幸いなことに、半沢さんは前者だったようで「急にすみませんでした」と頭を下げて、そろそろ仕事に戻らないとと、カップの中のコーヒーを一気に飲み干して去って行った。


「あー……。疲れた」

なんて、言っちゃいけないのかもしれないけれど。


知らない人とのビジネス以外での会話に加えて、まさかの軽い恋愛トークでしょう?

そりゃ疲れますって。


脱力して、思わずソファーの肘掛けにダラーンと寄りかかる。

目の前に広がる39階から眺める空は、相変わらず真っ青。


でもそろそろ仕事の戻らないと……。

そう思って、腕時計に視線を落とした時だった。


「南場さん、そんな格好していると“クールビューティ”の名に傷がついちゃうよ?」

「……」

「あれ? どうしたの?」

後ろから聞こえたワザとらしい棒読みの台詞に振り返ると、案の定、そこにはワザとらしいニセ笑いを浮かべたカンちゃんが立っていた。


「お疲れ様です宮野さん休憩ですか?」

句読点もつけずに棒読みで返事をすると、カンちゃんはククッと笑いながら自販機でコーヒーを買って私の隣に腰をおろし、

「薄っ! このコーヒー薄いな!」

と、私と同じ感想を述べる。


「それ、既出です」

「あ?」

“あ?”って。

さっきまでの、爽やかな“宮様”は一体どこへ。


「さっき私もそれと同じ事を思ったので、違う感想をお願いします」

それに「別に同じでもいいじゃねーかよ」と笑いながら、仕事用のメガネを胸ポケットに放り込んで背もたれに寄りかかった。


「あー、疲れた」

「……」

「何だよ」

「いえ、別に」

仕事中にも関わらず、まるで家にいる時のような態度と口調。


こんなところを誰かに見られたら、変な誤解をされかねない。

だから、せめて私はお仕事モードを保とうと、素っ気なく返事をしてまた窓の外に目を向ける。


そもそも、一緒に住むことになった時に「会社では、二人の関係を秘密にすること」という条件を出してきたのはカンちゃんの方なのに。


3年前、私がこの会社に就職が決まった時、宮野家の長男の薫《かおる》伯父さんが「恵比寿で働くなら、駅近くのマンションをタダで貸してやろうか?」と、何とも素敵な提案をしてきた。

だけど、甘い誘惑には罠が潜んでいるというのは世の決まり事。


引っ越し当日、引っ越し業者よりもひと足先にマンションについた私が見たものは……。

脱衣所から、上半身裸で髪から水を滴らせながら出て来た男の人の姿だった。


玄関からリビングに繋がる廊下で、お互い時が止まったかのように見つめ合い……。

「ぎゃー!!」と叫び声を上げた私に、その人は慌てて駆け寄り大きな手で口を塞いだ。


自分の家だと思っている所に知らない男(しかも半裸)がいた時点でパニックなのに、その人が私の体を抱え込むようにして口を塞いでいる。


「ヤられるーー!!」とバタバタ暴れる私。

そんな私の耳に届いたのはーー……。

「ヒヨッ! うっせー!! つーか、ちょっと落ちつけ!!」

という、どこか聞き覚えのある声だった。