「俺が新人の頃、H・F・Rに長嶺っていう上司がいた」


――“長嶺”。

聞いたことのない名前のはずなのに、何だろう。

私はその名前を、知っている……。


記憶にない事のはずなのに、“知っている”――まるでデジャヴのようなその感覚に、心臓がバクバクと音を立て、背中を気持ちの悪い汗が流れ落ちる。


「俺の“地球”を使おうって、最初に言ってきたのはそいつだったんだ」

「……え?」

榊原さんは、自分がそう提案したと言っていたはず。

「その人は、すごく優秀だと言われていた」

「……」

「入社当時から優秀だった榊原さんの新人研修の担当をしていたのもその人。研修の後、榊原さんが配属されたのも長嶺のグループだった」


今いる沼田部長と同期だったその人は、歴代最速で課長という肩書を手に入れた人で、後輩の面倒をよく見て、上司受けもいい人間だった。


「だけどそれは表面上だけでさ。あの人は、自分のグループから独立した部下に仕事を取って来させて、いい物は自分に回すようにさせていた」


心臓がドクドクと大きな音を立てて、酷く耳障りだ。

それに、胸も苦しい。


「あそこには、間違えた上昇志向を持つ奴らもたくさん混ざっているから……。いい仕事を取ってきた奴には、それなりの“見返り”があったんだろうな」


長嶺というその人の下についた人間は、次々に出世していくか、突然仕事を辞めていく。


「あの頃の榊原さんは、俺のせいで周りが見えなくなってたんだ」

感情を抑え込むように淡々とした様子で話すカンちゃんの瞳に、時々悲しみの色が射す。

それに気が付いて涙を零す私に、カンちゃんはフッと表情を緩めて、「大丈夫」と涙を拭ってくれた。


カンちゃんに打診をして断られた長嶺は、カンちゃんと仲が良かった榊原さんに“仕事”を取ってくるように言いつけて……。


「あの地球は、“自分の部下の榊原”の功績。――それでますます上に登り詰められると思ったんだろうな」


だけどカンちゃんのあの“地球”は、自分が思っていたよりも知名度がある物で、気づかぬうちに自分の首を絞める事になる。


「高幡先生が会社まで説明を求めに来た時、最初に対応してくれたのが沼田部長だった」

今でも熱血教師のように真っ直ぐ仕事をこなす彼にとって、その事実は許せないものだったのだろう。

沼田部長は、すぐに榊原さんと、“チーフアドバイザー”としてわざわざ企画書に名前を残していた長嶺を問い詰め、上層部に報告をした。