会社の未来を左右する商談を幾度も仕切ってきたが、それとはまた、わけが違う。

 四対は緊張を紛らわすように溜息をついてから、きりりと前を見た。

 大丈夫だと自分を言い聞かせながら玄関の前に立ったが、両親への挨拶のためにこれほど緊張するとは思いもしなかった。

いざ、コートを脇に抱え、隅々まで自身を念入りにチェックしてから使い込まれたインターフォンを押す。

 古い旧家だが、それでも手入れが行き届いていることは見てとれた。

「おはよう……」

 一番に玄関から出て来たお前は、心配そうに俺を見上げる。

「……こんにちは。お邪魔します」

 俺は、お前に目で合図すると、奥の母親に頭を下げた。

「本日はわざわざお越しくださいまして……」

 訪問着をしっかり纏い、三つ指立てて頭を下げる母親に、これほどまでに歓迎されるとは思いもよらなかった俺は正直驚き、更に頭を深く下げた。

「どうぞ。奥へ。主人がお待ちしております」

 言われるがままに、靴を脱ぎ、隅に片付けて、出されたスリッパを履いて中へ入る。

 お前は心配そうに俺の後について、長い廊下を小走りで進む。

「こちらです」

 和室かと思いきや、洋間に案内される。応接間のようだ。天井にはシャンデリア、その下には応接セットが並んでいてどれも年季が入ったもののようだが、高価な品であることはすぐに分かる。

「こんにちは、初めまして。四対 樹と申します」

 下座のソファの隣でしっかりと父親に向かって挨拶をする。

「あぁ。もちろん知っていますよ。新聞で」

 お前は父親に似たんだなと一目で分かる。父親は優しく笑いながら、

「どうぞ、掛けて下さい」

と案内するので、その前に

「御所の和菓子です」

と、手土産を差し出した。

「これはどうも」

 父親は少し立ち上がり、受け取ると、すぐに母親に渡す。

 四対は促されるがままに下座にきちんと腰かけた。

 お前がその隣で立ったままなのが、落ち着かなかったが仕方ない。易々と座る気にはなれないのだろう。

「まあ、私から言うことは何もありませんが、ただ、うちの娘なんかで本当に良いのかと少々心配ではあります。

 一般教育を受けさせましたが、後は好きなようにさせています。

 これから、四対さんを支えて行けるような、そんな大仕事ができますかどうか……」

 父親は言葉通り不安そうに娘を見た。

「私は、隣でいてくださるだけで充分だと感じています。仕事のことには一切触れさません。おそらく、負担になるでしょうから。

 なので、今の仕事を好きなだけ続けてもらえばいいと思っております」

「あら、そんなことで構いませんの?」

 父親の隣に腰かけた母親が小首を傾げながら入ってくる。

 その良いタイミングで戸口がトントンと鳴り、外からお手伝いがお茶を運んできた。

 お前は、お手伝いが断るのも構わず、皆にカップを配り始める。やっぱりお前はそういう奴だったんだな、と俺は自分の目が間違っていなかったことを確信した。

「四対の家に入りますが、四対の会社は今は母の物です。仕事のことで負担を増やしてもらいたくないし、好きなことをしていてもらいたいです。できるうちは」

「そうよねえ。女はそのうち忙しくて何もできなくなるわ」

 そう言うわりに、母親は自分の好きなことをしていそうなタイプだった。

「ところで、お式はいつにします?」

 母親は身を乗り出して聞いてくる。

「来年の、4月辺りはいかがでしょう?」

 父親、母親に視線を置いてから、お前にも目を向ける。

 お前は、すぐに目を逸らし、両親の前だからか照れを見せた。

「ドレスも今から縫えば間に合うそうです。式場はまだ今は建設中ですが今年の12月にオープン予定のホテルがあります。そこで、と考えています」

「もしかして、中央区の?」

「そうです」

「まあ!! 新中央ホテルは四対さんのところのホテルでしたの!!」

「そうだよ」

 父親は知っていたようで、ざっと解説をしてくれたので手間が省ける。

「良かったわね、本当に。こんな素敵な結婚、もう二度とないわ!!」

「そう言って頂けて、光栄ですが……」

 ここからが、本番である。四対はある一つの胸に秘めた決意を、一度息を吐いてから吸い込み、声に出した。



「ありがとう、お父さんも、お母さんも、喜んでた」

 俺は静かに笑う電話越しのお前の声に満足しながら、

『俺がいつも通りやりゃ大丈夫っつったろ?』

と、安堵の息を吐く。

「そうだけど……だってあんなちゃんとしたとこ、初めて見た」

『何が?』

「言葉遣い。マナー、なにもかも」

『そりゃいつもこうじゃ、何もできねえよ。やる時やってるから、普段ちゃらけていられるんだよ』

 自然に交わしたつもりが、何を思ったか、

「本当に私でいいの?」

 と不安そうな声を出される。

『もう一回言ったら離婚だぞ』

 俺はあえて軽くとり、笑った。

『お前は俺といるのが一番幸せなんだよ。他の幸せなんてない。俺が誰よりも努力して、お前を幸せにしてやる。俺にできないことはない、全て、俺にしかできないことなんだよ』

 言い切れて満足したが、

「……すごい自信……」

と、半ば呆れ声を出されて腹が立つ。

『当然だよ。結婚っていうのはそういうもんだよ。

まず、婚約っていうのもそれくらいの覚悟がいる』

 お前は予想通り、黙る。

『まあ、何にせよ……』

「恰好良かったよ、今日本当に。いつもと違う人みたいだった」

 口角は上がり、顔はにやけてしまっているのに、最後の一言が実に余計だ。

『じゃ、いつもの俺はどうなんだよ』