「本当に…ありがとうございます。
僕は浅井といいます。必ずお礼に伺いますから」

深々と頭を下げ僕の名刺を押し付けると、彼はそれを見て一瞬驚いた顔をした。

どう見ても高校生の僕が、浅井グループの専務を名乗っているのだから、それは驚くだろう。

「お前が…浅井グループの…浅井…廉?」

まるで僕の名前を知っているかのような口ぶりに驚いた。

やや放心したように何か呟いたが、訊き返した僕に、彼は『なんでもない』と言うと、元の緊張した表情に戻り、すぐに駅までの道を説明し始めた。

彼の表情に違和感を感じ、気にはなったものの、今は香織の元へ行くことが先決で、追及している暇などなく、彼の説明を頭に叩き込むことに集中した。

そして僕は、『なんでもない』事を、記憶の隅へと追いやってしまった。

もしもこの時、聞き逃した言葉が耳に届いていたら

僕はこの時点で彼が母さんの息子であることに気付いていただろう。

そして義兄(あに)が僕の存在を既に知っており

目の前の僕が義弟(おとうと)だと気付いたことにも…



―…母さんは…幸せか?―



彼がこのとき、どんな気持ちで切ないまでの思慕を呑みこんだのか


僕には知る由も無かった。