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四対財閥 総帥 四対百合子(よつい ゆりこ)は俺の実母だ。
小さい頃、一緒に遊んだ記憶は全くない。かろうじて、たまに食事をしたくらいか。
2年ほど前、大学を卒業したと同時に四対財閥社長に就任してからようやく、親子らしい食事の時間をとることができるようになったが、それまでは雲の上の存在のような、あってないような親子関係だったといえる。
従って、周りにいるのはいつも家政婦や姉で、早死にした父の印象もほとんどない中、母は常に遠い存在だった。
だが、そんな母親でも、一番に報告しなければならない。
それが筋だと分かっている俺は、都内一等地である中央区に建つ四対ヒルズビル最上階にある、母親の総帥室のドアをノックした。
奥の壁一面をガラス張りにし、東京一帯を見降ろすことができる部屋は白を基調としていてとても広い。そこでいつも、1人ぽつんとデスクに向かっているのが落ち着くのか、外出以外はここに籠ることが多かった。
メガネをかけて紙に目を通す姿は随分年老いて見え、世代交代、という言葉がすぐに浮かんだ。
「何?」
デスクよりまだ5メートルは手前だったが、ちら、とこちらを見てから問う。不自然なほどに唇が赤い、相変わらずの無表情だ。
この冷たい態度でも、もちろん腹は決まっている。セリフもちゃんと考えてある。
「結婚する相手ができたから、会ってほしい」
まっすぐ前を見て姿勢を正した。
「……どこの会社の令嬢?」
聞きそうなことだな、と自分を抑える。
「一般人」
「じゃ、なんで私が会う必要があるの?」
じろり、と顔を見て聞かれた。一気に怒りが爆発する。
「あんた俺の親だろ!! 普通だろそれが!! 」
「会うほどの相手かどうか、聞いてるのよ。……自分の立場を考えなさい。何の得もないような結婚なんて、見る間に後悔するわ。自分を傷つけるだけよ」
「俺は俺が選んだ相手じゃないと結婚しない」
「あそ」
思いがけず、母親はふっと引いた。
「会って何すればいいの?」
どうせ読んではいないだろう、紙を次から次へと目を通すふりをする。
「会うだけでいい。ここに連れて来る」
「ここに?」
メガネの奥から睨まれた。
「じゃあどこかに来てくれるのかよ?」
そこから動かないくせに、と俺も睨む。
「鴨井(かもい)」
母は、顔を少し動かして独り言のように誰かを呼ぶ。
「うわっ!!」
全く人の気配を感じていなかったのに、そのスーツの男は最初から壁際にずっと立っていたようだった。
「……10分でいいわ」
「10分って……俺結婚するからな、式もする」
「ホテルを貸し切ってするなんて、そんなの今時流行らないわよ。したけりゃ2人で海外でしなさいな」
「…………」
意外にも、母が結婚を認めたくれたことに驚く。
「来週水曜日の午後3時はいかがでしょう?」
鴨井は胸ポケットから出した手帳を確認してから提案した。
「いいわ、それで。あなたも合わせなさいよ」
「おぉ……」
「どうせ反対して、お見合いさせたって私の評判が悪くなるだけだわ。それならあなたの好きなようにやって、失敗するのが一番いい」
「…………」
込み上げ来る怒りを、目を閉じてなんとか抑える。
「相手の親はどうすんだよ?」
適当なこと言いやがったら、縁を切ってやる、と心の中では思っていた。
「一度会食すれば気が済むでしょ。それで全部終わらせて頂戴、鴨井」
「はっ、お日にちは来月15日金曜日午後7時から3時間なら空いておりますが……」
「金曜はダメよ。他からお誘いがあるかもしれないわ。一応空けておいて頂戴」
「かしこまりました。それでは……」
鴨井はまた手帳に目を落とす。
「どうして何の得もない娘にしたのかしら」
戯言を一々相手にしていると腹が立つので放っておく。
「翌16日土曜日はいかがでしょう。午後6時から2時間になります」
