ほんと名前の通り爽やかででも男らしさも感じられる名前。

笠井 颯太

風同志ってなんだよ。口元が緩む。




「あっ笑った。そっちのがいいよ」




ちゃっかりあたしの心にも爽やかな風吹かせないでよ。好きになっちゃう。




「おーい風、昼飯食った?」






「風、今日保健委員だぜ」




「風、今日めっちゃ風強いな。なんちゃって」





笠井くんはなぜかあの日からあたしのことを『風』(かぜ)と呼ぶ。


自分だって風のくせに。



でも名前きっかけで仲良くなったのはちょっとラッキー。


あたしの思ってた通り笠井くんはやっぱりモテる。



そう。あたしは笠井くんが好き。



だからそんな笠井くんが呼んでくれる『風』は特別扱いみたいな気がして嬉しかった。


あんな噂を聞くまでは。
「颯太って好きな子がいるみたい。しかもね。なんとその子しか名前で呼ばないんだって」




「それって恵美香のことだよね」




「えーっ恵美香しか呼んでないのかな?だとしたら恵美香嬉しい。恵美香も颯太好きなんだよね」




何気無い会話が耳に入ってきた。好きな子しか名前で呼ばない。



私のことは「風」名前でもない。勝手に付けられたあだ名。




確かにモテるけど名前で呼ぶのはあの子だけ。ほんとに?笠井くんはあの子が好きなの?




やだよ。他の人のものにならないで。




あたし、笠井くんに告白する。




神様、おねがい。




あの爽やかな風はあたしだけのものにしてください。
あたしはその日笠井くんを呼び出した。

とりあえず掃除の時間、トイレに駆け込んで髪型を直してリップを塗る。




甘い甘いストロベリーの香りがするリップ。あたしの好きな苺。




魔法をかける。

可愛くなれ。可愛くなれって。

あの子に負けたくない。勝ちたい。

鏡を見直して息を飲んで教室に向かった。

「ねえ。颯太。恵美香と帰ろう」




教室に戻るとあの子が笠井くんの腕に絡みついてる姿が目に入った。




「あ、俺今日用事あるから無理。また明日な」




その腕を解いて笠井くんは笑顔であの子を見送った。

彼女も渋々だったけど諦めたみたいで教室から出ようとあたしの方にスタスタと歩いてきてあたしの横を通り過ぎた。




「あんたみたいなブス、颯太が相手するわけないじゃん」




そんな捨てゼリフとともに。
さっきまでの気持ちが全部崩れる。



『ブス』




あたしがこの世で1番嫌いな言葉。



中学のあたしはすごくひどかった。成長期の食べ盛りで縦には伸びず横にばかり身についてとにかく太ってた。


それにメガネも掛けててデブでブス。




好きな人にも笑われてこの世で1番醜いって思ってた。




そんなとき親戚の叔母さんが『食べたら吐けばいいのよ。私もそうしてる』


その言葉があたしのスイッチになった。

食べたら吐けばいいんだ。

そうすれば身につくこともないもんね。

お菓子もケーキもご飯も好きなだけ食べて吐けばいいんだ。

そうすれば太らない。

それからあたしは食べて吐いての繰り返しをずっと続けた。

肌が荒れようが喉を傷つけて

血が出ようが指を入れて吐くことが


習慣になってやらなきゃいけない義務だと思うようになった。
デブじゃなくなる。ブスじゃなくなる。


そう思って続けるのになんであたし痩せないの?どんどん醜くなってる。



最初は家だけだったのに学校でも吐かなきゃいけない義務が襲う。




そしてとうとう学校のトイレでも指を入れて吐いた。



やめられない。止まらない。

でもそれを止めてくれたのが咲紀だった。




「風香、何やってるの?」




お弁当を食べ終えてすぐに教室から1番遠いトイレに駆け込む。

そしてコトを終えて出たあたしのまえには肩を震わせた咲紀。



ゆっくりあたしに近づいてそっとあたしを抱きしめた。




「こんなことして自分を傷つけても何もいいことないよ。赤ちゃん産めなくなっちゃうかもしれない。もうやめよ」




なんで泣いてるの?あたしただ自分のために自分が綺麗になりたいためにやってるだけ。

咲紀が泣くことなんてないんだよ。
「なんで泣いてるの?あたしのために泣いてる?」





「違うよ。私は何も出来ない無力な自分が嫌で泣いてる。もっと早く気がついてあげたかったのに・・・ごめん」





咲紀、なんでそんなこと言うの?

あたしそんなこと言われたら・・・

これが間違いだってことになる。

間違ってるの?あたしのやってることは間違ってる?

だって痩せなきゃ可愛くならなきゃ

あたしは産まれてきたことすら否定したくなる。




「・・・風香、可愛くなろうとしなくていい。綺麗になろうとしなくていい。・・・ただ私のことを忘れないで。吐きたくなったら私の泣いてる顔を思い出して」




「咲紀。なんであたしのためにそこまでできるの?」




「だって私、風香が大好きだから。だから風香が傷つけられるのは見てられない。たとえ風香自身が傷つけたとしてもね」




あたしを救ってくれた咲紀。


一緒にダイエットしてメイクやファッションを勉強して唯一無二の存在。

それなのに同じ高校に入ってクラスが変わってなかなか会えなくなった。


だから次に会ったときは咲紀のためになんでもしたいって思ってたんだ。
そして咲紀から卒業してもう一つ卒業してた『ブス』の言葉。

それなのにその言葉は今も強力であたしから全てのものを奪う。

刃物のような鋭利な言葉を投げられあたしは告白なんてできなかった。



教室に誰もいなくなっても私は口を開けなかった。こんなブスなあたしが笠井くんに告白なんて出来ないよ。




「風、話ってなーに?」




優しく問いかけてくれても顔すら上げれない。あたしが呼び出したのに何も言えない。




「どうした?なんかあった?」




顔を覗き込まれても言えない。


でも何か言わなきゃいけない。



口に出した言葉は思ってもみない言葉。






「・・・風なんて呼ばないで」
あの日から笠井くんもあたしも話しかけることがなくなった。




そして笠井くんには彼女が出来たんだ。




そう。あの恵美香。やっぱり笠井くんはあの子が好きだったんだ。




『風』はただのあだ名で『恵美香』は特別扱い。



苦しくて辛くて毎日死にたかった。




ただ咲紀の顔を思い浮かべたら出来ない。あたしは強くなるって決めたの。




咲紀がくれたたくさんの言葉のプレゼントを無駄にしないために強くなって優しくなって咲紀に会う。




それなのにその決意は崩壊寸前。

あたしは1人じゃ強くなれないよ。

笠井くんにそばにいてほしいよ。




一度でいいから『風香』って特別扱いしてよ。

あたしを好きになってよ。
同じ委員をこれほど恨むとは思わなかった。こんな至近距離で誰かのものになった笠井くんと会うのは辛い。



一ヶ月に一回の委員会が辛い。



毎日教室でベタベタする2人。そんな姿見たくないのにあたしには行き場もない。



唯一救われたのはあたしが窓際の席だということ。


見たくないものは見なくてもいいよ。そう言ってくれてるかのように外を見ることができる。




でもそれも時には逆効果。
爽やかな風を1番近くで感じてしまう。
風が吹けばまた笠井くんへの思いが増すだけ。




一度好きになった人を本気で忘れることができる魔法があるなら誰かあたしに掛けてよ。




笠井くんを見たくない。



声も聞きたくない。




好きになんて・・・なりたくないなんて思いたくない。




これはあたしが招いた結果。結局あたしは何も変わってないんだ。




『ブス』で弱い自分から卒業なんてしてないんだ。