厚着をしてもそれぞれの口癖が『寒い』に変わる頃。冬の足音は確実に近づいていた。
七菜子は週番の仕事を頼まれ、一人教室に残っていた。
日誌を書き込んでいたペンが、手から滑り落ちる。
慌ててそれを取ろうとした手が、ふと止まった。
夏の日の記憶が脳裏に浮かんだのだ。
奏多が初めて話しかけてきたあの日、訳も分からないままに屋上へと続く階段に連れていかれた。
『一目惚れーー好きになっちゃったんです』
普通の女の子ならぱ、しあわせの限りを尽くす出来事だろう。
けれども七菜子は、困ったことになってしまったと全力で嘆いていた。
つい昨日のように感じるあの日を思い出してみると、不思議と笑みがごぼれた。
「うれしかったなあ」
無意識にこぼれた一言が、それからの奏多との会話を思い起こさせた。
次第に彼のことを知ると、いつしか笑っていたような気がする。
奏多も笑っていた。
今は心の底から笑うことがない。
どうしても頬が引きつってしまうのだ。
奏多はどうだろうか。
七菜子自身が側に居なくてもきっとーー
「心から、笑えるんだろうなあ――」