朝露に濡れる葉の色は青々と眩しく、打ち水の施された石が清々しい。

早朝の庭は鬱積した心を浄化してくれるように、静かにそこに佇んでいた。

出張先ではホテルに宿泊することが多い中、今回は先方のたっての願いで

旅館に滞在していた。

花の宿と称されるだけのことはあり、館内のいたるところに花が生けられて

初夏の草花の可憐さに立ち止まることも多かった。

仕事も順調に進み、新しい取引先とのつながりもできたというのに、

たかが一本の電話を気にして重苦しい思いを抱えているなんて滑稽なことと、

自分を奮い立たせようとするけれど、この思いだけはどうにもならなかった。


電話がなかったことに落胆し、そうかといって、言い訳のような電話を

もらっても腹立たしいだろうと自分の感情をもてあましていた。


『こちらの方 私にも紹介してくださらない』


彼女が聞いたように、私も彼に聞けばすむことなのに、

その人が、もしも宗一郎さんにとても近い人だったら…… 

彼の心が向いている人だったら……

そんな返事を聞くのが怖くて、何も聞けずにいる自分も情けないといった

有様だった。


その人は、宗一郎さんの横にいて当然といった振る舞いだった。

臆することなく私が誰かと尋ね、ステキな名前ですねと、こちらを褒める

余裕さえ携えていた。

それなのに私ときたら、いたたまれずその場から逃げるように立ち去って

しまった。

私より4・5歳は若いだろうか、どこかで会ったことがある女性だと思うの

だが、いったいどこで会ったのかまったく思い出せずにいた。


庭園の散策から戻りロビーのソファに腰掛けると、まるで私が戻ってくるのが

わかっていたようにお茶が運ばれてきた。



「お茶をどうぞ」


「ありがとうございます。いただきます」



芳しい香りのする煎茶椀を口に運んだ。

緑茶のまろやかな口当たりが、朝食前の体に優しく浸透していく。

二口目を含みながら窓の外に目を向けた。

夫婦連れらしい一組のカップルが、話しながら散歩をしているのが見えた。

互いを見つめる目が微笑ましく、あんな風に朝のひと時を過ごせたら、

それだけで幸せなのではないかと思う。

私の横にも、寄り添うように立ってくれる人が現れるだろうか。

宗一郎さんとなら……そう思いかけて首を振った。

彼の横にも、私の横にも、将来それぞれ違う人がいるべきなのだ。


けれど、想いを止められなくなったら…… 

焦がれる想いに陥ってしまったら……


今の私なら、人目を忍んでも会いたいと思うかもしれない。

誰にも認められずに、自分の想いに正直でありつづけた叔父のように……

愛してはいけない人を求め、周囲に非難されようとこの想いは純粋なのだと

言っていた叔父の気持ちを、このとき少しだけ理解したような気がした。

私も叔父と同じような境地になれるだろうか。 

いいえ、それはまだ無理。

私はまだ、迷いの中にいた。