花びらが夜空に舞い上がる季節。
月明かりに照らされる様は、まるで雪のようだ。
ハラリ……。
ハラリ………。
と、地面に落ちて行く……。
静かに静かに、落ちて行く……。
ーービシャッ!
それはあまりにも突然、訪れた出来事であった。
そして、一生忘れることの出来ない痛み……。
自分の目の前で赤い飛沫が上がる。
迫り来るう炎の中……。
絶対に忘れることが出来ない奴の目……。
許さない、
絶対に許さない!
持っていた自分より大きな刀で、そいつを斬ろうとしていた。
だが、誰かがそれを止めて、私を抱え上げた。
それと、同時にまた血の飛沫が上がった………。
それから、どれくらいの時が過ぎたのだろうか……。
気がついたら、見慣れない部屋に寝かされていた…。
「目が覚めましたか…?」
「?」
襖越しに立ってこちらの様子を伺っている男がいた。
いったい、誰なんだろうか…?
その男は布団の傍らに座り、私に手を伸ばして来たが、それを思わず避けてしまう。
「……!」
「……怯えることはありませんよ。ここは安全な場所ですから……。」
男は私の額に乗っていた手ぬぐいを取ると、桶にそれを浸し始めた。
「目は覚めたのかい?」
今度は後ろから、女が姿を現していた。
タバコを加えて偉そうに踏ん反り返っている。
「ああ…。」
「だったら、早くこっちによこしな!こんな所でいつまでも寝てられたら困るんだよ!」
「!」
女は入ってくるなり、私の腕を掴み引きずり起こす。
だが、男がそれを制するように女の手を止める。
「やめないか!まだ、幼子だぞ!?」
「幼いうちにしつけをしとかないと、後で困ることになるんだよ!さあ、来な!!」
「……っ!」
「【咲子】!!」
無理矢理腕を力任せに引っ張られ、私は女に連れられて行った。
ードサッ!
鈍い音と共に、身体が地面に打ち付けられる。
「【養女】としてこのうちに来たからには、その身体が使えなくなるまで、働いてもらうからね!覚悟しな!!」
咲子は土間にあった桶と雑巾を、私に投げつける。
「さあ、それで道場でも磨いて来な!塵一つ残すんじゃないよ!!」
「咲子!やめなさい!!」
追い掛けて来た男が、咲子を止めに入る。
「この子になんの罪があると言うんだ!?」
「何を言ってんだい!あんたがあんなことにならなければ、私達もこんな暮らしをしなくてすんだんじゃないかい!!こんな子を養うだけの余力が、この家にあると思うの!?」
「……!」
そうだ……。
妻の言う通りだ……。
これ以上何も言えない。可哀相だと思っても、それを止めるだけの力がない……。
地面に倒れていた少女は立ち上がり、桶と雑巾を持った。
足取りはまだフラフラしていた…。
「……行ってきます。」
「!」
土間の扉が寂しく閉まった。
それから程なくして、とある男が家を尋ねて来た。
「おう!【武市】!元気にしちょったか!?」
ニコニコと蔓延の笑みで、男は武市が座る縁側へとやって来た。
「【龍馬】か…。」
「相変わらずしけた面をしとるのう?ちゃんと、飯は食っとるのか?」
「ああ、お前のお陰で食うには困っていない…。」
「ほうか、なら良かったぜよ!」
「【坂本家】の方にも、一度出向かわなければならないな…。」
「ああー!気にせんでいいきに!兄上はそんなに器の小さな男やないき!」
誇らしげに笑う龍馬。
彼はこの【土佐藩】の藩主の弟であり、武市の親友でもあった。
【武市家】が指導各の怒りを買い、一族が皆殺しに合うところを、坂本が助けたのだ。きっと、色んな根回しをしたに違いない。そんなことを微塵も感じさせない男だからこそ、武市は助けを求められたのだと思う。
「それより、おんし助けたい者がおると言っておったが、助けられたのか?」
以前に、龍馬に助けを求める時に、そう言っていたのを思い出す。
「ああ……。なんとかな。」
「ほうか…、それにしては暗いのう?助けた者になんかあったんか?」
「その者と言うより、咲子にだな…。」
「もしかして、咲子さんはそん人を受け入れてくれんのか?」
「ああ……。元々子供好きだった人柄が一変したように、変わっているよ。」
「そ、そん人は子供なんか!そりゃあまた、たまげたのう!武市が子供を救うのに、あげ必死になるとは……。よっぽど、信頼しとった方の子供さんなんじゃろう。」
「ああ、まだあどけない女子だ。」
「ほうか…女の子なんか……!いい娘が出来て何よりじゃが、咲子さんが受け入れんとは…、それはチクと問題じゃのう……。」
