気がつけば片瀬から伊緒になっていて。
気がつけば始まっていた私の初恋。
いつの間にか、自分の中でとても大きな存在へとなっていた。
沢山間違えて。
沢山失敗して。
喧嘩もしたし、信用する事ができなくなった時もあった。
でも、それでも、気持ちを消す事は出来なくて。
忘れるなんて事は考えられなくなっていた。
ねぇ、先生。
これからはもう隠れなくていいんだね。
周りの目を気にせず歩いていいんだね。
先生の隣にいてもいいんだね。
ねぇ、先生。
いつまでたっても変わる事なく、大好きだよ……。
「伊緒ちゃん、今日はもう上がっていいわよ。」
「はいっ、ありがとうございます!!」
三年間通った高校を卒業し、早二ヶ月。
私は予定の進路通り大学には行かず、あの喫茶店で働かせて貰っている。
もう常連さんにも名前を覚えて貰えて、この生活にも慣れてきた。
大好きな空間に、大好きな店の店主の勇二さんと志帆さん、そして大好きな皆の笑顔。
忙しくて大変な時も多いけど、でも毎日大好きなものに囲まれていられる事って本当に幸せ。
「伊緒ちゃん、今日は久しぶりのお泊りでしょ?これ持っていきなさい!!」
「えっもしかしてっ」
「ふふふ、伊緒ちゃんの分もちゃんと入れておいたわよ。」
「本当ですか!?志帆さんのアップルパイ美味しいから凄く食べたかったんです!!」
そして、私のもう一つの大好きなもの。
というよりかは、大好きな人。
「先生も食べたがってたんで、絶対に喜ぶと思います!!志帆さんのアップルパイを食べている時の先生の顔のニヤケ具合すごいんですよ。」
「ふふふ、そうなの?お店では普通なのにねぇ。それは是非見てみたいわ。」
「多分、自分の家だから気が緩んでるってこともあるんだと思います。あ、今度、先生の家で四人でお茶会しませんか?そうしたら見れると思いますよ!!」
「あら、いいわねそれ。でも、その話しの前に。伊緒ちゃん、呼び方が…違うんじゃない?」
「…あ、すいません…翔也さん、でした…。」
志帆さんのイタズラっぽい笑顔とからかうような口調に、自分の行動の誤りにハッとする。
二ヶ月経ってもまだまだ慣れない先生の呼び方。
先生からは二人の時は別にいいけど、流石に外ではまずいから名前で呼ぶようにって言われてるんだよね。
そして、その言いつけを守れるように、こうして志帆さんに指摘してもらってるんだけど…うーん、全然名前の呼び方が定着しない。
特に興奮している時には、ちゃんと意識していかないと……。
といってもなぁ…三年間先生と呼び続けてきた訳で、いきなり変えろと言われても難しいのが現実なんだけどね。
「じゃぁ、お先に失礼します。」
夕方から夜にかけての業務も全て終了し、帰り支度をしてから二人に声をかける。
すると、そんな私の姿を二人は目を丸くして見つめた。
「あれ、今日は翔也は来ないのかい?」
「あらほんとね、いつもお泊りの時は迎えにくるのに。」
先生の家へと歩いて帰ろうとする私を見て、とても不思議そうな顔をする二人。
まぁ、それもそうか。
先生の家から喫茶店までは結構距離があるため、いつも先生に車で迎えにきてもらっているのだから。
でも、今日だけはどうしても歩いて帰りたい。
そして、先生にやってあげたい事がある。
「多分、後二時間後位に来ると思います。」
「え?」
「今日はわざと終わる時間を遅めに伝えておいたんです。」
「えぇ?!」
私の突然の発言に驚きまくる二人。
その姿が少し似ていて可愛い。
やっぱりずっと一緒に居ると似てくるものなのかな。
「なんでまたそんな嘘ついたの?」
「あ、えっと…今日は久しぶりのお泊りなんで、どうしても晩御飯を作ってあげたいんです。それで、スーパーに食材を買いに行きたくて……。」
