「私コクリュウには、偉いと思われたくないよ。
偉いのは父様だけでいいでしょ。
私はごく普通の女の子なの。
だからお願い、ソファーに座って。
未来の妻に、そんな感情持たないでよ。」


その言葉を聞いて、コクリュウはがっくりと項垂れた。


「リョク様、そのような事を軽々しく口にするものではありません。
ご冗談にしては、タチが悪すぎます。」


「冗談なんかじゃないもん!」


コクリュウの言いように腹をたてたリョクは、またもや頬を膨らませて見せた。


「冗談でなければなんだと言うのです?
私とリョク様が結婚など、出来る訳ないじゃないですか!」


ついコクリュウも、声を荒げてしまう。


「どうして!?」


「リョク様がハクリュウ様のご息女様だからです。」


「それが理由なの?
バカみたい!!!
父様の子供だと、自由に恋もできないの?」


リョクは自分の言葉にハッとした。


『恋・・・?』
たぶん、無意識に口から出た言葉だったのであろう。すんなりと発せられたその言葉に、もしかしたらリョクが一番驚いているのかもしれない。そして同時に納得も・・・。


今まで自分がモヤモヤと抱えていた感情を、認識させてくれたのだから。言葉の力とは、大した代物である。


大半の言葉は、幸せや喜びを乗せて耳に届けられるのだが、時に、人を傷つけ困惑させたり誤解させたりもする。ただ、前者と受け取られるか後者と受け取られるかは、聞いた相手の判断で変わってくるのが少々厄介だ。そして発せられた瞬間、二度と元には戻せないときている。


例えば今の発言に関して言えば、リョクにとっては前者、コクリュウにとっては後者であるようだった。


「恋・・・とは・・・?
リョク様が私に、ですか?」


少し迷惑そうな表情をして、コクリュウは目を細めた。


自分が恋する乙女だった事をたった今自覚した少女は、コクリュウのその表情を見逃しはしなかった。


「コクリュウはもしかして、私が嫌いなの?」


コクリュウは慌てて返答する。


「好きとか嫌いとかいう次元の話しではないのです。」
「じゃあどうして、何でもかんでも困った顔するの?
もう、いいからとにかくソファーに座って。」


「それは・・・命令ですか?」


「命令?
違うよ、お願いだよ。」


「・・・。」


「じゃぁ、命令でいいよ。
座ってください。」


どこまでも真面目な黒髪の青年は、不本意な表情のままソファーに腰を沈めた。


・・・ソファーに座る。


たったそれだけのことなのに、お願いや命令が必要だなんておかしい。生まれた時から偉いってどういう事なんだろう。好きとか嫌いが関係ない恋ってあるんだろうか。


そんなこと、人間界にいた時には全く考えたことがなかった。考えなくても良かった。でも解決しなくちゃ先に進めない。だって、コクリュウにソファーに座ってもらうことすら出来ないのだから。


リョクは小さく決意を固めた。
魅惑的に彩られた黒い部屋には、重い空気が漂っていた。


リョクは努めて物腰柔らかに言葉を選んでコクリュウと会話をしようと試みていたのだが、放つ言葉はことごとく反論の返り討ちにあう始末だった。
どんな言葉を使っても、取り合ってもくれないコクリュウに少々苛立ちを感じ始めたリョクは、とうとうキュッと唇を引き結んで押し黙ってしまう。
そしてこの不穏な空気は漂い始めた。


無言で真っ直ぐにコクリュウを見つめる、まん丸の大きな黒い瞳には、凛とした王者の風格が宿っているかのようにさえ見える。
そんなリョクをコクリュウは、感慨深げに見つめ返していた。


張り詰めた重い空気の中、リョクはふっとその表情を崩すと徐に一つ瞬きをして、結んでいた唇を緩めた。


「コクリュウ。
今までの話をまとめるから聞いてて。」


「かしこまりました。」


コクリュウはそう返事をすると、姿勢を正した。


「まず、私が天界の竜王だった父様の娘であるということ。
次に、私の年齢が低いということ。
そして、私と会ってからまだ間もないということ。
最後に、そもそも竜王になるつもりがないということ。
この4つが私と結婚しない理由なんだよね?」


「その通りでございます。」


コクリュウは堅苦しく頷いた。
コクリュウの返事を聞いたリョクは崩した表情を一変し、真顔になる。


「確認させて、コクリュウ。
元竜王の娘の命令でも聞けるんだから、竜王の命令なら絶対聞かなきゃだよね?」


「・・・はい。」


「決めたよ、私。
私の年齢や出会ってからの時間を理由にされたら、反論できないから。
だから。
もう、こうなったら命令します。
コクリュウは私と結婚しなさい。
私が竜王になります。」


「リョク様・・・!?」


一瞬目を見張ったコクリュウは、呆れたようにため息を吐いた。そしてほんの少しだけ考える。


「分かりました。
そこまで覚悟をお決めになったリョク様はご立派です。
お教えいたしましょう。
私と結婚して竜王になった時、しなければならないことを・・・。」


このような手段を用いる事に後ろめたさを覚えながらも、決意を秘めたコクリュウはゆっくりと立ち上がり、リョクの方へと歩み寄った。
と、リョクのその華奢な腕を掴み床の上へと押し倒す。


