この人と面と向かって話をするのは初めてだ。


顔を会わせたことはあったけど、こんな至近距離に来たこと事態初めてかもしれない。



そもそも、何故私を残したのだろう…





「ここにはなれたか?」


「…えぇ、まぁ。」


「新撰組などと、大層な名前を頂いたものだ。」




「…そうだな。」



「お前とこうやって話したのは初めてだが、敬語も使えん奴だったとは…
はっはっはっは。」



バカにされてる…。


でもなんだか、印象と違うな。



もっと強情傲慢な奴かと思ってた。



「それは、すみませんでした。」



「なんだ、使えるじゃないか、敬語。
女子にしては、ずいぶんと強気なやつだ。」



声大きいって。

誰かが聞いてたらどうするんだ。




「時に三冷。
お前は光と影を知らない人間に対して、光と影をどう説明する?」


「はぁ…、光と影ですか。」



「そうだ。光と影。
説明してみよ」



いきなりなにを言い出すんだか、この人は。


「光とは、影があるから光と呼ぶのです。
影がこの世からなくなれば、それはもう光ではない。
それは、影も然り。
表があれば裏があるように、片方があれば片方もある。
片方がなくなれば、もう片方も必然的になくなる。
そんな物です。」




「…ほう。
では、善と悪はそれと同様になるか?」



いまいちこの人の言ってることは理解に苦しむ。


つまり、光と影は善と悪と同じと言いたいのか?



「善と悪は心理的な現象であり、光と影と同じ立ち位置には置けないでしょう。
善が無くなっても、悪は無くならないし、その逆も同様です。
そもそも、何が悪で何が善か?という定義が定まっていない以上、光と影のような関係ではありません。」




「お前は面白い考えをするな。」


苦く笑った芹沢の笑顔は、何処か苦しい。




「じゃあ、善と悪はどのような立ち位置にあるのだろうな。」



「善と悪は立ち位置では、ありません。
そもそもの前提が違うのです。」



「前提とな?」



「例えば、『この廊下に貼り紙をしてはならん』という貼り紙があったとします。
そうすると、じゃあこの貼り紙はなんなんだ!と言い出す輩が出てくるでしょう。
その貼り紙を書いた人と貼り紙を見た人は、そもそもの前提が違ったのです。
そういう場合は、貼り紙に『なお、この貼り紙は除く』という言葉を入れなければなりません。」



「…ほう。」




「このように、前提が違う場合だと話していても話はすれ違うばかりです。
他にも、『ダメと言ってはダメ』なども同じ。
つまり、同じ前提を正さなければ、会話はほぼ成り立ちません。」



「それで。」



「今の善と悪も同様です。
貴方は、善と悪の立ち位置について考えました。
つまり善と悪には立ち位置があるという前提があるわけです。
でも私は、善と悪は心理的な現象なため立ち位置はないという前提で進めています。
だから正さなければなりません。」




「……そうか。
立ち位置はない、か。」



よかった、ものわかりのいい人で。



「ところで何故、善と悪について聞いたのでしょう。」


「…………」



…そうか、この人はもう知ってるんだ。


何処でそんなこと知り得たのかは知らないけど、もう知ってしまっているんだ。

死を