私は虐められっ子で、美穂ちゃんは虐めっ子だった。

本来なら此所で虐めが成立しちゃうところなのに、私たちは幸か不幸か遠いながらに親戚同士だった。

私が誰かに虐められていると、仕方ないなぁという風に美穂ちゃんが私を助けてくれる。

これが中学へ上がるまでの私たちだった。

中学に入ってからは、ほとんど関わり合いもなくなった。

私が私立の中学へ進んでしまい、そのせいで会える日も減って行った。

美穂ちゃんは同じ学校の友人とバンドを組んだらしく、その練習に忙しかったらしく、会えるのは年に3回くらいだった。

中学を卒業してから、再会した。

何故だか同じくらいの時期に2人とも高校を中退してしまっていた。

一緒に遊ぶことが多くなったけれど、かつてのように無邪気な遊びではなかった。

2人で繁華街に出て行って、ナンパされるのを1日中待っていたり。

試しと言ってお酒や煙草をやってみたり。

何でも恐る恐るの手探りではあったけれど、私たちはそれらをそつなくこなしてしまった。

他の高校生たちよりも早く大人になっていっているという気分だった。



美穂ちゃんのことは、小学生の頃から好きだった。

当初は憧れに近かったけれど、再会してからは同等な立場から好きになった。

同じような感覚を持っているように思えたのだ。



なのに。



「東京って遠いよね……」

私の言葉に、後ろの席の男子が身を乗り出して来た。

「何、坂崎さん東京の大学行くの?」

だと良いんだけどねー…。私は返事をするのも億劫になり、首を横へと振った。

大学は、県内の宗教学科のあるところに決めていた。

どうしても宗教について勉強したかった。妙な執着があって。

「だよねー。あ、何処の大学志望?

良かったら同じ大学も受けてみない?」

しつこく背後から質問攻めをされ、私は舌打ちをしながら振り返った。

「お寺の子がキリスト教学科って……無理でしょ。」

私の言葉に、男子は「え」と目を丸くしてから、一気にがっかりしたような表情に変わった。

「そっかー、坂崎さんってプロテスタントの中学出身なんだっけー。」

「Yes」

短く返し、私は再び黒板を見た。

先生が去って行った後の黒板には、ぼんやりと美穂ちゃんの顔が浮かんで見えた。


しばらくして、真夜中に美穂ちゃんから電話がかかってきた。

眠たくなくて本を読んでいたために、ワンコールで取ることができた。

私がもしもし、と言わずにいると、向こうは躊躇ったように切り出して来た。

「坂崎、一緒に東京行かない?」

と。

私は読んでいた本を閉じて、ケータイを持ち直す。

答え方が分からずに、馬鹿みたいに聞き返してしまった。

「1人暮らし、不安なんだよ……」

東京には彼氏がいるんじゃなかったっけ?

