救急車のサイレンの音も、
私には聞こえない。
ただ目を堪えて、
あなたを見ているだけ。
「急いで!呼吸が!!」
たまに大きく揺れる救急車。
あなたの顔に、笑顔は無かった。
「どうしてここまで
放っておいたんですか!?」
病室に運ばれるや否や、私と鈴は
白衣に身を包んだ医師に怒鳴られた。
「もう、末期だ…。手術しても遅い…。」
鈴は、ガンだった。それも重度の。
「………り、ん?」
ねぇ、知ってたの?
「ごめんね…、カナ。」
私を切なげに見る
彼女の口角は上がっている。
無理矢理、笑ってるの?
もうあなたは諦めてるの?
「……!許さない!!鈴が死ぬなんて、
私は絶対に許さないからっ!!」
止めて。止めて。
終わらないで。終わらせないで。
消えないで。
私の道を照らしてよ。導いてよ。
「………カナ…?」
私が聞きたいのは、
こんな弱々しい声じゃない。
もっと、元気で。明るくて。
私の影なんて一瞬で照らしてくれて。
「あのね…守って…欲しい…の…。」
私の心を、暖めてくれる…。
「………りんっ…!」
私に何を願う?
あなたは、私に一体何を願うの?
「止めて…!鈴っ…死なないで…!」
あなたを失った私に出来ることなんて、
何も無いというのに。
「Divaを…忘れないで欲しいの…。
あたし達が…輝い…た、証…。」
どうして過去形にしてしまうの。
さっきまで舞台で
あなたは輝いていたのに。
「生きてよ!生きてよ!鈴っ!!
諦めないでよ…!
鈴が居なくなったら…。」
「忘れないで…。忘れ…ないで………。」
どんどん小さくなっていく声。
嫌だ。こんなの、鈴の声じゃない。
「あたし…楽しかっ…た……。
だから……。」
「鈴…!」
「もぅ…良……ぃ…ゃ……。」
《ピーーーー》
ベッドの隣の機械は、
ただひたすらに1つの音を出し続けた。
あなたと出逢ってから、
3年が経とうとしていた。
けれど、3年が経過する前に、
あなたは居なくなった。
その顔は、"笑顔"だった。
あなたが忘れないでと願うのなら、
私は絶対に忘れないよ。
「…柚唯君、いえ。
社長…Divaは…解散です。」
あなたとの"Diva"。
「………良いのか?」
あなた無くしては、有り得ないのだ。
「私、もう…事務所辞めます…。」
「奏乃…。」
「今まで、ありがとうございました。」
もう、私には何も無い。
せめて、あなたの願いは叶えてみせる。
私はあなたとの日々を忘れない。
この脳内の思い出に、上書きもしない。
私が歌を歌ってしまったら、
あなたは苦しむのかな。悲しむのかな。
私が他の場所を
ステージにしてしまったら、あなたを
忘れることになってしまうのかな。
あなたとの日々を、
何1つ忘れたくない。
私の中で、
あなたは生き続けて欲しいのだ。
もう…歌わないよ。歌えないよ。
あなたが歌わないのなら、
私も歌わない。
鈴と私は、
"Diva"と言う名の1つの片割れ。
大切な音を失った"歌姫"は、歌えない。
翼を失った鳥が翔べないように。
だから、安心して。鈴。私は永遠に…
あなたを忘れることはないのだから。
「それからは、葉月君に会った時と同じ。
音楽に触れることなく、高校に入って
時鶴とまた同じクラスになった。」
時鶴が近くに居てくれて良かった。
『奏乃っ!』
もし、時鶴が居なかったら。
私は今
ここに立っていないかも知れない。
『大丈夫。あたしはここに居るよ。』
親が居なくなった時も。
鈴が居なくなった時も。
真っ黒な瞳を真っ直ぐに見てくれたのは
時鶴だけだった。
「ごめんね。こんなに暗い話…。」
けど、
不思議と話せたことにホッとしていた。
葉月君になら、話せる気がする。
そう思ったのは、
嘘じゃなかったみたい。
「私は、"ケイ"だったよ。」
「……。」
葉月君は、黙ったままだ。
「……不思議。
音楽に関わりたくなかったのに、
葉月君達の歌は心地が良くて、