「・・・!?」


突然のコクリュウの乱暴な行動に、リョクは全身を強ばらせた。


「リョク様は龍に変幻できませんからね。
天界の住人たちに生気を分け与えるためには、こういうことを致さなければなりません。」


そう言うとコクリュウはリョクの上に無言で重なり、その体をひしと抱きしめた。


「ちょ・・・コクリュウ・・・止め・・・」
たくましいコクリュウの体の重みがリョクの体にのし掛かり、どうにもこうにも動くことが出来ない。それでもリョクは必死に両手でコクリュウの肩を押し返してみた。
しかしその両手も呆気なくコクリュウに掴まれ間近に見つめられては、リョクも恥ずかしいやら怒りたいやら、どうしていいのか分からない。


「コクリュウ離してよ。」


眉間にシワを寄せて、小声でリョクは呟く。


「おや?
いかがなさいましたか?
私と結婚なさりたいのですよね?
本当に結婚したら、まだまだこんなもんでは済みませんよ。」


そう言ってコウリュウは、そっとリョクの首筋にキスを落とした。


「・・・!」


ビクッと震えたリョクから少し体を離して、詫びる気持ちでコクリュウは自分の下敷きになっている少女を見つめた。少し怯えた瞳を揺らしているリョクは、今にも泣き出してしまいそうになっている。


『手荒な真似だが、これで諦めて下されば。』


コクリュウは心の中で呟いた。


ところが。


「コクリュウのばかぁぁぁ!」


泣き出すどころか、リョクは急に大きな叫び声を上げたのだ。
しかも、両肩を緑色に光らせて。
リョクの叫びと共に、コクリュウは空気の塊を全身に感じた。
そして次の瞬間コクリュウの体は宙を舞い、壁にぶち当たり、吹き飛んだ体は床へと落ちる。
背中を強打した衝撃で、コクリュウは一瞬意識を飛ばした。


「な・・・なによ!
こんな事して私を諦めさせようだなんて!」


震える声で叫ぶリョクの小さな体からは、緑色の光が溢れている。


「リョク様・・・その光はまさか・・・。
・・・?
それに、私の心を読んだのですか?」


「勝手に聞こえてきたんだよ!
もう信じらんな〜い!!」


一際大きな声で叫んだリョクは、体の輪郭が徐々にぼやけて光が増していった。


「リョク様、落ち着て下さい!」


「こうなったら私、意地でもコクリュウのお嫁さんになってやる!」


半身を起こして床の上に座るリョクは、力いっぱい叫んだ。
リョクの怒りのパワーが増大すると、それに比例して緑色の光も増大していく。


「リョクさまぁ!
落ち着いて下さい!
リョク様にもしもの事があったらハクリュウ様に顔向けできません!
結婚でもなんでもしますから!
とにかく落ち着いて下さい!!!」


コクリュウの虚しい説得はリョクには届いていないようで、ついにその時はやって来てしまった。
−−−。

生まれたとき、リョクの両肩には緑色の鱗が数枚着いていた。
それを見た両親、特に父親は大袈裟なほどに心配したものだ。人間として人間界で暮らすこの子に、龍の能力が開花しないように、と。

ーーー。

神秘な黒で統一された部屋に、溢れんばかりの緑色の眩い光が解き放たれた。


それと同時に強い突風が突き刺さり、コクリュウに防御の体制をとらせた。


風が徐々に収まりコクリュウがゆっくりと目を開けると、そこには黒い部屋の黒い壁はなく、代わりにあったのはオーロラのように色が折り重なったいつもの天界の空と、そこを游ぐエメラルドグリーンの龍の姿だった。


コクリュウは咄嗟に声も出せずその場に立ちすくみ、しばらく目の前に漂う龍を呆然と眺めてしまった。


「キュオ〜ン・・・」


戸惑いを含んだ緑龍の甲高いいななきに、コクリュウはハッと我に返った。


『コクリュウ、コクリュウ、私・・・。』


コクリュウの頭の中に響いてくるのは、紛れもなく狼狽えているリョクの声である。


「リョク様、私はなんという罪を犯してしまったのでしょう・・・」


自責の念に駆られ、コクリュウは緑龍に手を伸ばした。そして緑龍を鎮めるため自らの体から黒い光を放ち、徐々に体の輪郭を無くしていった。
王宮の白い豪奢な部屋からも、残念ながらその様子は見えてしまった。


「あれ?」


というヤヨイの声に、視線の先を追ったハクリュウは激怒することになる。


「これは一体どういうことだ!!」


勢いよく窓を開け放ち身を乗り出して、ハクリュウは食い入るようにその光景を凝視した。ハクリュウにとってこれは、有ってはならない光景なのだ。エメラルドグリーンに輝く緑龍の姿を見るなんて。


「あれって・・・どう考えてもリョク・・・よね?
隣はコクリュウさん・・・かな?」


ヤヨイは遠慮がちに呟いて、恐る恐るハクリュウの様子を伺った。早くもその両肩はわなわなと怒りに震え、今にも変幻しそうな勢いになっている。


「ハクリュウ、大丈夫?」


「大丈夫なものか。
俺の大事な娘を龍の姿にさせやがって。
殺してくれるわ、コクリュウ!」


言うが早いか、ハクリュウは白い光になって窓から飛び出して行った。


「うわぁ、これは緊急事態だわ。
コウリュウさんに止めてもらわなくちゃ。」


ヤヨイは一目散に駆け出した。