初夏の風が心地良く肌にあたる。

小さい頃、バルコニーの手すりに上ってはよく怒られたものだ。

柵越しに見える風景ではなく、一面に広がる庭が見たくて、台を持ち込んだり

よじ登ってみたりもした。

やがて背が伸びて、そんなことをしなくてもよくなると、まだ幼かった静夏が

自分も見たいと駄々をこね、 

静夏を抱き上げて庭を見せてやったこともあった。

歳が離れていたこともあり一緒に遊んだ記憶は少ないものの、この家には妹と

過ごした思い出が確かに残っている。

私や潤一郎は、妹から ”兄” と呼ばれたことがなかった。

母の呼び方を真似たのだろう。 

”そう” ”じゅん” と呼び捨てだったが、それが可愛くもあり、

ずっとそのままできた。



「風が気持ちいいわね」


「おまえなぁ、いい加減にしろ。

彼女のことは口にするなとあれほど言っただろう」


「私が話をしなくても、あちこちで珠貴さんの話題がでるんですもの。

気になって仕方がないのよ」


「だからってなぁ」


「珠貴さん、お家を継がれる方なのね……宗、どうするの?」



悪びれた顔もせず突然話を変えてきた静夏は、私の心の奥の襞(ひだ)を

刺激した。



「どうって、何が」


「またとぼけるんだから。昔っからそうだったわね。

自分の感情をおし込めてしまうところ、変わってないわね」


「性格なんてのは、そんなに変わるもんじゃない」


「珠貴さんにお会いしたのはほんの短い時間だったけれど、

私、あの方好きよ。自分をしっかり持っていて、真っ直ぐ前を見つめる人ね。

でも、宗と一緒……自分をおし込めてしまう……だから分かり合えるのかしら」


「わかったようなことを言うな」



静夏に言われるまでもなく、自分に珠貴と同じ部分があることは感じていた。

一見大胆に思われがちだが、繊細な感情を隠し持っている。

妹の鋭い観察力は、私の心の襞に織り込んだ秘密を言い当てる。

理美との婚約解消のときもそうだった。

みなが私を非難する中、静夏だけは私を擁護してくれた。

だからと言うわけではないが、静夏が想い続けた相手との決別を決め、

旅立ったとき、私は黙って見送った。

そんな妹のことだ、わかりすぎる私の思いに苛立ちがあるのだろう。



「だって……珠貴さん、誤解したままでしょう? 私、責任を感じるわ」


「責任を感じるなら、付き合って欲しいところがある。

NOの返事は受け付けない」


「相変わらず強引ね。それで、なぁに?」


「来週末、『榊ホテル』 が主催するパーティーがある」


「パーティー? 榊ホテルって、狩野さんのホテルね」


「パートナーとして同席して欲しい」


「どうして私? それこそ彼女に行ってもらえばいいじゃない」


「今の状態で言えるか」


「そうよね……わかりました。私に断る選択肢はないのね」


「そうだ、おまえには責任を取ってもらう」



半ば脅すように静夏に約束させた。

その席に珠貴も出席する予定だと聞いていた。

静夏を伴っていれば、前日の誤解をとく機会もあるはずだ。


庭へ向けていた視線を手元に戻した。

腕時計の針が11時を示している。

いつもなら、珠貴の声を聞いている時間だ。


彼女は今夜も私の電話を待ってくれているだろうか。

それとも、声も聞きたくないと思っているのだろうか。


ポケットの携帯に触れながら、今夜の電話はなんと切り出そうかと考えて

いたが、母の呼ぶ声が私の思考を中断させた。

その夜、私は珠貴への連絡の機会を逸してしまった。