『本当に駄目な母親ねぇ…』

『結莉ちゃんのママは、結莉ちゃんの事考えてないのよー。可哀想にねぇ…』

いつから言われてきたのかは、覚えていない。
ただ、幼稚園生の頃には既に言われていた、祖母からの言葉。

そして
『また私の文句、言ってたんでしょ…』
と、また祖母の文句を話す母。

私、片桐結莉は、この祖母と母の間で育ってきた。

毎日聞かされる愚痴を、まだ小さかった私は、とりあえず2人の機嫌が悪いということだけを認識し、あとは聞いているだけだった。

そんな2人のおかげ、と言っていいのかは分からないけど…私は何をしたら、何をやったら、人の機嫌が悪くなるのかを先に考える癖がついた。

小学校入学前に、ランドセルを買いに行った時も、母と父が決めた赤いランドセルが、私はあまり好きではなかった。

それでも
『結莉のランドセルは赤だよー?♪』
と、楽しそうに言われれば「私、水色がいい…」と言えず、親の機嫌をとるために我慢して赤いランドセルになった。

これが私の感情の始まりだった。