どこに行きたいか、そう問われても困る。
桜には全く宛がない。
強いて言うなら


「家に帰りたい。」


正直心から思った。
こんな得体の知れない所から早く立ち去りたい。
そしてこの少女、チェシャ猫と言ったか。
とにかくこの女から早く離れたい。


「そうか。
帰してやりたいが私にはそんな力はないんだ。
……悪いな。」


「……いや、別に…。」


あまり期待はしていなかった。






「でも帰る方法を知っていそうな奴のところに連れていくことは出来る。」





「本当か!?」


「……ああ。」


少し、チェシャ猫の表情が曇った気がした。
しかしそんなこと、桜には関係なかった。


「ならさっさと行こう。
別にここにいる理由はないんだろ?」


「…そうだな。」


「?」


「いや、なんでもない。
こっちだ。
私に付いてこい。」


「……あのさ。」


今度は桜が急に立ち止まる。


「なんだ?」






「一応、俺も自己紹介していいか?」






「……は?」


チェシャ猫はきょとんとして桜を見つめる。


「…俺、お前のこと信用したわけじゃない。
アリスとか意味わかんねぇし。
でも、少しでも一緒に行動するんだからお互い表面上だけでも信頼しないといけないだろ?
だから俺だけ自己紹介しないのは不公平だと思うんだ。
……つっても特別言うことないけどな。」


「……ふっ。」


チェシャ猫はくすりと笑う。


「……なんだよ。」


「いや、なんでもない。
自己紹介してくれ。」


「…うん。
俺、葉月桜。
高校1年の16歳だ。」


「…そうか。
よろしくな。」


チェシャ猫は「さあ行くぞ、アリス。」と桜に背中を向け、桜のことをやはりアリスと呼んだ。


「なあ、何でアリスなんだよ?
葉月とか桜とか、呼び方あるだろ?」


「……悪いな。
でも出来ないんだ。
だから少しの間、我慢してくれ。」


チェシャ猫は背中を向けたままだった。
そしてこれ以上は聞きづらかったので、桜はアリスと呼ばれることを了解した。


そして桜はチェシャ猫に続いて歩いた。










桜とチェシャ猫は何時間歩いただろうか。
あんなに明るかった空がいつしか月夜に変わっていた。
しかし月の光に反射して、桜の花自体が光っていたために、前が見えなくなることはなかった。
そしてチェシャ猫は涼しい顔をしていたが、桜はヘロヘロになっていた。


「……ま…待って……」


「…もうバテたのか?
このくらいでだらしない。
体力無さすぎだ。」


「なっ……何時間歩いてると思ってんだ!
しかもこっちは部活終わりで飯も食わずに作業してたんだからな!!」


桜のお腹が空腹を知らせる音を出す。
しかしそれは初めてではない。
すでに何回も鳴っている。


「そうか、それは悪かったな。
でも私はお前を迎えるに行くためにこの道を往復している。」


「……そうか…。」


桜はそう言うしかなかった。


「もう少しだ。
ほら、あそこに明かりが見えるだろ?」


「…………………あ!」


「私たちが先ず目指すのはあそこだ。
まあ、拠点、みたいなものだな。」


「拠点?」


「ああ。」


桜は気になったが、何となくチェシャ猫にはいろいろなことを聞きづらかった。
もしかしたらチェシャ猫もあまりよく知らないで、あの拠点にボスみたいな奴がいるのかもしれない、そう思った。


「………で、あそこまではどのくらいかかるんだ?」


「まあ…1時間くらいじゃないか?」


「おお…結構かかるな…。」


「休憩するか?」


「……いや、休憩したら立てなくなりそうだからいい。」


「そうか。
じゃあもう少しだ。」


そして二人は更に歩き続けた。


約1時間後、桜とチェシャ猫は目的の家に到着した。


「つ、疲れた……。」


「お疲れさん。」


ぜえぜえと息を荒げる桜。
チェシャ猫はその桜の頭をくしゃりと撫でた。


「っ!?」



驚きで桜はチェシャ猫の手を振り払った。
そしてすぐに桜は、はっとしたように「あ、わ、悪い!」と言った。


「いや。」


しかしチェシャ猫は楽しそうに笑った。
そして目線を桜からドアに移すと、どんどんと少し乱暴に叩いた。


「………いないのか?」


桜はそう尋ねた。
しかし桜はそう言いながらも、そんな筈はないと思っていた。
明かりはついていたし、煙突から煙が出ていた。
すると


――――ガチャリ…


鍵がそう音を立てて、ドアが開いた。
それと同時に、桜は出てきた者が意外であり、驚きを隠せなかった。






「いらっしゃいませ!
お待ちしておりました!」






「夜分遅くにすまないな。
少しの間世話になるぞ、白ウサギ。」


「はい!」


少女は人懐っこそうに、にっこりと笑った。
そう、その少女は、桜をこの世界に連れ込んだ張本人であった。


「お待ちしておりました、アリスさん――――」