エレベーターがロビーへの到着を告げるとき、それは、私と彼の時間の
終わりを意味していた。
ボワンと耳に心地よい響きは、閉ざされた空間から外へ出られる開放感を
もたらす音であるのだが、彼との食事のあと乗り込むエレベーターが告げる
音は、私たちを現実に引き戻す忌々しい音のようにも聞こえる。
夜景の見える狭い空間にいる間だけ、素直な自分でいられるのかもしれない。
闇に浮かび上がる街の明かりを眺めながら二人で過ごす短い時間は、
社会的地位も、背負った運命も
すべて一時忘れ、ただの男と女になれる時だった。
他愛のない会話のときもあれば、しまい込んでおけない想いを口にしてしまう
ときもある。
寄り添って立っているだけのときもあれば、どちらともなく指を絡めるときも
あった。
寂しいと口にしてしまった私を、彼はどう思ったのだろう。
抱きしめた腕は何を伝えようとしていたのか。
襟足におかれた唇は何を語ろうとしていたのか。
ロビーの到着を告げる音がして、問うことを拒むように現実への扉が開き、
二人の時間が終わってしまったあの夜から、ボワンと響く音に遭遇するたびに
彼に抱擁された腕の感覚が蘇り、唇がおかれた首筋が疼いた。
社長室へと上がるため、乗り慣れたエレベーターのボタンを押した。
各階に到着を告げる音に一瞬の緊張が走るのだが、夜景など見えない
無機質な空間が、私を平常心へと戻してくれる。
このところ、宗一郎さんの顔を思い浮かべることが多くなっていた。
予定していた会食の日を日延べしてもらないかと、数日前、申し訳なさそうな
声で電話をもらった。
『珠貴と約束していた日だが、どうしても立ち会わなければならない
契約が入ってしまった』
『そういう理由なら仕方ないですわね。お仕事を優先させなくちゃ』
『一週間後に変更してもらえないだろうか。君の都合が良ければの話だが、
それとも……』
『それとも、なぁに?』
『いや、その……あの話が進んでいるのなら、
会うのはどうかと思ったものだから……』
電話の向こうの顔が見えるようだった。
綺麗な口元を歪ませ、いつもは涼しげな目元が、今は困った表情を作り出して
いるに違いない。
私を気遣っての申し出だろうが、この前のような気持ちの良い強引さが
見られず、彼に少し意地悪をしてみたくなった。