行為が終わってソファで横になる私に、ソファの下でタバコを吸う雅巳君。
きっと普通のカップルって行為が終わってもまだじゃれあったり余韻に浸ったりするだろうけど、雅巳君は直ぐに服を着て甘い言葉をかけるわけでもなくいつも通りの雰囲気でいる。
後ろ姿の雅巳君の頭をチョンとつつくも、反応は何もなくそれどころか、
「止めてくれる?面倒臭い。」
「………………うん。」
「傷ついた?だから言ったじゃん。惨めな想いも後悔するのもルイだよって。これ以上の事を期待しているなら今すぐそんな浅はかな感情は棄てた方が良いよ。」
いつも通りの雅巳君。
セックスをしたから変わるなんて思っていないから大丈夫だよって言ったら強がってるように見えるかな?
理性も何もない行為の最中の言葉なんて流れなのはわかっている。
傷つくのは想定内だよ。わかってて抱かれたんだ。
「さてと……僕もう仕事に行くよ。一応薬は持ってきてるけどいる?いるなら袋ごと置いていくけど。」
「……貰っていくわ。」
「…………もう目を醒ましても都合良くいると思わないでね。」
「わかってる。」
袋に入った安定剤の薬は一度雅巳君は車に取りに行き、玄関で手渡しされた。
「会いたいと思ったら飛んで来てくれる?」
「ルイが死にたいと思った時の方が来るのは早いかもね。」
そうだね。
その時が来るのはもうカウントダウンが始まっているのは、私も雅巳君もわかってるよね。
彼が玄関のドアを締めてさっきまで乱れていたソファに座って、我慢してたのを解放されたかのように顔を抑えてぽろぽろ涙を流す。
私と交わってる時、彼は本当に幸せだった?
私と交わってる時、彼の言葉は本音だった?
生まれ変わったらルイと一緒にいるよ。
どうしてもあの言葉は嘘に思えない程のあの雅巳君の表情が忘れられない。
冷たくされた方がマシだった。
突き放してくれた方がマシだった。
何故期待しているなら今すぐ棄てた方が良いよと言ったクセに、あの言葉を彼は口に出したの?振り回される私の姿を見たかったの?
上がって下がる私を見て楽しみたかったの?
でも彼はそんな人じゃないともうわかってる。
彼の切なる願いだと信じてる。
私よりも弱い彼を、今私が居なくなったら誰が彼を理解してくれるというの?
強いフリをして弱い部分を隠す彼を、誰が守ってくれるというの?
白い肌の臆病な子供のような羽の生えていない蝶のような彼に、誰が手を差し伸べてくれるというの?
暗闇の絶望の世界にいるのは、私じゃない。
雅巳君だよ。
私が死んだら私が君の羽になる。
。
あれから何日間、いつも死んだように過ごしていた日々から一変、身の回りを整理整頓し始める。
服も必要最低限だけ残し、家具などは引き取ってもらった。
ガラリとした2LDKの部屋を、ソファもテーブルも無いリビングの床に座る。
買い取ってもらったり、引き取ってもらったりでお金の変動は激しかったがもうお金の心配はすることもない。
鳴らない携帯を横に壁に寄りかかり、この部屋で過ごした日々を思い出すが、悔しくも優ちゃんとの過ごした日々はやっぱり全ては憎めない。
一度は愛した人に代わり無い。
幸せだったのも確かだった。
この部屋で過ごした歳月は約三年。笑って泣いて怒って、そして。
沢山の愛を知った。
愛しくてたまらない想いから、愛からくる堪えきれない怒りや哀しみ。
切なさも沢山知った。
もう薬は飲んでいない。
必要が無くなったから。
これからが無い私に薬はもう必要無い。
「大山さんから連絡入って解約すると聞いたんだけど、お姉さん大山さんの嫁さん?」
「いえ……違います。」
「まぁ事情は聞かないけど解約の手続き今週にするらしいから、荷物は全部運んでもらうよ。最終確認はお姉さんで良いのかい?」
「はい……宜しくお願いします。」
先日大家さんが来て私とした会話だ。
もうこの場所には居られないらしい。わかってはいたからいざ言われたら逆に決心がついて部屋の物を片付けた。
何が一生家賃を払っていくつもりよ。償いにもならない。
まぁそんな美味しい話なんてあるわけないか。
逆に一年近くよく家賃を払っていたなと少しだけ感謝はしてあげる。
それ以外に優ちゃんに対する言葉は見つからないけどね。
どうぞ弥生とお幸せには、別に言うつもりはないし。
彼から貰った手紙を読んでは涙する。書いてる文字を指でなぞり、彼と重なった時間を思い出す。
時おり目を瞑る彼を見つめた。
私の顔を見る彼の瞳を愛しく見た。
何度も何度も、雅巳君の名前を呼んでは彼は答えるかのように彼は私に何度もキスをしてくれたこと。
涙脆くなったなんて言葉で片付けられない。
泣きたいくらい感情が出ちゃうんだよ。
彼の手紙は文字が少しぼやけてしまった。涙が何度も溢れたからだ。
ハァッとため息をついて大家さんが来る午後二時になろうとしている。
寝室にある服など入った少し大きいバックをリビングに持ってきて準備する。
もう此処から出たら、歩く道は一つだけ。
この世からサヨナラする、私にとっては希望の道。
「うん…うん……、まぁ大丈夫かな。敷金でなんとかなるよ。綺麗にしてたみたいだし。」
「はい。長い間お世話になりました。」
部屋の最終確認をしてもらい、鍵を渡して大家さんと一緒に部屋を出てこのアパートを出た。
「……お姉さん、次住むところあるの?」
「やだな、有るから出るに決まってるじゃない。もう~。」
「あ……あぁ、そうか。すまんすまん。」
優ちゃんが何と言って解約をしたのか知らないけど、大家さんが心配そうに私に声をかけてくれる。
その心遣いが少し嬉しくて、明るく笑顔で大家さんを安心させた。
深々と頭を下げて別れを告げ、とりあえず行く場所は決まっていないのでひとまず駅に向かって切符を買う。
行き先は、
彼が住んでいる街へ、片道切符。
自分の街にはもう戻らないだろう。
電車に乗り、時間的にはそんなに混んでおらず少し安心して窓からの風景を楽しんだ。
人混みの苦手さは克服とまではいかないが、耳鳴りがすることも吐き気がすることは無くなった。
窓から通っていた心療内科の病院が遠くに見えた。
先生にお礼を言わないのは少しの後悔だ。あの病院には本当にお世話になった。
先生は、仕事帰りの外の匂いが好きだと言っていた。思い出したけど、私も以前は好きだったと思う。
職場を出て家路を歩く夕方の空、手を繋いだ親子や晩御飯が近いからダッシュで帰る子供たち。キラキラ輝いていた風景を、愛しい人と住む家に帰るあの道。
あの時はそこまで気付かなかったんだよね。
幸せだということを。
無くなって気付く大きな物。失ったものは大きい。かけがえのない物を取り戻すことは不可能に近い。
全てを失った気がした。
全てを失ったのに、彼に出会い、また生まれた。
愛されたいのは過去とは関係なく、彼に惹かれた理由は有りすぎて言えない。
強いて言うならば、彼の笑顔が好きかもしれない。その悲しげな瞳から少し解放されたかのようなあの口角を少し上げて笑うあの顔は、本当に好きだと思う。