「いいわ、それで。そこで結納を済ませて。私は式には出ないから」
個人的には、それこそ、流行らないとけなされたホテルを貸し切っての大々的な結婚式を予定していたが、海外で2人きりでと言われ、肩すかしを食らった気分だった。
「……どこに住むの?」
「俺んちだよ!」
母親はこの部屋と同じ階に別宅を持っているので、ほとんどそちらで暮らしている。なので、自宅で住んでも何ら問題はないはずだ。
「あっそ……あんたがもっと、頭が良けりゃね。なんとかなったんだろうけど」
「ふっざけんな!! 俺が結婚したい奴と結婚して、何が悪い!!」
相手のことを貶されたと思い、つい言葉が乱暴になる。
「……。あと、言ったとかなきゃなんねーことがあるんだけど」
母親は視線をこちらにさっと向けた。
俺は少しだけ、申し訳ない、という気持ちを持ちながらも、それでも俺はお前を選んで生きていくんだ、と心に強く決め、緊張を和らげるために髪をかき上げながら、どうにか口を開いた。
母親の部屋を目の前に、お前の手が震えているのが分かる。足がすくんでいるのが、分かる。
「大丈夫だ。俺に合わせてればいい。相手に合せなくて、いい」
「…………」
お前の目は不安そのものだ。
この一週間、激務の間でできるだけ電話で会話することを心がけた。あのフェラーリの中でのプロポーズから、会う暇がなく、結局そのままここに連れて来ることになってしまったことを少し可愛そうに思っていた。今日はできる限り、フォローしてやらなければならない。
お前の親がすんなり了承してくれることは考えるまでもなかったが、うちは、前回のあの母親の態度がなんとなく嘘くさい気がして、まだ一筋縄では終われそうにない気がしていた。
「……なんか……」
お前が言いたいことは、分かる。
俺は左側に立つお前の右手をぎゅっと握った。
驚いて俺を見上げるお前は、泣きそうで心苦しい。
「このまま行くぞ」
「えっ!? ちょっとそんな、無理でしょ!!」
小声ながらもしっかり反論してくる。
「手、震えてるぞ」
それだけ言って、時間ぴったりなのをフランクミューラーで確認してから扉を開けた。
母は予想通り、こちらなど見ていない。
俺はそのまま手を引いて、母親の前に連れて行ってやる。
白いデスクからあと3メートル、というところになって母親は、ようやく顔を上げた。
すぐに繋がっている手に目がいく。
「で?」
俺を睨んだ。
俺も負けじと、名前と年だけを伝える。
「はいはい。いいわよ、もう下がって」
嫁と姑というものはそういうものかもしれない。とりあえず母親がいいというのだから、それでいいか、と手を離して下がろうとすると、後ろから声が聞こえた。
「誰が来ても、同じだもの」
沸点に近づく自分を、無表情になることで、急冷凍させる。
「式、俺は日本でやりたいからやる。招待客は500、あんたも参加しろよ」
母は一度深く目を閉じたかと思うと、ぎろりと俺を見つめた。ついでに、何も知らされていなかった隣のお前もハッとこちらを向く。
「こっそりやりなって意味が分からないの!? そんなどこの馬の骨とも分からない女との結婚式になんて、誰が来るものですか!」
お前の手から力が抜けるのが分かったので、思い切り掴んで、母に楯突いた。
「俺が俺のために開く式だ、それの、何が悪い!!」
母は何か言おうとして恐ろしい形相で目と口を開いたが、一時停止するなり、フッと息を吐いた。
口をへの字に曲げ、何か言葉を自らの中で遮断したようだった。
「……取引先を呼ぶのはやめなさい。
招待客は50に抑えること」
「…………」
左手に力を込めながら、母を見下す。
お前はもう、逃げ出そうとせんばかりに、手を引っ込めようとしている。それを力で押さえつけ、ぐいと手を引っ張った。
「……静音(しずね)を代理に立てるわ」
実家の手伝いを、母親の代わりに参列させるだと!?
