この歳で馴染みの割烹があるのもどうかと思うが、私も狩野も、

祖父や父の代からの付き合いがあるのだから仕方がない。

大女将はわれわれの祖父と同じ時代を生きてきた人で、これまでに多くの

大事な席に関わり、その情報たるやどれほどのものか、誰もかなわないのでは

ないかと思われる。

馴染みの客がふと漏らす言葉の端々から手繰り寄せる様々な事情、

秘密裏に設けられる会合の面々、表にはでない取引の情報や政財界動きなど、

この大女将に聞けばこの国のすべてわかるとまで言われていた。



「お二人でいらっしゃるのは、久しぶりでございますね」


「近衛と込み入った話をしたくてお邪魔しました。

ここは密談をするには最高の場所ですからね」


「おい、密談って何を話すつもりだ」


「おやまぁ、楽しそうなお話になりそうですこと。

どうぞ、心置きなくお話くださいませ」



大女将はすべてを見透かしたように微笑むと、廊下に控えていた仲居に

下がるように告げた。



「狩野、もったいぶってないでさっさと言え」


「まぁ、そう急ぐな、夜は長い。俺は一杯もらうよ、構わないだろう?」


「それはいいが……」



料理より酒を口に運ぶ狩野をよそに、私は季節を充分に意識した大女将の

勧める一品に手を伸ばした。

彼が何を言い出すのかおおよその見当はついていたが、向こうが切り出すまで

こちらも黙ることとし、黙々と箸を運ぶ。

冷酒を頼んだ狩野のために大女将が運んできたのは、細工も鮮やかな

江戸切子で、徳利と猪口には微妙に違う細工が施され、見事な調和を

見せていた。 

このような酒器を用意するところは、さすがに老舗の割烹だと思わせる

ところがあった。

狩野の猪口に何杯目かの酒が注がれ、最後の一滴を飲み干すとわざとらしく

音を立て猪口を置いた。



「さてと……先月、おまえの部屋で彼女に初めて会った。

酔ったおまえを介抱していた。 

その彼女が先日ホテルに現れた。見合いの席に行くためだ。

俺はおまえに知らせたよ 

”彼女 見合いらしいぞ” ってな。

まさかすぐに駆けつけてくるとは思わなかったよ 

近衛、これはどういうことだ」


「どうってことはない。

彼女から見合いを断りたいと聞いてたから助けに行っただけだ」 


「ほぉ……立場のあるおまえが、なりふり構わず駆けつけるほど、

彼女には借りがあるのか?」


「そうじゃないが……いや、そうだ。

彼女に介抱してもらった借りを返すためだ」


「そんなごまかしが通用すると思ってるのか?

おまえと何年付き合ってると思う。俺を見くびるな」


「……そんなことは……」



狩野の追及に言葉を失い、繕う術を見つけることが出来ずにいた。