私は首を傾げながらも、そのことは言わないでおいた。

「私、大学進学したいんだ。

できることなら、こっちのN大。」

本当は良いよと言いたかったけれど、数分で決めて良いようなことでもなかった。

親に言ったらどう考えても反対される。

私の両親は一般家庭よりもずっと厳格だから。

「だよなー、そうだよなー。」

電話の向こうの美穂ちゃんは、また泣いていた。

私が返事に迷っていると、彼女はプツリと通話を切ってしまった。



慌ててかけ直したが、「運転中です」とテクノボイスが聞こえてくるだけ。

美穂ちゃんは電話に出てくれなかった。



通り魔殺人のニュースを聞きながら、朝食を口へと運んだ。

私だって人くらい殺したいさ……。

小さく溜息をついて、私は食器を流しへと持って行く。

必要以上に洗剤をスポンジに乗せて、流しを泡だらけにしながら洗い物をした。

憂鬱な気分が晴れないままだったけれど、それでも予備校へは行くことにした。



男子は相変わらず私の後ろの席へと座る。

そして、ちょっかいをかけてくる。

適当にあしらおうとも思ったけれど、ふと思いついて私は振り返った。

「ねぇ、君さ。

私が東京の大学へ行ったら、君も東京まで来てくれる?」

男子は少しだけ驚いたような顔をして、それから首を横へ振った。

「だよねー、そうだよねー。」

昨日の美穂ちゃんみたいに私は相槌を振って、すぐに椅子へと座り直した。

いつものように昨日の分のルーズリーフを整理する。

している途中で、背後から声が聞こえた。

「好きだからって、ずっと一緒にいるのはおかしいと思うし。」

こいつにしてはまともな意見だ……。

私は振り向かずに小さく頷いた。

「離れていても、気持ちは簡単には変わらないだろうし。」

それは人次第だけれど…とも思った。

案外この人になら言ってもいいような気がした。

さすがに家庭の事情のことまで話すのは嫌だったから、結局は黙っておいたけれど。


美穂ちゃんが使っているMAYBELLINEのマスカラを、薬局で購入した。

アイプチも真似しようと思ったけれど、やめた。

マスカラを1本だけ持ってレジへ行く。

平日から私服で買い物に来ている高校生を見て、パートのおばちゃんは不審そうな顔をしていた。



家に帰ってすぐ、マスカラを試してみた。

今まではマスカラよりもつけまつげの方が好きで、マスカラをする時も100均で買ったダマのできやすいものばかり使っていた。

不慣れだからか、目の端や目の中に黒ずみが付いてしまった。

昔から、不器用なのだ。

美穂ちゃんと違って、簡単には何もできない。

料理も洗濯もお掃除も、最初は何もできなかった。

美穂ちゃんがいなくなっちゃったら、私はマスカラもろくにできないまま大人になるのだろうか。

1人暮らしが不安なのは、私だって一緒だ。

美穂ちゃんと一緒に住みたい。

その気持ちもある。



もう1度、電話をかけてみた。

やはり繋がらなかった。

仕方なく自宅にかけてみた。

すぐに美穂ちゃんのお母さんが出た。



「美穂のこと説得して下さい。

あの子、東京に行く為にバイトたくさん入れたりして、私たちの言うことまったく聞かないんです」

美穂ちゃんのお母さんは、そう言ってから電話を美穂ちゃんに取り次いでくれた。

私に説得なんてどうせ無理だ…、そう思っていたけれど、何故だかやけに緊張した。

電話の向こうの美穂ちゃんはやけに不機嫌だった。

「ケータイ、出てくれなかったから。

家にかけちゃって、迷惑だった?」

