葵という名を与えてくれた父の顔を、わたしは知らない。
古い記憶を掘り起こしても、出てくるのはふたりの姉と、いつも忙しそうに働く母親の姿だけだ。
事故死だった、と後に聞いた。
わたしが生まれる数日前に、父は飲酒運転の車にはねられこの世を去ったらしい。
5歳のとき、転機が訪れた。
普段は仕事ばかりでかまってくれない母が突然出かけようなんて言い出したから、わたしたち姉妹は飛び上がって喜んだ。
天気のいい日曜日。
よそ行きの服を着せられた。
母に手を引かれ、知らない町の、知らない家に連れて行かれた。
知らない男の人がいた。
『今日から僕が、君たちのお父さんになるからね』
わたしたちはラッキーだったのだ。
あのままいけば学費どころか、生活費さえもままならない生活を強いられていたはず。
新しく父になったのは、笑うと頬に大きなしわができる、優しい人だった。