ふ、と大竹が鼻を鳴らし、口角を吊り上げる。

ふふ、ふ、とその笑いは徐々に大きくなる。

「賢一が、自分から境界を越える? あのね一二三さん、聞いてなかったの? そんなことがないように、あたしはずっと賢一と一緒にいた。そんなことにならないように、あたしらは今、一二三さんと対峙してるんだよ。根本を間違ってもらっちゃ困るね。境界自体、賢一には理解させない」

「ふ、ふ。そう」

ならばこそ、笑い返してやる。

もはや正解は、恐らく、一二三の中にも大竹幹の中にもあり、それは違うか達だと察した。

彼女は自らを、あたしと呼ぶ。一二三はそんなことしない。

一二三が一二三を一二三と呼ぶのは、一二三が一二三であることを誰よりも誇りにしているからだ。

それは、鬼であることを含め、すべて。

だから一二三は、自らを一人称代名詞では、呼ばない。

一二三は、一二三だ。存在強調と確認の、自己暗示だ。

とにもかくにも、一二三と大竹幹では、六条賢一に求めるものは違う。

一二三が求めるのは、より人外たる人外の力と自覚。

大竹幹が求めるのは、より平凡たる凡人の頭と意識。