「――――シュウっ」


ダダダダッと廊下を騒がしく駆けてくる音に振り向くと同時に自分の名前を呼ばれた。


「ケン。なんだ、朝から騒々しいな」


楓はバケツから溢れた水を調整して言った。


「いや、ほら。お前からのメール! さっき気付いて…」
「メー…ル…」

(そうだ! ケンに助けて貰おうとメールしてたんだった。つい、レンさんに助けて貰ったから忘れてた。それに――)


忘れていた理由はそれだけではない。

レンから聞いた堂本の話が頭を占拠していたから。


「なんか、あったのかと――」
「ああ。ごめん、大丈夫だ。もう解決したよ」
「解決って? やっぱ、なんかあったのか?」
「あー…いや。ちょっと、高い場所の掃除とか言われてて。僕、背、足りないからさ。脚立使うのもスーツ汚れそうで」


楓は内心必死に、表は何事もなかったかのように振舞って答える。

そんな楓を見て、ケンはどこか不自然に感じながらも、とりあえず目の前でシュウが笑って立っていることに安堵した。


「ケン、なんか用があったんじゃないの? 逆にごめん。気を遣わせたみたいで…」
「いや…」


楓に謝られると、ケンは絵理奈を思い出した。


(あいつ、言うこと聞いてるかな)


やはりまだ、気になってケンは携帯をチェックする。
しかし、絵理奈からの着信はない。


「ああ。やっぱりなにかあったんだ。デート?」
「ばっ…ちげ-よ!!」


携帯を気にする様を見た楓が、歯を見せて笑うと、ケンが全力で否定する。
楓はその勢いに驚いて、目を丸くした。


「や、ほんと。そーいうんじゃないし」
「あ…そうなんだ。なんか悪いね…」


微妙な空気が二人の間を流れると、ざわざわと他の従業員が出勤してきた音が聞こえてきた。


「さ。皆フロアに来る前に終わらせなきゃな」


楓が先にそういって動き始める。
水の入ったバケツを懸命に運ぼうとする姿をケンはボーっと見つめていた。