私ね、未来の記憶があるのよ。
 そう美紗が言ったのは、いつだっただろうか。付き合い初めて何ヵ月かたった頃。聞き慣れない言葉に、僕はレポートを書く手を止めて彼女の顔を見たのを覚えている。とすると、あれは大学三年くらいか。彼女は妙に真面目な顔で、同じ言葉を繰り返した。そして心配そうにそっと僕の顔を覗き込んだ。信じない? と。
 確かに美紗の予感は当たることが多かった。予感、といっても大した内容ではない。天気とか、試合の結果とか、そんな他愛のないことだった。それとは別に、彼女には未来の記憶があるらしかった。
「既視感とか、そんなものじゃないのか?」
 心理学を専攻している友人の言葉を思い出して、彼女に言ってみる。彼女は少し考え込んだ。
「そう、かもしれない。違う、かもしれない」
 既視感というのは、情報のフィードバックである。入るべき情報が、入力機関のミスで同時に出力されてしまう。その時に感じるのが、この経験を以前にしたことがあるという、既視感である。
 彼女の記憶は、少し違っていた。あるべき過去の記憶とは別に、違和感のある記憶が混じっている。あるべきでない光景。その後、同じ光景を実際に彼女は見ることになる。例えば、友人とその家族と食事をしたという記憶。そのような事実はないにもかかわらず、記憶に鮮明に残っている。その後何ヵ月かして、実際に彼女は友人とその家族と食事をすることになるのだ。
「別に、メシアが生まれるとか、そういう記憶じゃないんだ」
「それは、預言でしょう。字が、違う。尚也くん、真剣に聞いてる?」
「聞いてるよ。でも、地球の滅亡とかの記憶があるのなら、ともかく、友人との会食くらいの記憶なら、別にあってもいいんじゃないの?」
 冗談めかした僕の言葉に、美紗は少しふくれた。
「そうだけど。それは、そうだけど、気持ち悪いのよ。ああ、これは未来の記憶だったんだ、って思うと、ぞっとするの。会話とか、覚えてる時なんて、決められた台詞を口にする役者みたいで、気持ち悪いのよ」
「それ、変えれないの?」
「……やったこと、ない。未来を変えるの、怖いもの。できないのかも、しれない」
 そんな会話を、その後何度かしたことがある。
「あ、これ……」
 道を歩いている時、喫茶店で話している時、その他色々な時に、彼女は不意に表情を変える。眉を寄せ、唇を軽くかむ。それは、未来の記憶が実現した瞬間だった。
 だけど正直な話、僕はその話に重きをおいていなかった。信じていなかったわけではないと思う。だけど、実現したというその状況はあまりに他愛のないものだった。そう、いままでは。