「おはようございます」


お腹から声を出して、一歩を踏み出す。

一瞬フロアに入る時に足に力が入らなかったけど、負けるなと何度も自分に言い聞かせた。


私には仕事しかない。

こんな所で立ち止まっていられない。

私は強い。

何度もそう言い聞かせた。




――…あの事件後、例の男は退職したそうだ。

どうやったかは知らないけど、櫻井さんがそうさせたんだとか。


何度も経緯を聞いたけど、知る必要はない。の一点張りだった。

恐らく襲われたあの日、私を事務所の外に置いて、1人あの男と話していた時に既にこうなるようになっていたのかもしれない。

もしかすると、私が想像しているより遥かに凄い男なのかもしれない。

この櫻井駆という男は。


でも、おかげであの忌まわしい事件は幕を閉じた。

夕日と一緒に帰る日々も終わりを告げた。

普通の生活に戻って何日か経つが、周りは何も知らずに噂になる事もない。

きっと、櫻井さんが根回ししてくれたんだと思う。


やっといつもの生活に戻れた。

朝起きて、深夜まで仕事をして。

それの繰り返し。

そうやって、また穏やかで変わらない日々を過ごしていける。



だけど、人生はそんなに甘くない。

神様なんて信じないけど、きっと掌で踊る私達を嘲笑っているんだ――。