一番上の姉はこのときすでに10歳で、突然現れた男を父と呼ぶことに抵抗していた。
学校の持ち物にも“水野”ではなく前の苗字を書いたりして、大人たちを困らせた。
その点、わたしはあっさりしていたと我ながら思う。
実の父の記憶がないおかげだろうか。
記憶も何も、会ったことすらないのだから当然だけど。
わたしが“お父さん”という言葉を発するたび、家の中に生ぬるい、だけど悪くない空気が流れるのを感じていた。
大人ってやつは子供に気を使わせる生き物だ、と幼心に思った。
お父さんには、小さな町工場を営む3歳年下の弟がいた。
家から自動車で30分ほどの高台に、夫婦ふたり暮らしだった。
叔父さんと、叔母さん。
子供のいないその夫婦は、わたしたちを義理の姪というよりは娘のように歓迎してくれた。
わたしが彼らになついていくのを、母はとても喜んでいた。
姉妹で叔父の家に泊まりに行くようになったのは、いつ頃だっただろう。
自分から行きたいと言い出した気もするし、むこうから誘われた気もする。
母に話すと、すぐに洗面用具や着替えなどを用意して、叔父の家まで送ってくれた。
母は嬉しそうだった。
なんとなく、わたしたちが家にいない方がお母さんは楽なのかな、と思った。
学校の持ち物にも“水野”ではなく前の苗字を書いたりして、大人たちを困らせた。
その点、わたしはあっさりしていたと我ながら思う。
実の父の記憶がないおかげだろうか。
記憶も何も、会ったことすらないのだから当然だけど。
わたしが“お父さん”という言葉を発するたび、家の中に生ぬるい、だけど悪くない空気が流れるのを感じていた。
大人ってやつは子供に気を使わせる生き物だ、と幼心に思った。
お父さんには、小さな町工場を営む3歳年下の弟がいた。
家から自動車で30分ほどの高台に、夫婦ふたり暮らしだった。
叔父さんと、叔母さん。
子供のいないその夫婦は、わたしたちを義理の姪というよりは娘のように歓迎してくれた。
わたしが彼らになついていくのを、母はとても喜んでいた。
姉妹で叔父の家に泊まりに行くようになったのは、いつ頃だっただろう。
自分から行きたいと言い出した気もするし、むこうから誘われた気もする。
母に話すと、すぐに洗面用具や着替えなどを用意して、叔父の家まで送ってくれた。
母は嬉しそうだった。
なんとなく、わたしたちが家にいない方がお母さんは楽なのかな、と思った。