俺様社長は左手で愛を囁く

間もなくして、

綾野が車を回してきた。

・・・

先に翔が車に乗り、

後から私が横に乗り込んだ。

・・・

車内は無言。

・・・

「すみません、社長。

ちょっと大事な電話が入りましたので、

しばらくお待ちください」

・・・

運転席から降りた綾野は、

外で電話を始めた。

・・・

私は無言のまま、

外に目をやった…?!!!

・・・

突然後ろから抱きしめられ、

体をこわばらせた。


「な、何をやってるんですか?」

少し震えた声で、

翔に問いかける。

・・・

翔は私の耳に囁いた。
「さっきの話しを聞いて、

増々、お前の事が放っておけなくなった」



「・・・」



「その彼を思い続けてもいい。

だが・・・

オレがお前の傍にいる事は、

止めないから」



「なっ」



「お前の心を温めてやりたい。

オレのすべてをかけて…

心の氷を溶かしてやる・・・

だから・・・」


ゆっくりと自分の方に、

私を振り返らせた翔は、

切ない目をしていた。

・・・

でも、哀れんでいるような目ではない。

・・・

その目は、

愛おしいものを見つめる目。

「私は彼を・・・ん・・・」

・・・

翔は私の唇を、

自分の唇で塞ぐ。
スモークが貼られている為、

中は見られない。

・・・

優しいキスは少しずつ深くなる…

・・・

「ん・・ぃや・・・」


抵抗してみるものの、

そのとろけるようなキスに、

力が入らない。

・・・

やっと放された唇。

・・・

そのまま翔は私を抱きしめた。

・・・

「今夜また、

お前をさらいに行くから」

・・・

そう言った翔は、

左手で、

私の髪を撫でていた。

・・・

その左手の優しさやぬくもりが、

何ともいえず、

反論することも忘れさせた・・・
社に戻ったオレは、

なかなか仕事が手に付かなかった。

・・・

冬美の過去にそんな事があったとは。

だからなのか・・・

今まで彼氏も全然作らず、

男を寄せ付けなかったのは。

・・・

ただでさえ高嶺の花なのに、

彼女の心の闇は、

相当深いものだ…

それを聞いて、ちょっと戸惑った。

自分の気持ちは本物だ。

それを聞いたところで、

嫌いになるどころか、

その一途さに、増々好きが大きくなった。

・・・

ただ、

そんな彼女の闇を、

心の氷を・・・

溶かしてやることができるか…

少し不安だった。

・・・

それでも、

前に進むしかない。

彼女を自分のモノにしたい気持ちに、

変わりはないのだから。
「綾野」


「…お呼びですか、社長」


「午後のスケジュールは?」


「前島物産との会合と、

夜は、宮本代議士との食事会です」


「…8時までには終わりそうか?」


「…ええ、時間調整は可能ですが」


「じゃあそれまでに終わるよう、

調整してくれ」


「かしこまりました。」


・・・

一礼した綾野は、

社長室を出ていった。

・・・

彼女の過去も含め、

オレがすべてをかけて、

彼女を幸せにする。

最初は嫌がるかもしれない。

それでも、

もう、これは譲れない。

・・・

気を取り直し、

仕事に取り掛かる。
『今夜、冬美をさらいに行く』

その言葉を、

本当にするために…

・・・

仕事、仕事、仕事・・・

午後は仕事にただただ没頭した。

・・・

それなのに、

ふと気を抜くと、

翔のあの顔を思い出す。

・・・

私へ向けるあの眼差しを…

・・・

ダメ、ダメ。

私には先輩がいる。

姿かたちはなくても、

私の心の中にちゃんといる。

・・・

大きく深呼吸をして、

また仕事に戻る。

・・・そんな時、

デスクの上に、部下の女の子が、

コーヒーが入ったカップを置いた。

「早乙女部長、無理しないでくださいね?

私が出来る仕事は何でも手伝いますから、

何でも言ってください」

そう言って微笑んだ。

私はお礼を言い、

でも大丈夫だと告げた。

・・・

そう、いつもの仕事量。

疲れるはずないんだから。
定時の時間になり、

部下たちは次々に帰宅していく。

・・・

私は笑顔で手を振り、

また仕事に取り掛かる。

・・・

いけない。

また溜息をついてしまった。

疲れてるんだろうか?

今日はそんなに急ぎの仕事もないし、

早めに切り上げるか。

午後8時。

・・・

他の社員達がすべて帰ったことを確認。

確認できたら、パソコンの電源を切った。

・・・

椅子から立ち上がった私の目に、

ある人が映りこんだ。

・・・

「宣伝部に何か?」

私は、その人に尋ねる。

・・・

その人は、優しい微笑みを浮かべ、

一言発した。


「今夜お前をさらいに行くと言ったはずだ」

私は、どうしたらいいのだろうか?

その場に立ち尽くし、

目の前の・・・

神宮寺翔を、見つめる事しかできなかった。
立ち尽くしてる私の目の前まで来た翔は、

私の手を取り、歩き出そうとする。

・・・

彼は、私に触れる時、

必ず左手だと言うことに、

気が付いたが、

今はそんな事を問いかける勇気はなかった。

・・・

「離してください」

その言葉を言うのが精一杯だった。

・・・

「離す気はない」

翔はそう言うと、

私を握る手に、力が入った。

・・・

本当に話す気はないと悟った私は、

「・・・わかりました。

離さなくてもいいから、力を緩めてください」


ほんのり赤くなった私の手首を見て、

翔はハッとし、

手の力を緩めた。

「社長」


「…今は、名前で呼べ」

「・・・」

「仕事の時以外は、翔と・・・」

「・・・わかりました」