わたしのダーリンには奥さんがいる。でも、そんなことは関係ない。友達のはるかちゃんだって、奥さんのいるダーリンが大好きだって言っていた。それに、わたしの思いは日々募るばかり。絶対誰にも渡したくない。それが奥さんならなおさら、心が燃える。
わたしはダーリンの言うことに絶対服従。だって、男子って自分の言うことを聞いてくれる子が好きだって聞いたから。これは、はるかちゃんの情報だけど、さっそく実践してみたら、本当だった。ダーリンは、いつも褒めてくれるようになって、一緒に過ごしてくれる時間も増えた。
ダーリンは、わたしの手をつないだり、頭を撫でてささやくように言ってくれる。
「おまえが世界で一番可愛いよ」
そうしてお姫様抱っこまでしてくれる。ちょっと肉がついたダーリンの耳元からはとってもいい香りがする。特に香水はつけていないらしいけれど、風で髪がそよぐときにちょっぴり漂うと、もう夢心地になってしまう。その心地よさに身をゆだねるとき、わたしの胸は飛びっきりの音を立てて、まるで太鼓みたい。
日曜日で、会社に行かなくていい日に、一晩分ひげの伸びたダーリンの頬にちゅっとすると、ダーリンも照れながらわたしの丸っこいほっぺたにお返ししてくれる。そんな時、ダーリンの顔が近づくと、どうして朝ごはんに臭い納豆なんか食べたんだろうと後悔する日もある。そして、今度は絶対、甘い香りのイチゴを食べよう、と決心する。
夕方、犬の散歩をしていて、背が公園のイチョウみたいに高くてかっこいいと評判のナガミネさんが、いつもわたしに話しかけてくれるけれど、きっとわたしが好きなのね。だって、ワンちゃんを真っ先にこちらへ走らせてくるから。でも、わたしが世界でいちばん好きなのはダーリン。だから、ナガミネさんは、ダーリンが奥さんのところにいるときのためだけの、ただのお話相手。そう思うたびに、みんなが噂するナガミネさんよりずっと素敵なダーリンは、世界一だと嬉しくなる。
ある日、わたしの部屋で一緒にチョコレートを食べていると、ダーリンの携帯が鳴った。着メロは、いつもの「ゴジラ」の曲。なんだか怪獣の鳴き声が聞こえてくるみたい。
奥さんだ。
ダーリンは片手でさっさと携帯をチェックすると、食べかけのチョコレートをわたしにくれてから、立ち上がって部屋を出ようとした。
(やっぱり奥さんの方が好きなの?怪獣に負けるの?)
奥さんなんかに取られたくない。ダーリンはわたしのものよ。わたしは背中からぎゅっとダーリンにしがみついた。せっかく、今ならちゅっとされてもチョコの甘い香りがするのに。ナガミネさんとも、もうお話しなくてもいい。行かないでほしかった。わたしだけがダーリンの瞳の中にいたい。自然にわたしの目に涙がたまって、鼻の奥がつんと痛くなった。でも、やっと言えた。
「行かないで」
「お前も行くか?」
ダーリンはわたしの手を取って元気よくドアを開けた。
廊下には奥さんが立っていた。
「あら、やっぱりここにいたのね、二人とも。いつも仲がいいものね」
今のうちだけど、と奥さんは笑った。わたしはいつのまにか本当に泣き出していたけれど、奥さんはそれにかまわない。わたしたちは玄関に向かった。
涙をぬぐって、本当は嫌なのに外に出たわたしの目に、ナガミネさんとワンちゃんが飛び込んできた。わたしは、三時のおやつを食べていたら、もう夕方になっていたんだ、と気づいた。
「いつもの『おむすび関係』なご家庭ですね。そのうち娘さんに旦那さんを取られちゃいますよ、奥さん」
ナガミネさんは、わたしの前では「おむすび関係」なんて言うけど、本当はサンカクカンケイ、でしょう?わたしだってもうオトナなんだから、そんな言葉はちゃんと分かるのに。もう、ナガミネさんとはお話してあげないから。わたしは、夕日でできたナガミネさんの細長い影を、思い切り踏んづけた。
「ダーリン」パパは「奥さん」ママとあたしの手をつないだ。わたしはイヤイヤして、久しぶりのおんぶをせがんだ。
「重くなったなあ」
ダーリンパパの肩の上から見える景色は、いつもと違ってとても高くて空気が透き通っていた。手を伸ばしたら、向こうに帰っていくナガミネさんを手のひらに乗せられそう。
「夜は、グラタンにするわよ」
奥さんママの、食べ物作戦に負けてしまったわたしは、やったあ、とはしゃいでしまった。
でも、負けないんだからね!いつか奥さんママより可愛がってもらえる、ダーリンパパの一番のお嫁さんになるんだから!
