです。ありがとうございます、楓先輩」
投げられる感謝の言葉は、受け取るだけじゃ駄目なのだと知った花は、少しだけ自分が大人になった気がする。
びっくりして固まった倉内の顔を見て、えへへと照れくさく彼女は笑ったのだった。
『今日は、間抜けにもトレイを落として、僕の可愛いフルールをひどく驚かせてしまった。ごめんね、フルール。今日は本当に何て日だったんだ。ああ、どうしよう、胸が痛い』
倉内楓の今日のブログは、可愛いフルールへの懺悔でいっぱいのようだった。
彼は、今頃フルールにどんな顔をして謝っているのだろうと想像して、思わずブログ画面を見つめて、にやけてしまった花だった。
『終』