「香ちゃん今日も早いね。」
マスターが笑顔で迎えてくれた。

香はニコリとすると、ピアノを指差してマスターに(弾いていいですか?)と聞いた。
マスターはどうぞ、と手を広げて言った。

香は椅子に座って、グーパーグーパーと手の体操をしてから、ハノンで指を慣らした。
お店は5時を回っていたが、お客は誰もいなかった。

香はそれが終わると、今日弾く曲~締めの曲まで一気に流した。

「調子いいね!」
マスターはコーヒーを飲みながらしっかり香のピアノを聴いていた。
「香ちゃん、いつもと音色が違うけど、何かあった?」
マスターは鋭く聞いてきた。

香は口をつむんで顔を横に振った。

今日はいつもより気が晴れていた。

6時になって、ポツポツお客が入ってきた。
香もスタンバイしてピアノを静かに弾いた。

アルコールを待つ間も、香のピアノのおかげで店内の雰囲気は温かさを保った。


午後8時を過ぎた頃、例のダンディズムなおじさんが現れた。

そのおじさんは、いつも自分が座っている席にお客がいるのを目視すると、カウンターの席に落ち着いた。

マスターはあいさつをして、その男性と会話を楽しんでいた。
香はその様子を横目に見たが、さほど気にならず、自分のペースで音が弾けるのを楽しんだ。


本当に今日は清々しい気分だ。

香はつい最近までこの感覚を忘れていた。