グリグリと塗りつぶす音、細かい粒子が薄く光る黒色から、嫌な記憶を呼び起こす。

ご隠居にズタスタに斬られた日の言葉が。

「メルヘンさんがポエムや童話を書く理由は、短いからだろう?」

「まともな長編って書いたことないですよね?」


メルヘンさんは宙を見つめて、ふぅと息を吐いた。そして思い出した。あの夜に起きた一部始終。一言一句を。



「た、短編の方が、短編のほうが難しいと、みんな言うじゃぁないですか!」

「それは沢山書ける人がだね。言う言葉であってね。

おまえさんみたいに根性も忍耐力もない人間が言ってもね、同じ言葉でも重みが違いますよ」

と、ご隠居は高笑いをした。

握っていた湯飲み茶碗を壁に叩き付けて、横開きのドアを蹴飛ばして気が付いたときには表へと飛び出していた。

振り返るのを少しためらった後、暗い夜道を泣きながらメルヘンさんは走った。

『簡単になんか考えてない。軽くなんか考えてない。短い中にもワンフレーズ、一言一句に感情も情熱も乗せてるんだ。僕なりに一生懸命やってるんだ』と、言い返せなかった言葉達が溢れてメルヘンさんの頭の中が一杯になった。

二月の風はとても冷たく、だけど流れる涙はとても、とても熱かった。

「おもいつきだけでサッサーと書いてるだけだろう?」というご隠居の憎い顔。

長いものを書いてやるよ。ああ、書いてやる。

はだける着物、わらじが指に食い込むのもお構いなしにメルヘンさんは走った。

体中が熱くなった。近所迷惑もお構いなしに大声を上げた。

ぐっと、うつむくと街灯の少ない月明かりの地面が視界一杯に広がった。

小石が流星群のように地面を流れていく。

目を強くつぶれば、ぼろぼろと涙が横に流れていた。

駆け抜ける足を加速させる。

食いしばるもんだから、右の奥歯がガリッと音を立てて欠けた。