「あなたみたいな女が、本来ならうちの家に入ることは許されないわ。
それを、この子がどうしてもと頼むから、私が折れたのよ。数年で飽きるでしょうから」
「もういい」
俺は手を引いたまま、後ろを向いた。
「自分の人生を四対の血で上塗りしようだなんて、図々しいにもほどがあるわ」
耐えきれずに、お前の手を離して、母のデスクに詰め寄り両手をダンッと着いた。
「何も認めなくていい、黙っててくれ」
母は目も合わせようとせず、ふいっとそっぽを向くと同時に、デスクの上の白い紙を手にとった。
「行くぞ」
俺は生気を失ったお前の手を再び引いて、ドアから出る。
ドアが閉まるより先に、お前が気になって、呼びかけた。
「悪かっ……」
泣いて、当然だと思った。
俺は、申し訳なさいっぱいで、思い切り抱きしめてやる。
「お前は何も、悪くない」
そう言うのが精一杯だった。
「泣かさない……」
誓いを忘れたわけじゃないというつもりで、腕を離して顔を見つめ、頬の涙を拭ってやる。
「……」
お前は、目だけ伏せて、何も言わない。
「な? アイツは……結婚に反対してるわけじゃないんだ。昔の人間だから政略結婚させたいだけなんだよ。だけど俺が言うことを聞かないことも分かってる。
俺が思い通りにいかないことが気に食わないんだ。
最初は海外で2人きりで式を挙げろって言ったんだ。
だけど、俺的には日本で友人達も呼んでしたかったしな、そういう食い違いだ、今のは。
俺は俺なりに、アイツが言いたいことは受け止めてる。
ただ、口が悪くて、……悪い……。今度からは、黙らせる……から」
なんとか、なんとかしなければ。伝えなければならないことは全て伝えたが、それでもまだ足りない気がした。
「その……」
「ありがとう」
小さな、その一言で俺は、救われた。
てっきり、「結婚なんか、辞める」。そういう風に言いだすものだとばかり思っていたが、お前は逆に、俺を励ましてくれた。
何も考えずに、ただ、その身体を抱きしめる。
「……と……」
「何?」
お前は鼻声で聞き直す。
俺は、もう一度、息を吸って呼吸を落ち着け、温かな身体の感触を確かめながら、お前に静かに伝えた。
「……、ありがとう」
四対財閥 総帥 四対百合子(よつい ゆりこ)は俺の実母だ。
小さい頃、一緒に遊んだ記憶は全くない。かろうじて、たまに食事をしたくらいか。
2年ほど前、大学を卒業したと同時に四対財閥社長に就任してからようやく、親子らしい食事の時間をとることができるようになったが、それまでは雲の上の存在のような、あってないような親子関係だったといえる。
従って、周りにいるのはいつも家政婦や姉で、早死にした父の印象もほとんどない中、母は常に遠い存在だった。
だが、そんな母親でも、一番に報告しなければならない。
それが筋だと分かっている俺は、都内一等地である中央区に建つ四対ヒルズビル最上階にある、母親の総帥室のドアをノックした。
奥の壁一面をガラス張りにし、東京一帯を見降ろすことができる部屋は白を基調としていてとても広い。そこでいつも、1人ぽつんとデスクに向かっているのが落ち着くのか、外出以外はここに籠ることが多かった。
メガネをかけて紙に目を通す姿は随分年老いて見え、世代交代、という言葉がすぐに浮かんだ。
「何?」
デスクよりまだ5メートルは手前だったが、ちら、とこちらを見てから問う。不自然なほどに唇が赤い、相変わらずの無表情だ。
この冷たい態度でも、もちろん腹は決まっている。セリフもちゃんと考えてある。
「結婚する相手ができたから、会ってほしい」
まっすぐ前を見て姿勢を正した。
「……どこの会社の令嬢?」
聞きそうなことだな、と自分を抑える。
「一般人」
「じゃ、なんで私が会う必要があるの?」
じろり、と顔を見て聞かれた。一気に怒りが爆発する。
「あんた俺の親だろ!! 普通だろそれが!! 」
「会うほどの相手かどうか、聞いてるのよ。……自分の立場を考えなさい。何の得もないような結婚なんて、見る間に後悔するわ。自分を傷つけるだけよ」
