「空が好きなの。」

 私は、木製で作られた少し古びた持ち手に腰をかけ、丘の上にある小さな夜景スポットに昼間空を見上げていた。両手の指で四角を作り昔カメラと言って遊んだように、空に指を向けそれを下から覗いていた。そんな折だった。私の背後でその人が話しかけたのは。成人男性の低く良く通った声は私の鼓膜を刺激した。あまり、人に話しかけられるようななりの私じゃないから、尚更脳内に響いて張り付いた。そして、私はその声に導かれるかのように上を見上げていた首をその人の方に向けた。

 声の主は、声と同じように優しそうな人だった。スーツに身を包んだその人はブリーフケースを携えていた。仕事帰りなのかと思ったが今は昼間だ。寧ろそっちのが珍しい。なら、外回りだったのだろう。私は、じっとその人を見つめて思考していた。すると、その男性はクスリと小さく笑うと、その優しい瞳で私を再びとらえる。その瞳はあまりにも優しすぎたのだ。優しすぎたから正直に心が落ち着いた。そして、彼は再び口を開いたのだ。

「空が好きなの。」

 同じ質問だった。私は、その優しい瞳にやられたのだろうか。分からないけれど、その時、本当にどうかしていた。
 空を見上げながら、

「空は、優しい。どんな人でも大きな心で包んでくれる。優しいものは好きだ。だから、空は好きだ。」

 この、どうしようもない人間の世界で、私は生きている限り仕方ないことなのではないか。好きなのだから、好きなのだと。そんな思考の私を笑うのだろうか。笑うのであるならば、笑えばいい。私は人間には笑い慣れていた。だけども、彼はそんなことはしなかった。私の隣に腰をかけると、

「そうか。俺も空は好きだ。」

 と、呟いた。その言葉が妙に嬉しくて、気がついたら口許を緩めていた。そんな私を見てだろう。彼も優しく口許を緩めていた。それだけで、ここの心地が好くてつい気を許してしまったのだ。人間は冷たい。それゆえに儚い。そう思っていた。だけども、この人は初対面の私でも優しく微笑んでくれる。この人は優しい。それ故に儚い。儚くて眩しい。私もこんな人になりたかったのかもしれない。私も本当はこんなことにはなりたくなかったのかもしれない。そう、思考する頭の中で私は泣いていた。表だって泣くことはなくても心で泣いていた。それは、気付いていた。本当は、こんなことしていても意味がない。学校に行っても何も楽しいことがない。楽しいことがないから周りを軽蔑してしまう。そして、軽蔑してしまって初めて気づくこと。それは、私までもが汚いのだと気付かされる。気付かされたら私自身を自分で軽蔑して遠ざけてしまう。そして、気持ちの整理までもがつかないまま、ずぶずぶと私はのみ込まれて行ってしまう。黒い黒い何かに。私はのみ込まれ引きづり込まれてそこから出て来れないの。