「……あの競合プレゼンの時、」

「うん」

「企画書に長嶺の名前もあった」

朧げな記憶を手繰り寄せ、ポツリと呟いた私に、カンちゃんは小さく頷いて、

「あれは、榊原さんの意思じゃないと俺は思ってるよ」

何故か少しだけ、切なそうに微笑んだ。


「日和の案を使ったのは事実だけど……。きっとあの時も、俺達がクライアントに働きかけるのを妨害しようと思えば出来たはずなんだ」


今更そんなことを知った私の脳裏に、「俺は好きだったけど」と言ったあの時の榊原さんの表情が蘇る。

だけど、今はそれよりも……。


「……カンちゃん?」

「なぁ、日和」

私の言葉を遮るように、名前を呼んだカンちゃん。

それに私は小さく首を振る。


だって、カンちゃんがこの声のトーンで私を“日和”って呼ぶ時は――……

「榊原さんは、どうしてそうしなかったのかな?」

「知らない」

「どうして榊原さんは、日和に“自分は使われてたんだ”って、本当のことを言わなかったんだろう?」

「そんなの、わからない」

自分と私の間に、無理やり一線を画そうとしている時だ。


だから、聞きたくないのに。


「じゃー、ここに来るのに、日和の背中を押してくれたのは誰?」

カンちゃんの言葉の全てが、榊原さんの気持ちを代弁していた。

――全ては、私の為。

私が何も迷う事なく、カンちゃんの元に行けるように。

もう自分の事を、思い出さないように。


「榊原さんは今、きっと独りだ。多分長谷川企画にもいられなくなる」

今更知ってしまった彼の真実に、胸がギシギシ痛み出す。


そんな私を真っ直ぐに見つめるカンちゃんは、「榊原さんの事は、俺も何とかしてみるよ」と微笑んで、

「俺と日和は、月と地球みたいなもんだな」

キラキラと星が光る天を仰ぎながら、小さな声で呟き、私の頭を優しく撫でた。


「交わらなくても、ずっと傍にいることは出来る」

「カンちゃん……?」

嫌だ。
やめてよ。

「俺は、日和のことが好きだよ」

「私も…好き……っ」

その言葉に、カンちゃんはまた小さく頷いて。

「だけど、俺が今『日本に帰らないでここに居て』って言っても無理だろ?」

「イヤ……だ!! カンちゃんの傍にいたい!!」

「日和」

もう何度こうして、カンちゃんに優しく名前を呼んでもらっただろう。


「俺が無理なんだ」

「嫌だ……っ」

駄々をこねる子供みたいに――ただ“イヤイヤ”と頭を振る私の頬に手を添えて。

カンちゃんは涙を掬い取るように、瞼にキスを落とす。


「俺の傍にいても、日和はきっと毎日自分を責める」

「カンちゃん――!!」

「“どうして榊原さんを助けなかったんだろう”って、自分を責め続けるだろ?」


泣き崩れる私の髪を、カンちゃんの大きな手が優しく梳いて――

「そんな日和を見続けるのは、きっと俺が耐えられない」

ゆっくりと離れていった。