娘を養女にしたのはいいが、妻の咲子が受け入れないのでは話しにならない。
それ以前に妻は、夫である自分にさえ見向きもしなくなっていた。
あの日からずっと……。
「子供が入れば、咲子も気を紛らわすことが出来るんじゃないかと思ったからな。この先ずっと、僕達は身分が回復するまで、この生活のままだ。望んでも生まれぬ子よりも、目の前にいる子のほうが幾分ずっといい……。」
「武市……。」
夫に見向きもしなくなった妻には、子供が生まれることはない。
どんなに望んでも、そんなに簡単に身分も上がるわけもない。
なら、いっそうあの娘を養女にし、妻に子供を持たせようとしたのだ。だが、妻は大好きだった子供にさえ、冷たく当たるようになっていたのだ。
「……おまんもやけど、咲子さんも早くに親元を離れとるけんのう……。身分を回復するのが、咲子さんの望みなら、あの娘を育てるのは難しいぜよ 武市?」
「…………。」
「まあ、何かあったらわいに相談せい!わしらの所やったら、なんぼでも面倒を見る者がおるけいのう!」
「……恩に着る。」
「ああ!じゃあ またな!」
「ああ。」
龍馬は手を振りながら去って行った。
咲子が武市家に嫁に来たのは、十四の時であった。
その頃は武市家も栄えており、身分の高い嫁をもらうのも当然のものであった。
そこへ来たのが咲子、彼女である。
まだ年若い武市に嫁など、不要な者であったが家が求めているのでは、仕方がないと娶ったのであった。
当時の咲子は良く出来た嫁であり、近所の子供や道場に通う門下生に、優しく接しまるで母親のようであった。
だが、武市は咲子には見向きもせずに、家の発展に力を注いでいたが……、
つい二年前に、逆賊の罪を着せられて、門下の者の多くが命を落とし、武市も命を落としかけたのだ。
今や、隠れの身でこうやって生きていること事態が奇跡のようなものだ。
だが、咲子の態度はあの日から一変してしまい、まるで身分が低いことに対して、恥じているようであった。
だからなのか……、
命からがら助かった夫にも見向きもせず、下の者を見下しているようであった。
「…………。」
娘を引き取った以上は自分の家で面倒を見なければならない。
とにかく咲子が過度に、少女に当たらないように注意するほかないだろう。
とはいうものの……、
ほとんどの雑用を少女は押し付けられていた。
洗濯に掃除、草むしりまで、家事の一切を彼女がこなしていると言っていいほどだ。過度の事がない限り、武市が口出すことが出来なかった。
「【薫子】。薫子ー。」
夕御飯の時間になっても来ない薫子を捜す武市。
咲子の扱いが自分の知らない所で、ますます酷くなっていないか、最近はそれが心配で堪らない。ご飯の時間になっても来ない時が多くなっていたのだ。
きっとお腹を空かせているに違いない。
武市は家中を捜し回る。
ガッシャーン!!
「!」
食器が落ちる音と咲子の怒鳴り声が聞こえてくる。武市は慌ててその部屋へと入った。
「!!」
そこには散乱されたお膳と、倒れている薫子の姿があった。
「薫子!」
慌てて薫子に駆け寄る。
叩かれたのか、頬が真っ赤になっていた。
「……何があったのだ?」
「勝手に転んだのよ。」
「お前ではない!薫子に聞いている! 何があった……?」
「……転びました。」
「転んだ……?」
とてもじゃないが、転んでつくる怪我ではない。
「……きちんと片付けておきますので、心配しないで下さい。奥様もすみませんでした……。」
深々とお辞儀をし直して謝る薫子。
そうしつけられたのだろうか……。
「さっさと片付けておしまい!!シミにしたらただじゃあおかないよ!!」
咲子はそう激しく言い放つと、さっさと部屋から出て行ってしまった。
「………。」
薫子は黙って片付けを始める。
それにしても、どこか薫子の様子がおかしい。
手足が異様に震えている。
それに……、
「!」
突如、武市が薫子の腕を掴み、袖を捲り上げた。
そこには、生々しい痣がいくつも出来ていた。
「……薫子!これはいったいどうした!?また咲子からやられたのか!?」
「……旦那様には関係ありません…。」
「旦那様……? 何を馬鹿なことを言っている?!お前は僕達の子供なのだぞ!なのに……!」
咲子……。
先程も咲子に奥様と言っていた……。
と、なれば……。
武市は当然、咲子の部屋へと向かい、乱暴に襖を開け放つ。