私のことなど一切無視するように、美穂ちゃんは言った。

「東京、行くから。」

行けっこないのに、非現実的にも程があるのに、それでも美穂ちゃんなら東京に行ってしまいそうな気がした。

ご両親にちゃんと止めて貰いたかったけれど、彼らはきっと心の底では美穂ちゃんが東京へ行くことを望んでいるのだろう。

もう、止めるのは私くらいだと思った。

「東京の彼氏、良い人じゃないんでしょ?」

電話の向こうは、無言だった。

少しだけ時間をおいて、不機嫌な声が聞こえてきた。

「彼女が、できたんだって。」

じゃあ……と私が言う前に、美穂ちゃんは言った。

「でも、行くから」と。



「私と離れて、寂しくないの?」

思いきって聞いてみた。

美穂ちゃんは少しだけ言葉に迷ったようだったが、やがて「うん」と言った。

「とにかく家を出たい、それだけだから。」

電話はまた一方的に切られてしまった。

何デだよ……。

私は小さく呟いて、ケータイを床に叩きつけた。

誰もいない家に、その音は大きく響いた。


美穂ちゃんの家へ訪れたのは、模試が終わってからだった。

あまりにも散漫な結果に、両親からは顔をしかめられた。

「あんた、これでN大はちょっと…。

レベル下げるか、もっと頑張るか、どちらかにしなさい。」

家を出る時に母親から言われた言葉が、ウォークマンを無視して頭の中をリピートする。

別にN大じゃなくても構わない。けれど、今更言い出せなかった。

高校を辞めたことだけでも両親への負い目なのに、志望校まで下げたくはなかった。

周りからの目を親が気にしていることは知っていたから。



――家族なんだから…。

家出を重ねる美穂ちゃんにそう説得したことがあったけれど。

あぁそうか……家族だからこそなんだ。

がっかりさせたくないんだ。

遠慮しちゃうんだ、お世話になった分。



美穂ちゃんは留守だった。

その間に部屋を確認して欲しいと言われ、私は美穂ちゃんの部屋へ通された。

想像していたよりはずっと整頓された部屋だったけれど、机の上は雑誌やノートが山積みになっていた。

たくさんの原宿系ファッション誌を私は仕方なく整頓し始める。

私の影響を彼女がモロに受けてしまったことを悟った。

――青文字系って感じじゃなかったじゃん、美穂ちゃん。

心の中で思いながら、雑誌を発行順に集めて壁に立てかけた時だった。

残された雑誌以外の冊子に目が留まった。



「――専門学校?」

声優養成で有名な専門学校のパンフレットが、雑誌に隠されるようにして置かれていた。

私も興味のあるテーマに、思わずパンフレットをめくった。

シャープペンが目印にはさまれていた。

学費についてのページだった。

書き込みがある。

『あと○万円!!』

思わず美穂ちゃんのお母さんを部屋に呼びそうになる程、私は宝物を見つけたような気持ちになっていた。

それは嬉しいだけではなくて、大きなものを見つけてしまった戸惑いも含まれる。

残っている冊子にパンフレットを挟み隠そうとして、私はまた目を大きく見開いた。

残っているものはすべて、難関私立大学のパンフレットだった。

高校中退して、しかも予備校にも通わず、勉強もしていない。

そんな美穂ちゃんが興味を持つはずもないような有名校ばかりだ。

付箋が貼られているページを1つ1つ確認して、息を呑んだ。


下の階へと降りて行くと、美穂ちゃんのご両親は深刻そうな顔で彼女のことについて話しているところだった。

私に気付くと慌てて話をやめて、無理な笑顔を見せてくる。

「どうだった?

