彼の長い腕が半円を描くと、チョークの文字はあっという間にきれいに消えていった。
まるで車のワイパーみたいだなあ。
わたしは感心しながら思った。
彼と言葉を交わしたのはこの時が初めてだ。
だけどその存在は以前から知っていた。
正直、気になっていたと言ってもいい。
目立つルックスの彼は印象に残りやすい生徒だが、気になる理由はそれ以外のところにある。
5日前、わたしは妻子ある同僚とホテルに入るところを、この少年に見られたのだ。
「ねえ、君、片瀬くん……やったっけ?」
「はい。片瀬瑠衣です」
手についたチョークの粉を払いながら、彼は笑顔でうなずいた。
屈託のない顔。
あのときホテル街ですれ違ったのは、人違いだったのだろうか?
そうであればいいと祈りながら、動揺を見せないように笑顔を返す。