【短編】そばにいるよ。

 
「カナー、また頼むわ」

「え……またなの?」

「うんっ!」


うんっ!って……。

我が物顔で家庭科室に入ってきて、しかも、あたしが断るとは少しも思っていないような顔で可愛らしく笑うオトコ、1匹。

名を、椎橋直樹、あだ名はナオという。

これ、あたしの幼なじみ。

はあ……。


「ちょいちょい、なんであからさまに嫌な顔をすんの。今度はほんっとうに大恋愛の末に別れたんだって。いつものあれ、頼むよカナ」

「そのわりには、ずいぶん元気そうじゃん」

「うん、空元気だし!」

「……じゃあ、言うから、ちょっと廊下に出よ」


なんでこんなチャランポランな男と幼なじみなんだろう、と思うこと、数知れず。

それでも、いてくれてよかった、と思うことも同じくらいあって、なかなか突き放すような態度を取れないあたしは、ナオにそう言うと、三角巾を外して家庭科室を出た。

その後ろをトコトコとついてくるナオは、なにが大恋愛だ、と思うほど、陽気な足取りだ。


まったく……。

これじゃあ、ナオとつき合い、別れる、という時間や労力や、好きという気持ちを丸々無駄にした元カノさんがかわいそうすぎる。
 
 
「ちょっと。大恋愛だったんでしょ? 落ち込むとか、涙で目を潤ませるとか、もっとできないわけ? いつも軽いのよ、ナオは」


たまらずそう言うと、ナオはまるで叱られた子犬のように瞳を揺らして口をすぼませる。

何か言い訳があるらしい。


「そんなにキツく言うことないだろ? 俺だって一生懸命に恋をしたんだ、なんか合わない、ってフラれたの、俺のほうなんだけど」

「はいはい、かわいそうだね、ナオは」

「なっ……。まあ、いいや。頼むよ、カナ」

「分かったわよ」


キツく言いすぎてしまったと思っても、あたしは絶対に、謝ってあげたりはしない。

高校2年の12月初旬。

入学してからわずか1年と半年たらずで、彼女の数が両手では足りないほどになっているチャランポランなナオになんか、謝る言葉はない。

深く息を吸って、呼吸と心を整えると、今か今かと待っている顔のナオの目を見て、言う。


「ナオには、いつかきっとナオの全部を好きになってくれる女の子が現れる。大丈夫。それまでは、あたしがそばにいるよ」


これは、ナオがフラれたときに決まってあたしにねだる、ナオ曰く、魔法の言葉らしい。
 
 
なんでも、あたしがそばにいるだけで元気が出てきて、次の恋に前向きになれるのだそうだ。
 
きっかけは、小さい頃のほんの些細な出来事から端を発していて、その頃は、ただナオが笑ってくれさえしたらいいと思っていた。

けれど、中学、高校と年齢を重ね、恋愛がどういうものかが具体的に分かってくると、なかなかの重みがあり、あまり、ほいほい言いたくはないのが、あたしの本音だったりする。


ナオのことは好きだ。

一番身近な存在として、幼なじみとして。

ただ、ほかの女の子たちが言うところのイケメンに成長してしまったナオは、この通りの、フラれてもケロリとしているようなバカのため、なかなか目が離せず、あたしはいつも保護者のように目を向けていなくてはならない。

ナオの世話で手一杯のあたしは、自分の恋愛もままならず、いまだに恋愛経験値ゼロである。

はあ……。


「よし、なんか元気出てきた!サンキュー、カナ。新しい恋、探しに行ってくる!」

「地球の裏側まで行っちゃえ、バカナオ」

「うわ、ひっでー。カナに彼氏ができるまで、俺もカナのそばにいるって約束してるだろ。忘れてんじゃねーよ、バカナ」

「バカナって言うな!」
 
 
ほんと、どうしてこう、子どもっぽいことしか言えない男に告白する子が絶えないのだろう。

顔のよさだけは、悔しいながらもあたしも認めているけれど、中身はただのバカなのに。


「うへへ、バカナが怒ったー!」

「静まれっ!チャランポラン……っ!!」

「ま、もしも好きな男ができて、フラれるようなことがあったら、俺が慰めてやるから。心配しないでフラれるんだぞー」

「余計なお世話よ!」


ただの決まりきった台詞を言っただけなのに本当に元気が出たらしいナオは、一通りあたしをやじると、足取り軽く帰っていく。

女の子たちには、顔と中身が全然釣り合っていないから見た目に騙されないで、と、教えてあげたいし、ナオには、顔と中身が釣り合っていないからすぐにフラれるのよ、と、ぜひぜひ教えてあげたい、今日この頃のあたしだった。

……ていうか、フラれる前提なのね、あたし。

なんて失礼な。


「おかえり。中まで聞こえたよー、さっきのカナの、チャランポラン!っていうの。なんていうか……相変わらずみたいだね、ナオ君」

「ほんっと、疲れる……っ!」

「あは。お疲れさま。これ、カナのぶんね」

「うん、ありがとう、穂乃花」
 
 
家庭科室に戻ると、あたしのぶんの紅茶と試食用のケーキを差し出してくれた穂乃花にお礼を言って、とりあえず椅子を引いて座る。

あたしが不機嫌になっていた理由のひとつに、ようやく焼けたケーキを、さあ食べよう、というときになってナオに邪魔をされたことが大きく、つい声が大きくなってしまったのだ。


「ん!美味しい!」

「けど、スポンジのふわふわしっとり感がもうちょっと出るといいかもね」

「うん。クリームも、たぶんもう少し甘さ控えめで口当たりがなめらかだと、嬉しいかも」

「だね」


穂乃花とあたしは家庭科部に入っていて、今の時期は、家庭科部の恒例行事であるクリスマスケーキの販売に向けて、日々、試作と試食を繰り返すという、体重計に乗るのが怖くも、なんとも美味しい時期になっている。

生徒はもちろん、先生方や父兄の皆さんも毎年楽しみにしてくれているものなので、中途半端な出来にはできず、自然とあたしたちの試食も厳しいものになっていく。

そこをナオのやつは、今じゃなくてもいいのにも関わらず、のこのことヘラ顔でやってきたものだから、気にくわないのは仕方がない。

あたしは別に、食欲の鬼、というほど、食べることに関して執着しているわけではないのだけれど、楽しみを取り上げられた気分になり、つい、ナオにキツい言い方をしてしまった。
 
 
「じゃあ、今出た意見をもとに、ちょっとずつ調整していこうか。また明日、作ってみよ」

「そうだね」

「うん」


数十分後。

ほかの部員の試食の感想も、穂乃花やあたしとおおむね同じで、スポンジとクリームの配合をを重点的に詰めることで意見がまとまり、今日の部活はこれで終わりとなった。

ホワイトボードには、今日の反省点が細かく書かれていて、「また明日、作ってみよ」と場を締めた部長の莉乃は、特に気合いが入った様子で、それを部活日誌に書き写している。


「頑張って美味しいケーキ作ろうね、莉乃!」

「うん!頑張ろー!」


声をかけると、莉乃は、おー!と腕を上げる。

クリスマスケーキの出来で、それから1年の家庭科部の評価が決まるようなものなので、あたしが思っているより、部長の重圧は重いはず。

穂乃花とあたしも、つられて、おー!と腕を上げながら、できる限りサポートするよ、と、一緒に乗り切る覚悟を決めたあたしだった。

と。


「そうだ、ナオ君にも試食してもらってくれるかな。男の子の意見も取り入れたいし」


ふっと思い立った様子の莉乃にそう言われ、あたしはしばし、余っているケーキを見つめた。