「佳乃子(かのこ)はもうどのサークルに入るか決めた?」

大学一年生の、4月16日、火曜日。春の陽射しはあたたかくて、少しだけつめたい風は髪をとかして過ぎ去っていく。

「んー…まだ、かな…」

佳乃子は高校時代からの友人・栞と二人で、春のぽかぽか陽気の中を歩いていた。どこに向かうでもなく、ただ大学の敷地内をふわふわと回る。

「そっか。でも佳乃子って歌上手いでしょ?そっち方面には興味ないの?」

たどり着いたのは、とてもきれいな丘だった。栞は近くのベンチに腰をおろす。

「…歌、かぁ…」

佳乃子は栞の隣に座り、背もたれに寄り掛かって空を見上げた。真っ青な空は白い雲の絵の具と混ざり合い、淡いパステルカラーをしている。

「好きだよ、歌。」

佳乃子は丘の上に一人佇む木に視線を移し、やわらかな表情で言った。

「よかった!」

「…え?」

佳乃子は友人の突然の言葉に、とっさに横を向く。

「佳乃子ならそう言うと思った。」

まだ訳のの分からない佳乃子は、頭に疑問符を浮かべたまま、栞の次の言葉を待っている。

「ここ、アカペラサークルの活動場所なの。」

「…アカペラ…って、時々テレビでもやってるあれ?楽器使わないやつ。」

少し状況を理解した佳乃子に、嬉しそうに栞が頷く。

「聴いてみない?」

「…聴きたい…かも…」

なんだか少し照れ臭そうに、佳乃子が言葉を発した瞬間だった。

「栞ー!」

突然、元気な声が飛び込んできた。声のした方を見ると、髪の長いきれいな女の人がこちらに手を振っていた。

「香苗先輩!お久しぶりです!」

友人がその女性に駆け寄る様子を、佳乃子はただぼーっと眺めていた。

「元気ー?変わってなくて安心したよ!」

「先輩もお元気そうでなによりです!…あ、佳乃子!」

佳乃子は、名前を呼ばれてはっとする。急いで立ち上がって、香苗先輩と呼ばれた女性に、ぺこりと頭を下げた。

「あの子が電話で言ってた子?」

「はい。佳乃子っていいます。」

「かのこちゃん、おいでよ。」

香苗に手招きされ、佳乃子は少し遠慮がちに二人のもとへ駆け寄る。

「香苗先輩、佳乃子です。」

「はじめまして。よろしくね!」

近くで見るとますますきれいな人だなぁと思いながら、佳乃子はよろしくお願いします、と再び頭を下げる。続いて、栞は香苗についての紹介をする。

「香苗先輩は、私が高校まで通ってた書道教室の先輩なの。今はアカペラサークルに所属してるから、友達と見学に行きますって昨日伝えてたんだ!」

佳乃子はこの急展開に、体半分ほど取り残されながらも、案内されるままに足を進める。たどり着いたのは、大きな建物の二階にある部屋だ。中からは、ざわざわという音が聴こえる。

「人、結構いるみたいだね…」

佳乃子は少し不安そうに友人の袖を軽く二、三回引っ張る。その様子を見た栞は、にこにこ笑顔を佳乃子に返す。香苗が開けたドアから、たくさんの人の姿が目に飛び込んできた。

「かのこちゃんって人見知り?」

香苗が振り返る。

「あ、はい少し…」

不安そうなかのこに、香苗は優しく笑う。

「大丈夫だよ。いいやつばっかりだから。」

その言葉に後押しされ、部屋に第一歩を踏み入れる。その中はあたたかい空気の歓迎ムード。佳乃子以上に縮こまっている男の子もいれば、もう馴れた様子で談笑する女の子もいる。

適当に座って、という早苗の言葉にならって、二人は空いている場所に腰をおろした。

「はーい!茶話会始めます!」

突然、早苗の声がマイク越しに響く。数名がその音量に一瞬体をびくつかせた。

「一年生の皆さん、今日は『あ・かっぺら!』の茶話会に来てくれてありがとうございます!早速ですが、今日は二曲ほど歌わせていただきます!」

早苗の挨拶に、部屋にいる全員が拍手で応える。早苗の横に左右あわせて五人が並び、それぞれがマイクを握った。反射的に部屋が静まり返る。かのこは不思議な緊張感と期待に包まれていた。



うたが、はじまる。



佳乃子は衝撃に、全身を支配された。

(きれい…)

三人の声だけで織り成される絶妙で繊細なコーラスの和音、重厚感があり、胸の真ん中に響いてくるようなベース、楽器のような音を、機械のように正確なリズムで打ち出すボイスパーカッション、そこに早苗のリードボーカルが加わる。

佳乃子はただその音楽に耳を傾け、目を輝かせていた。



(これは…やばい…)







篠崎佳乃子(しのざきかのこ)。
19歳、大学一年生。

うたに、であいました。