「……うん」
産むのだけでもどれだけ辛いか、わかってないからそんな軽く言えるんだよね。
「あたしが…どんな思いで待ってたのか…」
「…だよな」
「新の検診だって…愛里の入園式も…まわりは夫婦なのにあたしは1人…
なにより子供がかわいそう」
「ん…ごめん」
「なんでこの時期にしたの?
愛里がもっと大きくなってからでよかったじゃん」
「……………」
「あんまりこうゆうこと言いたくないけどさ…
あたしや愛里よりarkが大事だってことでしょ」
恭が帰ってきてくれて嬉しいはずなのに。
こんなことしか言えない自分がやだ。
「乃愛「今日は…なに言っちゃうかわかんないしっ…あたし雅のとこに泊まらせてもらう」
このまま恭といたら言っちゃいけないことまで言っちゃうよ。
「……………俺だって急いで帰ってきた」
「もういいよっ…」
あたしは車を降りて道路に出た。
夜の道路は車がほとんどいなくて大丈夫だと思った。
だけど…
大丈夫じゃなかったね。
一瞬だった。
一瞬目の前が真っ白に明るくなって…
次の瞬間には体が宙に浮いたのがわかった。
「乃愛…!!!」
恭の声が、聞こえた。
あたしはそこで意識を失った。
*******
車を降りた乃愛が宙を舞ったのはすぐだった。
……………轢き逃げ。
乃愛の体が地面に叩きつけられたときはもうひいた車は猛スピードで逃げていった。
俺は慌てて車を降りて乃愛に駆け寄った。
「乃愛…!!!」
ドクドク溢れる血が夜の道を真っ赤に染める。
「乃愛っ、乃愛…!」
せっかく帰ってきたのに…
だいたいお前はいつもそうだ。
癌のときだって…俺が見つけたときにはもう死にそうだった。
「やだっ、やだ乃愛…」
頬を叩いても乃愛は反応しない。
なのに頭から血が溢れる。
「やだ逝くな乃愛…」
俺はもう無我夢中で乃愛を抱きしめる。
血、止まれよ…
「止まれよー…」
小さい子供のように泣きながら乃愛を抱きしめる。
「乃愛頼むからっ…」
「……っ…きょ…「乃愛…?乃愛…」
まだ意識があるみたいで安心する。
「…きょ…う…ご、めん…」
…頭だけじゃなかった。
体中から出血してる。
「だいすき、だった…」
「乃愛!」
「幸せ、だった…」
そんな最期の言葉みたいにっ…
「きょ…うに…あえて…幸せ、だった…」
「乃愛ぁ…」
「…………ごめん、ね」
乃愛の大きな目が、ゆっくり閉じる。
「乃愛…?乃愛?乃愛…」
「…………」
揺すっても叩いても反応しない。
「俺をひとりにすんなっ…乃愛…」
「……………」
「乃愛、乃愛!乃愛っ…乃愛っ、目ぇ開けろ…乃愛ぁあ…」
乃愛を抱きしめる腕に力が入る。
『恭ー?苦しいよー!』
いつも通りそう言って笑ってほしい…
「乃愛、すぐ救急車呼ぶからなっ…?頑張れよ…?」
震える手で救急車を呼ぶ。
救急車が来てくれるまで俺は乃愛の血が止まるように必死に抱きしめ続けた。
しばらくして視界いっぱいに赤いランプがうつった。
「運びます」
救急隊員らしき人が担架に乃愛を乗せ、運んでいく。
「お話聞かせてもらえますか?」
警察が俺に話しかける。
警察に話しかけられても俺の心は救急車のほうに向いていた。
………救急車は走り出さない。
走り出す気配もない。
「あの」
「はい?」
「なんで、あの救急車は病院行かないんですか」
「……あぁ…」
聞いてみたけど、俺は知っている。
救急車は、助からない人を乗せては走り出さないことを。
違う、と言ってほしかった。
「………乃愛に、会わせてください」
「…えぇ…どうぞ」
ふらっ、とめまいがした。
救急車に乗り込むと、乃愛が静かに眠っていた。
「乃愛…」
動かない乃愛を見て…後悔ばかりが溢れる。
俺が海外進出とか言わなかったら、とか…
無理矢理にでも車に引き止めたら、とか。
「の、あぁぁぁぁぁ…」
ガクッと膝の力が抜けた。
「ごめん…ごめん乃愛…!」
俺結局、乃愛のこと幸せになんかできなかった。
最期の最期まで苦しませた。
後悔と涙ばかりが、溢れた。
最愛の娘…愛里の誕生日、3月12日。
俺はこの日、最愛の妻を亡くしてしまった。
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