変なクスリとかお酒とか、置いてなかった?」

そんな心配をしていたのか……私は溜息を飲み込みながら、首を横へと振った。

「彼氏のところへ行くのは、理由ではなかったみたいです。」

私の言葉に、ご両親は顔を見合わせた。



「美穂ちゃんって、前に声優の養成所に通っていましたよね。」

私が言うと、彼らは今思い出したかのように驚いた顔をして、「あぁ…」と頷いた。

中学の頃だ。

「月謝があまりにも高すぎて払えなくなって…。すぐに辞めさせちゃったんだけどね。」

美穂ちゃんのお母さんは困ったように笑った。

それまで声優のCDや雑誌を買っていた美穂ちゃんは、自分の夢が叶わないと悟った途端、「虚しいだけだから」と言って全部捨ててしまった。

彼女が悪い方向に進み始めたのは、その頃からだった。



「美穂ちゃん、このためにバイトしていたみたい。」

私が東京で有名な専門学校のパンフレットを差し出すと、美穂ちゃんのご両親は恐る恐るパンフレットを受け取ってくれた。

そして、私と同じように学費のページへ辿り着いた。

「夢を叶えるために、1人ででも頑張ろうとしていたんじゃないですか、多分。」

これから1人で歩き出さないといけないから。

誰も協力してくれないから。

不安で私の元へ通っていたのだろう。

1人で東京で暮らせる自信がなくて、だから私のためにキリスト教学科のある大学をわざわざ探してくれたのだ。



ご両親に挨拶をして、私は家を出る。

きっと、美穂ちゃんは東京へ行かせてもらえるのだろう…。

そう思った。

彼女の机の上から勝手に貰ってきたパンフレットが、鞄の中で嬉しそうに揺れる。

「頑張ろっかな。」

N大よりも偏差値の高い大学たちに苦笑しつつも、私はペダルを大きく漕ぎ出した。



世界はきっと良い方向に回り始める。


いつもの席に着くと、私と僅差で教室へ入ってきたあの男子もやはりいつもの席へ着いた。

鬱陶しそうな顔をして振り返ると、私と真逆に男子は満面の笑顔で此方を見ていた。

「坂崎さん、最近楽しそうだね。」

そう指摘され、私は慌てて自分の顔を両手で触る。

頬は全然緩んでいなかった。

私がムッとしているのが分かったのか、男子はまた嬉しそうに手を叩いて笑う。



「東京…」

私が小声で呟くと、男子は「ん?」と身を乗り出して来た。

「私、東京の大学行くから。」

私の言葉に、男子は一瞬キョトンとした。

それから、大きく溜息をついて机に突っ伏した。

「この間は偉そうなこと言ったけどさ……、

遠いね。」

私も小さく頷く。

生まれ育った名古屋を離れるなんて、自分でもあまり考えられなかった。

両親に言った時も、「途中で簡単に帰って来られるような場所じゃない」と反対を受けた程だ。

観光では行ったことがあるけれど、人の多さに圧倒されてほとんどの時間を喫茶店で過ごしたことをよく覚えている。

「手紙とか書いていい?」

男子に言われ、私は「面倒い」とだけ答えた。

「え、じゃあメール!メールなら良いだろ、メアド教えて。」

教えた後ですぐにメアド変更しておこう…そう思いながら私は彼のノートの隅にアルファベットを並べた。

mihoから始まる、中学の時から大切に使っているアドレスだ。



男子からルーズリーフに書かれたアドレスを受け取り、ケータイに保存する。

している間に気付き、慌てて振り返った。

「君、名前なんて言うの?」

私の言葉に男子は「え?」と聞き返してきた。

お互いに目を見開いたまましばらく馬鹿みたいに見つめ合っていた。

やがて男子は再び机に突っ伏した。

「俺、名前すら認知されてなかったのかあああ!」

「うん、ごめん。まったく興味なかった。」

教えてもらった川原という苗字をケータイに入れた。

「これからは名前で呼ぶように心がける。」

私がそう言うと、男子はまだ拗ねた表情のままだったけれど、少しだけ笑った。




「2人での新幹線、初めてじゃない?」

私の言葉に、髪を赤色にした美穂ちゃんは笑った。

「お前、私が大阪誘った時モデルのオーディションか何かで断ってきたもんなぁ。」

懐かしい話どころか黒歴史を持ち出され、思わず顔を覆って「わー!わー!」と大声を上げてしまった。

そんな私の頭を両親は大きく叩き、美穂ちゃんに愛想笑いを浮かべた。

美穂ちゃんと同じ美容室で、私も髪をオレンジに染めてみた。最初は卒倒しそうな程面食らっていた両親も、そのうち慣れたらしい。

旅立ちの今日まで、散々ヤンキーと馬鹿にされた。

「気を付けて行ってこいよ。」

美穂ちゃんのお父さんが言った。

「辛くなったらすぐに帰って来なさい。」

私の父親が言った。

私と美穂ちゃんは顔を見合わせて、それから父親たちを見て笑った。

ホームに滑り込んできた新幹線に、私たちは軽い気持ちで飛び乗った。

私たちの両親は名残惜しそうに此方を見ていたけれど、彼らの顔をまともに見ないまま、座席へと座る。

「同室だって。部屋、ロリィタっぽく改造しちゃおうよ。」

私が言うと、美穂ちゃんは「ぉぇ」と顔を顰めた。

「そんなことしたら、私は別の部屋に移動するからな。」

そんな会話をしているうちに、新幹線は動き出す。

私たちは慌ててカーテンを上げて窓の外の両親を見た。

彼らはずっと私たちの方を見ていたらしい。

涙ながらに手を振られてしまい、思わず笑ってしまった。

手を振り返しているうちに、窓の外は田んぼへと変わっていった。



静岡を過ぎる頃に、メールが来た。

画面に浮かび上がる「川原」という文字に、思わず窓の外を見てしまった。

「何ー、彼氏?」

美穂ちゃんに手元をのぞき込まれ、私は慌ててケータイを閉じた。

「お前、私一筋なんじゃなかったっけ?

浮気か?浮気だろー」

ふざけた調子で言われ、私は思わず笑ってしまう。

美穂ちゃんの肩に手を回し、「俺には美穂だけだよ」と囁くと、勢いよく頭を叩かれた。

ケータイを開き直し、メールを読む。

「行ってらっしゃい」という一言だけのメールに、「行ってきます」とだけ返した。

離れていても気持ちは変わらない、そう言ってくれた彼の言葉を信じてみたいと思った。


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