「咲子!!お前はあの子に何をした!?」
怒鳴り込む夫を見ながら、咲子の態度が変わることはない。
「なにもしていないわよ。」
「なにもしていないだと!? じゃあ、あの娘の傷はなんだ?!全身痣だらけだったぞ!?」
「ああ……、あれね。あれは稽古よ。」
「稽古……?」
「そうよ。あの娘も私達の娘ならそれなりに鍛えないといけないでしょう?」
「娘…?お前今、娘と言ったか?」
「……?」
「娘ならなぜ、あの子が僕達のことを奥様や旦那様と言っているのだ?なぜ、あの子にあんなしつけをした?!あれでは娘ではなく、単なる雑用係だ!!」
「それを知っていて、貴方も目をつむっていたんでしょう?いいじゃないの、どうせいなくなる子供なんだから……。」
「いなくなる……? 遊郭にでも売ったのか?!」
「そうよ。あんな汚らしい子……。遊女で十分よ。」
「咲子!!」
その日のうちに、武市と咲子は離婚をした。元より結ばれる運命ではなかったのだ。若くして結婚したことで、こんな結末を迎えることとなるとは………。
あまりにも情けなかった……。
「……なるほど、そげなことがあったとか……。武市も辛かったのう……。」
「………。」
「まあ、おまん達は早かっただけじゃ。咲子さんもそのうち分かってくれる。それより、問題はあの娘じゃ。」
「?」
「咲子さんがおらんなった今、あの娘をどうするつもりじゃ?」
「………。」
男に女は育てられない。
ましてや、子育てなど本来は無縁のものだ。
「……わしの所で預かるっていうのは、どうじゃ?」
「え……?」
「乙女姉さんに、ちとばかし話しをしたんじゃ……。そしたら、そげなことなら喜んで預かる言うてくれてのう……!」
龍馬はずっと気にかけてくれてたんだろう。いざというとき、頼れるように……。
「そうだな……。そういえば、そっちの方はどうだ?以前は騒がしいと聞いていたが?」
薫子を助けた日から、生存者を捜して会津の者達が討伐のあった、山近辺を捜し回っていたらしい。
幸いにして、ここは離れの田舎だったので、追っ手は来なかったのだ。
「ああ、それがなちくと気になることを聞いてのう。」
「気になること…?」
「ああ、ちょうどおまんがあの娘を引き取った時からじゃった。【白菊一】という刀を捜しておると言っておった。」
「!」
「どうやらその者が持っとるらしくてのう。しばらく捜しておったわ。まあ、この村まではこんやろうが、あの娘のこともあるし…、少し警戒しとった方がええかもな……。」
「………。」
「ほな、わいはこれで帰るわ!もし、あの娘のことでなんかあったら、いつまでも相談にのるけいのう!」
「……龍馬!!」
門まで出ていた龍馬を呼び止める。
今の話しが本当なら、薫子を隠さなければならない。
「どうした?」
「………【白菊一】について話しがある。」
頼るべき時に頼るのが一番だ。
武市は薫子のことについて話した。
「そ、それは……!まっことなのか!?あの薫子ちゃんが……!!」
「そうだ……。」
実を正せば、武市も何も知らなかった。
ただ、討伐前にとある一族の族長から、もし何かあった時、【刀】を握る娘を助けてくれと頼まれていたのだ。
それがちょうど、薫子を助けたあの日で、薫子の手に握られていた刀こそが、奴らが捜している【白菊一】だったのだ。
特殊な名剣らしく、刀を知る武市も今までに見たことがなかった。
皆殺しにしてまで、手に入れたい名剣なのであれば、刀を握って逃げた薫子を奴らは逃がしはしないだろう。
必ず、刀を捜しにここまで来るはずだ。
「なら、あの娘を何処かに逃がさないけんのう……。それから、武市。あん子はどこまで知っておるんか?」
「どこまでとは…?」
「【白菊一】を持っていた子じゃ。何か重要なことを知っとるに違いない。」
「……それが出来ていれば、とうにやっている。」
「なんじゃ!聞き出せんとらんのか!?まっこと、しょうがない奴じゃのう!」
そこへちょうど、洗濯物を干しに薫子がやって来た。
薫子は二人には目もくれずに、黙々と干して行く。
「薫子ちゃん!薫子ちゃん!」
「………。」
「?」
「おーい!薫子ちゃん!」
「…………。」
全く返事をしない薫子。それに声をかけている龍馬に振り向きもしない。
「……おい、武市。薫子ちゃんは耳が聞こえんのか…?」
「………。」
不思議そうにする龍馬の間を抜け、薫子の後ろまでやって来ると、
「……っ!」
「!?」
「お……!」