「俺は俺が選んだ相手じゃないと結婚しない」
「あそ」
思いがけず、母親はふっと引いた。
「会って何すればいいの?」
どうせ読んではいないだろう、紙を次から次へと目を通すふりをする。
「会うだけでいい。ここに連れて来る」
「ここに?」
メガネの奥から睨まれた。
「じゃあどこかに来てくれるのかよ?」
そこから動かないくせに、と俺も睨む。
「鴨井(かもい)」
母は、顔を少し動かして独り言のように誰かを呼ぶ。
「うわっ!!」
全く人の気配を感じていなかったのに、そのスーツの男は最初から壁際にずっと立っていたようだった。
「……10分でいいわ」
「10分って……俺結婚するからな、式もする」
「ホテルを貸し切ってするなんて、そんなの今時流行らないわよ。したけりゃ2人で海外でしなさいな」
「…………」
意外にも、母が結婚を認めたくれたことに驚く。
「来週水曜日の午後3時はいかがでしょう?」
鴨井は胸ポケットから出した手帳を確認してから提案した。
「いいわ、それで。あなたも合わせなさいよ」
「おぉ……」
「どうせ反対して、お見合いさせたって私の評判が悪くなるだけだわ。それならあなたの好きなようにやって、失敗するのが一番いい」
「…………」
込み上げ来る怒りを、目を閉じてなんとか抑える。
「相手の親はどうすんだよ?」
適当なこと言いやがったら、縁を切ってやる、と心の中では思っていた。
「一度会食すれば気が済むでしょ。それで全部終わらせて頂戴、鴨井」
「はっ、お日にちは来月15日金曜日午後7時から3時間なら空いておりますが……」
「金曜はダメよ。他からお誘いがあるかもしれないわ。一応空けておいて頂戴」
「かしこまりました。それでは……」
鴨井はまた手帳に目を落とす。
「どうして何の得もない娘にしたのかしら」
戯言を一々相手にしていると腹が立つので放っておく。
「翌16日土曜日はいかがでしょう。午後6時から2時間になります」
「いいわ、それで。そこで結納を済ませて。私は式には出ないから」
個人的には、それこそ、流行らないとけなされたホテルを貸し切っての大々的な結婚式を予定していたが、海外で2人きりでと言われ、肩すかしを食らった気分だった。
「……どこに住むの?」
「俺んちだよ!」
母親はこの部屋と同じ階に別宅を持っているので、ほとんどそちらで暮らしている。なので、自宅で住んでも何ら問題はないはずだ。
「あっそ……あんたがもっと、頭が良けりゃね。なんとかなったんだろうけど」
「ふっざけんな!! 俺が結婚したい奴と結婚して、何が悪い!!」
相手のことを貶されたと思い、つい言葉が乱暴になる。
「……。あと、言ったとかなきゃなんねーことがあるんだけど」
母親は視線をこちらにさっと向けた。
俺は少しだけ、申し訳ない、という気持ちを持ちながらも、それでも俺はお前を選んで生きていくんだ、と心に強く決め、緊張を和らげるために髪をかき上げながら、どうにか口を開いた。
母親の部屋を目の前に、お前の手が震えているのが分かる。足がすくんでいるのが、分かる。
「大丈夫だ。俺に合わせてればいい。相手に合せなくて、いい」
「…………」
お前の目は不安そのものだ。
この一週間、激務の間でできるだけ電話で会話することを心がけた。あのフェラーリの中でのプロポーズから、会う暇がなく、結局そのままここに連れて来ることになってしまったことを少し可愛そうに思っていた。今日はできる限り、フォローしてやらなければならない。
お前の親がすんなり了承してくれることは考えるまでもなかったが、うちは、前回のあの母親の態度がなんとなく嘘くさい気がして、まだ一筋縄では終われそうにない気がしていた。
「……なんか……」
お前が言いたいことは、分かる。
俺は左側に立つお前の右手をぎゅっと握った。
驚いて俺を見上げるお前は、泣きそうで心苦しい。
「このまま行くぞ」
「えっ!? ちょっとそんな、無理でしょ!!」
小声ながらもしっかり反論してくる。
「手、震えてるぞ」
