「ははは・・・確かに。
でも、俺は聞いていなかったんだよな。
俺がどれだけ心配したか、ヤヨイはちゃんと分かってる?」


ヤヨイの耳元に顔を寄せて、ハクリュウは甘く囁いた。


僅かにくすぐったい表情を見せて、ヤヨイは頬を赤らめる。


「も・・・もちろんよ。」


そしてハクリュウからプイと顔を背けた。


ハクリュウと結婚して子供が生まれた今も、なんら変わらないハクリュウの大きな愛に、ヤヨイはキュンと胸を締め付けられる。


ハクリュウと出会う前、人間界で暮らしていた時は、何事においても姉であり巫女でもあったサツキが最優先されていた。


大切な龍神様への貢ぎ物は周りからも当然大切に扱われ、サツキと比べたらヤヨイやキサラギは、親から名を呼ばれる回数さえ、段違いに少なかったかもしれない。
でも、曲がることなくまっすぐ素直に育ってこられたのは、他ならぬサツキのおかげとも言えよう。


姉を羨ましいと妬んだこともあるが、サツキの妹たちを気遣う愛情は、ヤヨイのそんな思いを見事に消し去ってくれた。

「父様と母様を、私が独り占めしているみたいになってしまってごめんね。
私は龍神様への貢ぎ物だから・・・そういう運命の元に生まれてきたから・・・父様と母様は私に対して、罪の意識みたいなものがあるんだと思うの。
だから私が父様と母様の代わりに、あなたたちを抱きしめてあげるわ。2人を心から愛してる。」


サツキの優しさのお陰で、ヤヨイは持ち前の天真爛漫さを発揮する事ができ、姉の影となり見守る決意もできた。


私は常に2番手。
自分だけを見てほしいなんて、ワガママよね。


ひまわりのように笑うヤヨイの胸の内には、無意識ながらそんな秘めた誓いがあったはずだ。


だから未だに、まだ後ろめたく思ってしまう。
ハクリュウの溢れんばかりの愛を、自分ひとりが一身に受けるという事に。


ハクリュウと共に過ごすこと4年。ヤヨイは今までとは違う幸せを知った。一歩引いて受け取らなくてもいい幸せを。


でも、たまにこんな風に照れて赤くなってしまうのは、長年の記憶がそうさせるのであろう。


「ヤヨイ。こっち向いて。
俺、意地悪してるわけじゃないんだよ。」


ヤヨイの態度を勘違いしたハクリュウが、慌てて言い訳を開始した。


「俺さ、ヤヨイの事が好きすぎて、未だにどうしていいか分かんないんだ。
ヤヨイを想うと、冷静でいられなくなる。
今回だってそうだよ。死んだ事になってる俺が、天界に来てはいけなかったのに・・・。
ヤヨイが連れ去られたなんて聞いたら、そんな事考えている余裕なんて全然なかった。
結果、こんなグダグダになっちゃってさ。ホント笑える。」


ハクリュウはヤヨイの肩を抱き寄せると、軽く髪に口づけた。


「ハクリュウ・・・。」


ヤヨイはゆっくり振り向く。


「分かってる・・・分かってるよ、ハクリュウの気持ち。
私だって同じだよ。
それにハクリュウが助けに来てくれて、すっごく嬉しかったんだから。」


ヤヨイはハクリュウの首に手を回してギュッとしがみつくと、頬に口づけを返した。
そして、ふふっと笑い合った2人の唇は、自然に重なるのだった。


ハクリュウがこの白き豪奢な部屋で過ごした年月は長い。竜王として、独裁と孤独の中に身を置き安らぐことのなかった長い時間。


その長い年月を誰かと共にこの部屋で過ごしたことなどあっただろか。しかも、愛しいと思える女性と共になんて。


しかし今ハクリュウは、安らぎの時間も愛しい女性も手に入れた。ヤヨイという何者にも代え難い妃を得、育むべき家族までをも持つことができた。


その愛しい妃と穏やかな談笑を交わし熱く口づけて、これから更なる甘いひと時にもつれ込ませようと、ハクリュウが心の中でほくそ笑んだ時、ヤヨイの言葉がまんまとその下心を中断させる事になるとは。


「ねぇハクリュウ。多分私の勘違いだとは思うんだけど。
ほら・・・今、リョクの話をしていたじゃない。」


「うん。してたね。」


軽く相槌を打ちながら、ハクリュウはヤヨイの頬をするりと撫でる。


そのハクリュウの手をそっと握って、ヤヨイは漆黒に潤む妖艶な瞳を見つめた。


「だからだと思うんだけど・・・。リョクが私たちの、すぐ近くに居る気がするのよ。」


ヤヨイの言葉にハクリュウは苦笑して、ヤヨイの手に口づけを落とす。


「それはホントにヤヨイの勘違いだな。
リョクは人間界に居るんだぞ。
俺たちの近くって言ったら、天界に居ることになるじゃないか。」

さりげなくハクリュウの手を払い除けて、ヤヨイはう〜んと首をひねった。


「そうなんだけど。
リョクの気配っていうか・・・存在っていうか・・・。
よく分からないけど、とにかくリョクを感じるのよ。
近くに居る気がするの。」


ハクリュウは真剣に訴えかけるヤヨイの頭を引き寄せて、今度は髪に口づけた。



「いやいや。それは絶対に有り得ない。
リョクを天界に来させないように、先手を打ってコクリュウを人間界へ行かせてあるんだから。」


ヤヨイの話に答えながらも一生懸命に甘い誘いをかけるハクリュウなのだが、可哀想に微塵も気にかけてもらえずにいる。
それどころではないくらい、胸がザワザワとざわめくヤヨイは、何やら重々しい表情で考えを巡らせていたのだ。