スーパーが見える頃、わたしはダーリンパパの背中でつぶやいた。
毎週日曜日に繰り返される、小学五年生の、宣戦布告。
(了)
わたしはダーリンの言うことに絶対服従。だって、男子って自分の言うことを聞いてくれる子が好きだって聞いたから。これは、はるかちゃんの情報だけど、さっそく実践してみたら、本当だった。ダーリンは、いつも褒めてくれるようになって、一緒に過ごしてくれる時間も増えた。
ダーリンは、わたしの手をつないだり、頭を撫でてささやくように言ってくれる。
「おまえが世界で一番可愛いよ」
そうしてお姫様抱っこまでしてくれる。ちょっと肉がついたダーリンの耳元からはとってもいい香りがする。特に香水はつけていないらしいけれど、風で髪がそよぐときにちょっぴり漂うと、もう夢心地になってしまう。その心地よさに身をゆだねるとき、わたしの胸は飛びっきりの音を立てて、まるで太鼓みたい。
日曜日で、会社に行かなくていい日に、一晩分ひげの伸びたダーリンの頬にちゅっとすると、ダーリンも照れながらわたしの丸っこいほっぺたにお返ししてくれる。そんな時、ダーリンの顔が近づくと、どうして朝ごはんに臭い納豆なんか食べたんだろうと後悔する日もある。そして、今度は絶対、甘い香りのイチゴを食べよう、と決心する。
夕方、犬の散歩をしていて、背が公園のイチョウみたいに高くてかっこいいと評判のナガミネさんが、いつもわたしに話しかけてくれるけれど、きっとわたしが好きなのね。だって、ワンちゃんを真っ先にこちらへ走らせてくるから。でも、わたしが世界でいちばん好きなのはダーリン。だから、ナガミネさんは、ダーリンが奥さんのところにいるときのためだけの、ただのお話相手。そう思うたびに、みんなが噂するナガミネさんよりずっと素敵なダーリンは、世界一だと嬉しくなる。
ある日、わたしの部屋で一緒にチョコレートを食べていると、ダーリンの携帯が鳴った。着メロは、いつもの「ゴジラ」の曲。なんだか怪獣の鳴き声が聞こえてくるみたい。
奥さんだ。
ダーリンは片手でさっさと携帯をチェックすると、食べかけのチョコレートをわたしにくれてから、立ち上がって部屋を出ようとした。
(やっぱり奥さんの方が好きなの?怪獣に負けるの?)
奥さんなんかに取られたくない。ダーリンはわたしのものよ。わたしは背中からぎゅっとダーリンにしがみついた。せっかく、今ならちゅっとされてもチョコの甘い香りがするのに。ナガミネさんとも、もうお話しなくてもいい。行かないでほしかった。わたしだけがダーリンの瞳の中にいたい。自然にわたしの目に涙がたまって、鼻の奥がつんと痛くなった。でも、やっと言えた。
「行かないで」
「お前も行くか?」
ダーリンはわたしの手を取って元気よくドアを開けた。
廊下には奥さんが立っていた。
「あら、やっぱりここにいたのね、二人とも。いつも仲がいいものね」
今のうちだけど、と奥さんは笑った。わたしはいつのまにか本当に泣き出していたけれど、奥さんはそれにかまわない。わたしたちは玄関に向かった。
涙をぬぐって、本当は嫌なのに外に出たわたしの目に、ナガミネさんとワンちゃんが飛び込んできた。わたしは、三時のおやつを食べていたら、もう夕方になっていたんだ、と気づいた。
「いつもの『おむすび関係』なご家庭ですね。そのうち娘さんに旦那さんを取られちゃいますよ、奥さん」
ナガミネさんは、わたしの前では「おむすび関係」なんて言うけど、本当はサンカクカンケイ、でしょう?わたしだってもうオトナなんだから、そんな言葉はちゃんと分かるのに。もう、ナガミネさんとはお話してあげないから。わたしは、夕日でできたナガミネさんの細長い影を、思い切り踏んづけた。
「ダーリン」パパは「奥さん」ママとあたしの手をつないだ。わたしはイヤイヤして、久しぶりのおんぶをせがんだ。
「重くなったなあ」
ダーリンパパの肩の上から見える景色は、いつもと違ってとても高くて空気が透き通っていた。手を伸ばしたら、向こうに帰っていくナガミネさんを手のひらに乗せられそう。
「夜は、グラタンにするわよ」
奥さんママの、食べ物作戦に負けてしまったわたしは、やったあ、とはしゃいでしまった。
でも、負けないんだからね!いつか奥さんママより可愛がってもらえる、ダーリンパパの一番のお嫁さんになるんだから!
スーパーが見える頃、わたしはダーリンパパの背中でつぶやいた。
毎週日曜日に繰り返される、小学五年生の、宣戦布告。
(了)