半ば駆け足で荷物を抱えたまま診察室に入ろうとしたら、中から看護婦に支えられた菜月が、よたよたと出てきた。


「多分産まれるのは、夕方の5時ぐらいだろうと先生が言っています。とりあえず階段を上って、分娩室まで歩いてみましょうか?」


年配の看護婦は、菜月と俺に親しげに語りかける。


「菜月、歩けるか?」

「うん…。頑張る」


力強く頷きはしたものの、菜月はやっぱり苦しそうだ。


休み休みしながらようやくの思いで階段を上らせ、分娩室に二人で入った。


そこにも看護婦が二人スタンバっていて、そこで初めて俺は安心した。


ここまで来れば、もう大丈夫だろ。

あとは産まれるのを待つばかり……。


なんて、おふくろじゃないけど気楽に考えてたら。


菜月の内診をしていた看護婦が血相を変えて、隣に立つ別の看護婦に叫んだ。



「せっ…先生読んできてーッ!!もう全開に開いてるわよ!!!!」


あ?どういう意味?


別の看護婦も顔を真っ青にして部屋を飛び出した。


続いてバタバタと廊下を走る足音が聞こえる。



さっきの医者も、かなり慌てた様子で部屋に飛び込んでくると「分娩台に!!」なんて叫んでる。



五十代は半ばだろう、落ち着きのあるはずの産婦人科医が取り乱すのは初めて見る。



……おかしいだろ。だってさっきは「出産は夕方」とか言ってたじゃん。


菜月を見ると、顔は蒼白になって汗をたくさんかいている。


荷物の中からタオルを出して、分娩台に仰向けになった菜月の汗を拭いてやった。



あまりの展開に、俺の頭はショートしちまったらしいけど、頑張る菜月をなんとか助けてやりたいということだけは俺の体は理解してたらしい。


「……もうすぐ、だよな……」


何も考えて言ってない俺の言葉なのに、菜月は儚く笑って頷いた。


……菜月がこのまま消えてしまうんじゃないか?


そんな、切ない微笑みに胸が痛くなって、俺は無意識に菜月の手を強く握る。


菜月も俺の手を握り返してきた。




どこに、こんな力があるんだよってぐらいに、強く、しっかりと。




「……先生、赤ちゃんの心音が弱くなってます……」


心音をチェックしていた看護婦が、医者に向かって不安げに告げた。


握った菜月の手のひらが、急に冷えたように感じる。


「これ以上は無理だな。吸引の準備」