音楽から顔を背けることを忘れてた。」
見紛う程の美しい容姿。
それに釣り合った何とも美しい歌声。
「葉月君達の歌は、とても綺麗だった。」
これは、私の本当の声。
「……鈴は、
本当にそれを願っていたのか?」
「……え…。」
「鈴が、カナに願ったのは、
本当にそんなことだったのか?」
「………それは…。」
つい最近までは、そうだと信じていた。
けど、
今私の鞄の中に入ってる手紙のせいで、
私の考えが正しいのか、
分からなくなった。
「私は、…分からない。」
「……。」
「この間ね、鈴のお母さんに会ったの。
変わってなかった。
それで…、鈴の手紙を貰ったよ。」
いつからだろう。
こんなに優柔不断で、
情けなくなったのは。
いや、
情けないのなんて、最初からだった。
「そこにはね、私に歌って欲しいって、
ちゃんと鈴の字で書いてあったの。」
私はいつだって中途半端。優柔不断。
何にも興味を持たない私を、
時鶴や鈴だけが受け入れてくれたんだ。
そして、鈴のお陰で初めて…何かに
熱中する気持ち良さを知ったんだ。
「私は、鈴が歌えないのに…
私だけ歌うなんて考えられないのに。」
鈴。あなたが居ないステージで、
私はどうやって歌えば良いの?
音を出して
導いてくれるあなたが居ないと、
私はあの輝かしいステージの上で
声を出すことも出来ないと言うのに。
「私が貫いてきた決意は…
全然空回りだった。
私はこれから…どうすれば良い?」
何でかな。何で私はこうも不器用で、
何もかも旨くいかないのかな。
教えて下さい。誰でも良いから。
私は…どうすれば良い?
「………ごめんなさい。
こんなこと、聞かれても困るよね…。」
やっぱり、私は駄目だな…。
どんなに強がっても…私は弱い。
「歌うしかねーだろ。」
「……へ…。」
葉月君の目が、私を捕らえる。
捕らえて、離さない。
「空回りだった?それがなんだ。
カナは鈴が大切なんだろ?」
彼の瞳は…力強い光を放つ。
「鈴が大切なんだったら…カナが
鈴の最後まで願ったことを叶えてやる。
それで良いんじゃねえのか。」
「……。」
「何を今更迷うことが有るんだよ。
空回りだったっつー決意だって、
全部鈴のために
やったことだったんだろう?」
「……う、ん…。」
「音楽に触れない生活を
鈴のために出来るなら、
音楽と触れ合う生活だって
出来るだろう?」
「……っ…。」
葉月君の少し乱暴な口調も、
どことなく優しさが込もっていて…。
「俺は…、今ならカナが
音楽を拒んだ理由が少し分かるよ。」
「あ…。」
少しずつ…
葉月君は私との距離を詰める。
「ホントは…ホントはさ…。
鈴のためだけじゃなかったんだろ?」
葉月君の大きな手が私の頬に触れる。
指先は、少し冷たく感じた。
「鈴が居ないステージが、怖かった。
そのこともあったんだろ?」
頬を優しく撫でる手は、
優しさに満ちている。
「……カナ。
ここには、俺しか居ないよ。」
「………。」
葉月君の瞳は、綺麗なブラウン。
その瞳は、私をちゃんと映してくれる。
「吐き出して良い。」
「な、何を…。」
駄目。駄目。
これ以上、あなたに優しくされたら。
私はきっと弱い所を見せてしまう。
弱い所を見せてしまったら、
私は私ではなくなってしまう。
私はせめて、あなたの前では
"私"でいたいと思うのに。
「私は、何も…っ。」
「カナ。」
ふわり。
安心する温もりと、薫りが私を包む。
こんなに…
安心する場所があったんだ…。
そこは、鈴とのステージと同じくらいの
安心感があって。
ここが葉月君の腕の中だと知るのは、
数秒間が過ぎ去ってからだった。
「カナ。俺は…受け止めるから。
お前が何を言っても失望も、
軽蔑もしない。」
ぎゅう…と、私を包む葉月君の腕の力が
少しだけ、強くなった。
「だから、強がらなくても良いんだよ。」
強がる…?