改めて口に出すと恥ずかしい。
今までは一応秘密の恋だったから、先生との事は周りに話せなかったしね…。
いざ話すとなるとドキドキして、恥ずかしくて、なんだか少しむずがゆくなる。
「あぁ、そういうことねっ!!解ったわ、かっちゃんがきたら上手く言っとくわ。」
「はいっありがとうございます!!!」
喫茶店を出て、今から向かうのは大型スーパー。
そこは丁度喫茶店と先生の家の間にあって、比較的品ぞろえも良い所。
「うーん……。」
肝心の晩御飯は何にしようか。
先生、今日は何が食べたいんだろう。
こんな風に悩むくらいなら、外出をするような雰囲気で何が食べたいか聞いとくべきだったな…。
「………あ。」
先生とは久しぶりに会うし……うん、もうあれしかないな。
喫茶店からスーパーへの道のりを、少し速足で進む。
頭の中は今から買う食材のことでいっぱいになってゆき、それと共に今から会う先生の顔が浮かんでくる。
今日の先生はどんな服を着ているのだろう。
いつもと変わらずジャージかな?
あ、そういえば会議があるって言ってたな…もしかしたらいつもより疲れているかもしれない。
一応コーヒー用のシロップを買っておこう。
それから、そうだデザートも買っておこう。
あとは……ブ―――…ブ―――…ブ―――……
先生や買い物材料のことを考えていると、鞄の中にある携帯が激しく振動した。
歩いている足を止め急いで取りだすと、画面には甲田先生の文字が出ていた。
え、え、え、どうしよう、電話なんだけど。
もしかして、もう喫茶店に着いちゃったとか?
どうしよう、これじゃサプライズ失敗だよ…まぁ、とりあえず電話には出なきゃだよね……。
「……もしもし。」
『あ、伊緒?今大丈夫か?』
恐る恐るでた電話からは大好きな先生の声がして、それだけで胸の鼓動が高まっていく。
「大丈夫ですよ。どうしたんですか?」
『あぁ、それがちょっとトラブルがあって帰りが遅くなりそうなんだ。』
「え、トラブルって…大丈夫なんですか?」
『あぁ、そんなに心配することじゃないよ。で、本題なんだけど、待ってるの大変だろうし無理に泊まりにこなくていいってことを言いたくて。』
電話の向こうから聞こえる、先生の少し焦った声。
多分、心配しなくていいって言ってるけど、本当は凄く大変なんだろうな。
『伊緒?』
「解りました。じゃぁ、お泊りはまた今度落ち着いた時にしましょう。」
『…本当ごめんな。』
あ、先生の声のトーンが少し下がった。
「先生、お泊りはこれから何度でも沢山出来ますよ。だから、私のことは気にしなくて大丈夫です!!先生、無理しすぎないように頑張って下さいね。」
『あぁ、ありがとう。』
それからもう一度私に謝った先生は、『それじゃ』と言って会話を終わらせた。
その言葉を聞いた私も電話を切ろうと耳から少し携帯を離す。
すると、その瞬間かすかに先生の声が聞こえた気がした。
「え?何か言いましたか?」
『…伊緒、今度の泊まりは覚悟しとけよ。』
え?
「えっ?」
先生の言葉と声が、さっきにも増して私の胸の鼓動を跳ね上がらせる。
覚悟?覚悟って何のでしょうか!?
『この前言ったろ。今度敬語で話したらお仕置きだって。』
「!!!!!」
そういえば、ついこの間そんなことを言われた気もするような…。
『だから、覚悟しとけよ。』
「え、ちょっまって……『ブチッ』」
私の最後の待ってという言葉は先生には届かず、あっけなく電話は切られてしまった。
あの教師め、最後にとんでもない爆弾発言を残していきおった。
おかげで私はさっきからドキドキしっぱなしだよ。
「……エロバカ教師め。」