まだ納得がいかず『でも…』と言うと、彼は黙って返却場所を走り書きした紙を押し付け、バイクのキーを投げてよこした。
突然の事に慌ててそれをキャッチすると、次の瞬間、まるで『もう黙れ!』と言う様に、有無を言わさずヘルメットを被せられた。
一瞬にして僕の負けは決まった。
計算された一連の動き。
反論する隙を与えない周到さに舌を巻きながら、目の前のバイクと彼を見つめた。
黒の艶やかなボディが見事なラインを描いている。
その後部にワイルドなボディとは不釣合いな、淡い桜色の『Sakura』という文字が妙に印象に残った。
「いいか、彼女が大切なら絶対に離れるな。
命を懸けても必ず護ってやれよ」
早く行けと促す声に、ビシッと渇をいれられた気がして、返事の変わりに一つ頷きエンジンを吹かした。
滑るように走り出すバイクは、あっという間に風になる。
照りつける夏の暑さなど、まるで感じさせない心地良い爽快感。
エンジンの振動が僕の中で萎えかけていた感情を呼び起こす。
身体が熱くなる。
香織が別荘へ来た日、僕の腕の中で二人の鼓動が一つになった感覚が蘇った。
香織…
手放すことで君を護れるのならば耐えられると思った。
だが今日の事でよく解った。
紀之さんの言うとおり、離れたからと言って君を護りきれるとは限らない。
たとえ百合子さんと婚約をしても、きっと香織はいつまでも狙われるだろう。
だったら…
僕は君を決して手放さない。
この手できっと護ってみせる。