その言葉に私は無意識に反応した。
葉月君は、気付いていたのだろうか。
私が、必死に強がっていたって。
私は、葉月君の背中に腕を回していた。
そして、
彼の背中の布をぎゅっと握っていた。
そうだ………そうだよ…。
私は…。
「怖…かった……。」
「……ん。」
自分でも情けない程、声が震えていた。
「ホントは歌いたかった…っ…。
でも…っ、鈴が居ないから…っ…。
私には…1人でっ…ステージに立つ
勇気なんて無かったの…。」
「……ん…。」
歌いたかったんだ。私は。
でも、鈴が居ないと出来ないって、
思ってた。
私を音楽に導いてくれたのは、
鈴だったから。
鈴が居ないと、
ステージに立つことも出来ない。
私は、弱い。
「でも…弱い自分は認めたくなかった。
鈴の願いを叶える…
そのことにひたむきになれる、
強い自分が欲しかったから…。」
自分を出してしまったら、
弱い自分を"私"にしてしまったら、
きっと"私"は崩壊してしまう。
"相澤奏乃"は、鈴の願いを叶えるために
生きているのだから。
もう私は、"ケイ"じゃないから。
逃げ道はもう、私には無い……
私には…
"相澤奏乃"しか残ってないから。
「分かってた…分かってたよ。
自分が"オカシイ"なんて、分かってたよ。
時鶴に…何度も、言われたもん……。」
『奏乃…もう、良いんじゃないかな。』
『奏乃、無理しないで…。』
自分の異常なまでのその"依存"は、
どんどん私をオカシくさせていた。
いつの間にか私は、
鈴が色付けてくれた世界を
自らまた白黒へと後退させていたのだ。
「私は、ただの自己中だったんだね…。」
空回り所じゃ、ないじゃない。
「私……最低だね……。」
ホントに。最低。
「…………何が最低なんだか。」
え、と私は葉月君の胸に押し付けていた
自分の顔を上げる。
葉月君は、私の顔を見るなり
はぁ、と溜め息をついたのだった。
「確かにカナは、ちょっと度が過ぎてた。
それに周りを見えてなさすぎ。」
「………知ってる…。」
「でも。」
葉月君の片方の腕が私から離れた。
もう片方の腕は
相変わらず巻き付いているけど。
その放たれた右手はさっきのように
私の顔の前まで来ていた。
そして。
「わっ…。」
私の眼鏡を、取った。
視界がぼやけて…何も見えない。
「この瞳に、嘘は無い。」
「え…。」
ぼやけた視界に、
うっすら葉月君の顔が見えた。
「カナの、鈴に対する気持ちに嘘は無い。
それが分かれば十分だろ?」
「………。」
驚きで声が出なかった。
葉月君…あなたは、
どうして私を責めないの。
どうしてそんなに
優しい言葉をくれるの。
「カナが、
カナの準備が出来たらで良いから。
もう1度、歌おう。」
目元をきゅっと上げて…微笑みながら
私に言ってくれたように見えた。
「ステージが怖いなら、
俺が一緒に立つから。
導く音が欲しいなら、俺が奏でる。」
「……っ…、は、づき…くっ…。」
頬を温い雫が伝ってきた。
「だから。歌ってくれよ。
鈴のためにも、さ。」
その雫を、
あなたは優しく拭ってくれる。
「おいおい…。泣きすぎ。
お前全然泣かねぇくせに…。」
そう言いながら、
あなたは私の涙を拭ってくれるくせに。
すると突然。頬から
その大きな手の感覚が無くなった。
「え…?」
すると、そのすぐ後。
体を優しく
包み込まれる感覚が私を襲う。
ぎゅう…と。それは少し、力強く。