「ハクリュウの言ってることは、よく分かるよ。
でもね・・・なんでかなぁ・・・?
私の中の母親としての感覚が、リョクを感じるの。」


そして、思いついたようにはたとハクリュウを見上げた。
「・・・!もしかして、リョクに何かあったんじゃ!」


これにはさすがのハクリュウも反応せざるを得ず・・・。


「ヤヨイ!滅多なこと言うなよ。
何かなんて、あってたまるか!」


ヤヨイの両肩を掴んで、咄嗟にキツい口調で反論してしまったのだ。


「そ・・·そうよね。ごめん。」


シュンと下を向いたヤヨイを見て、慌ててハクリュウは我に返りヤヨイを抱きしめた。


「言いすぎた。俺こそ・・・ごめん。」


静かに呟き、ハクリュウはその腕にギュッと力を込める。


ヤヨイはただ単に、リョクを心配していただけだったのに。
そんなヤヨイを責めた自分を悔やむ気持ちが、無意識の行動となってハクリュウを揺さぶり、つい力の制御を忘れてしまった。


「ハクリュ・・・くるし・・・。」


ヤヨイはハクリュウの腕の中から、か細い声をだした。


「あっ・・・ごめん。俺・・・つい・・・。」


ぱっと両手を広げて、ハクリュウは切なそうな表情を見せる。


「だい・・・じょぶ・・・よ・・・。」


少し苦しそうに咳き込みながら顔を歪めたものの、ヤヨイはハクリュウに微笑んだ。
「ごめん!ごめんな!ヤヨイ。」


「ううん。やっぱり私の思い違いね。
ハクリュウの言う通り、リョクが近くに居る訳ないのにね。
リョクの話をしたから、ちょっと恋しくなっちゃっただけ。」


ヤヨイは自分に言い聞かせるように、そう言って笑った。
でもやはり、まだリョクが近くに居るのではないかという感覚は抜けず、なんとなく気持ちがソワソワしてしまう。


あまり両親の愛というものを知らずに育ったヤヨイは、親として自分の精一杯の愛を娘に注いできた。
この先もし、リョクに妹か弟ができたとしても、同じように愛してあげたいと思う。
人並み以上に子供に対する想いが強いからだろうか、ヤヨイは本能で敏感にリョクの気配を察知していたのだ。


でもやはり『まさかリョクが天界に居るなんて』という思いがあるのも正直なところだった。
ヤヨイが納得しかけたその時である。


「・・・!?」


突然ピクリと動いたヤヨイの体を、ハクリュウは見逃さなかった。


「ヤヨイどうした?」


ハクリュウは両手でヤヨイの頬を包む。


「声が聞こえた。」


「え?」


「リョク、やっぱり居るのよ!!」
「はぁ!?」


ヤヨイの確信めいた言葉にハクリュウが戸惑っていたその時、白い豪奢な部屋の窓がカタカタと音を立て震え始めた。


そんな異常な光景に驚いて、改めて見つめあった二人は静かに窓際に歩み寄ってみる。
そして目を疑った。


それもそのはずである。
窓の外には、巨大な黒き龍の手のひらの上にちょこんと座って手を振る、緑色の髪の少女が居たのだから。


「「・・・リョク?????」」


ヤヨイを思わせる、ひまわりのような眩しい笑顔で、こちらに手を振る愛らしい少女。
どう考えても、リョク以外の何者でもない。
ヤヨイは嬉しそうな声で、ハクリュウは困惑の声で、リョクの名を呼んだ。


そしてヤヨイはピョンピョンと跳ねながら、満面の笑みでハクリュウの腕を叩く。


「ねっ!ねっ!ほらハクリュウ!
やっぱりリョクが近くに居た!」


そんなヤヨイを他所に、ハクリュウは怒りを隠すことなく窓を開け放ち、コクリュウに叫んだ。


「なんでリョクがここに居る!!
コクリュウ!!!そなた何をやっておるか!!!」


コクリュウは瞬間ビクッと瞳を細めたのだが、観念したかのようにその巨大な肢体から黒い光を放ち、ゆるゆると小さくなっていった。

今までの甘く穏やかだった部屋の雰囲気は、ものの見事に吹き飛ばされて、一転禍々しいと言えるほどに変わっていた。


コクリュウさん、入って来づらいだろうな・・・。


ヤヨイは不憫に思ったが、どうすることもできない。


ハクリュウが長い間孤独と戦い独裁を貫いたのは、この天界の醜い部分を知ってしまったから。


そんな天界にリョクを住まわせたくないと、ハクリュウは竜王復帰に首を縦に振らずにいるのだ。


勿論、ヤヨイの生気を皆に分け与えたくないという、わががままな理由が大前提なのは言うまでもないのだが。