それだけ言って、時間ぴったりなのをフランクミューラーで確認してから扉を開けた。
母は予想通り、こちらなど見ていない。
俺はそのまま手を引いて、母親の前に連れて行ってやる。
白いデスクからあと3メートル、というところになって母親は、ようやく顔を上げた。
すぐに繋がっている手に目がいく。
「で?」
俺を睨んだ。
俺も負けじと、名前と年だけを伝える。
「はいはい。いいわよ、もう下がって」
嫁と姑というものはそういうものかもしれない。とりあえず母親がいいというのだから、それでいいか、と手を離して下がろうとすると、後ろから声が聞こえた。
「誰が来ても、同じだもの」
沸点に近づく自分を、無表情になることで、急冷凍させる。
「式、俺は日本でやりたいからやる。招待客は500、あんたも参加しろよ」
母は一度深く目を閉じたかと思うと、ぎろりと俺を見つめた。ついでに、何も知らされていなかった隣のお前もハッとこちらを向く。
「こっそりやりなって意味が分からないの!? そんなどこの馬の骨とも分からない女との結婚式になんて、誰が来るものですか!」
お前の手から力が抜けるのが分かったので、思い切り掴んで、母に楯突いた。
「俺が俺のために開く式だ、それの、何が悪い!!」
母は何か言おうとして恐ろしい形相で目と口を開いたが、一時停止するなり、フッと息を吐いた。
口をへの字に曲げ、何か言葉を自らの中で遮断したようだった。
「……取引先を呼ぶのはやめなさい。
招待客は50に抑えること」
「…………」
左手に力を込めながら、母を見下す。
お前はもう、逃げ出そうとせんばかりに、手を引っ込めようとしている。それを力で押さえつけ、ぐいと手を引っ張った。
「……静音(しずね)を代理に立てるわ」
実家の手伝いを、母親の代わりに参列させるだと!?
「あなたみたいな女が、本来ならうちの家に入ることは許されないわ。
それを、この子がどうしてもと頼むから、私が折れたのよ。数年で飽きるでしょうから」
「もういい」
俺は手を引いたまま、後ろを向いた。
「自分の人生を四対の血で上塗りしようだなんて、図々しいにもほどがあるわ」
耐えきれずに、お前の手を離して、母のデスクに詰め寄り両手をダンッと着いた。
「何も認めなくていい、黙っててくれ」
母は目も合わせようとせず、ふいっとそっぽを向くと同時に、デスクの上の白い紙を手にとった。
「行くぞ」
俺は生気を失ったお前の手を再び引いて、ドアから出る。
ドアが閉まるより先に、お前が気になって、呼びかけた。
「悪かっ……」
泣いて、当然だと思った。
俺は、申し訳なさいっぱいで、思い切り抱きしめてやる。
「お前は何も、悪くない」
そう言うのが精一杯だった。
「泣かさない……」
誓いを忘れたわけじゃないというつもりで、腕を離して顔を見つめ、頬の涙を拭ってやる。
「……」
お前は、目だけ伏せて、何も言わない。
「な? アイツは……結婚に反対してるわけじゃないんだ。昔の人間だから政略結婚させたいだけなんだよ。だけど俺が言うことを聞かないことも分かってる。
俺が思い通りにいかないことが気に食わないんだ。
最初は海外で2人きりで式を挙げろって言ったんだ。
だけど、俺的には日本で友人達も呼んでしたかったしな、そういう食い違いだ、今のは。
俺は俺なりに、アイツが言いたいことは受け止めてる。
ただ、口が悪くて、……悪い……。今度からは、黙らせる……から」
なんとか、なんとかしなければ。伝えなければならないことは全て伝えたが、それでもまだ足りない気がした。
「その……」
「ありがとう」
小さな、その一言で俺は、救われた。
てっきり、「結婚なんか、辞める」。そういう風に言いだすものだとばかり思っていたが、お前は逆に、俺を励ましてくれた。
何も考えずに、ただ、その身体を抱きしめる。
「……と……」
「何?」
お前は鼻声で聞き直す。
俺は、もう一度、息を吸って呼吸を落ち着け、温かな身体の感触を確かめながら、お前に静かに伝えた。
「……、ありがとう」