危険な瞳に恋してる

 紫音には、危険な香りがする。

 ……スゴく。

 もし……もしも。

 このヒトを好きになってしまったら……

 彼の好きなようにされて、捨てられてしまうかもしれない。

 ホストクラブで見かけた、あの女の人みたいに……

 ……そんな怖さがあった。

 紫音には。





 それでも。



 まるで、断崖絶壁から、下を眺めて見たくなるような危うさで、紫音にもっと近づきたくなる。

 ……吸い込まれるように。

 それが、とても怖かった。


 このヒトを好きになってはいけない……



 神様か、悪魔か、それともわたしの本能なのか。



 耳元で囁かれるその言葉に、わたしは、小さくうなづいた。

 
「あんたは、なんでウリなんてしようと思ったんだ?」

 自分の家に一番近い駅について、初めて。

 ホストクラブから今まで、ずっと黙っていた、紫音がわたしに聞いてきた。

 この上なく、不機嫌そうに。

 ……不機嫌なのは、当たり前か。

 仕事を早々に切り上げなくてはいけなかった上に、大事なお客さんに花束で殴られれば、誰だって……

 ………。

 それでも、これは『先生』にも。

 ましてや、今日出会ったばかりの『紫音』にも、話す事じゃない。

 黙っていたら『紫音』にぎろりと睨まれた。

 その迫力に、わたしはしぶしぶ口を開く。

「わたしが好きなヒトが……
 色気の無いコは好きじゃない……って……
 色々させてあげられるコの方がいいって……
 はじめて……する、と……
 すごく色っぽくなるって聞いた事があるし……
 いろんな事、覚えられるかな……って」

 言ったとたん。

 紫音のどこかでぷちっと何かがキレたようだった。

「莫迦か!? あんたは!
 もう少し自分を大切にしろ!
 そんな奴とっとと忘れて、もう少しマシな奴を探せ!」
 
 あれ……?

 紫音って……本当は優しい……?

 わたしを心配してくれているような声音に、ちょっと驚いた。

 ……でも。

「でも、わたし、加藤先輩が好きなの……!」

 先輩が、ボールを追って走っているのを見るのが好き。

 シュートが上手くいって、チームメイトと笑いながら、もみくちゃになっているところも。

 他にも。

 他にも。

 サッカー部のマネージャーとか、ファンクラブとか、そういった中に入るのはすごく苦手だけど。

 先輩が好きで……

 先輩に気に入られるなら、きっと何でもできる、って思ってた。

「……サッカー部の加藤か?
 噂は、色々聞いている」

 紫音の顔が一瞬引っ込んで、ふ……とわたしが良く知っている村崎先生になったような気がした。

 いつも、静かに。

 穏やかに話しをする、村崎先生に。

「どれも、あまり良い噂では無かったな……守屋。
 男が欲しいなら……オレを……試してみないか?
 オレだって相当薄汚れてはいるが、あんなガキよりは、まだマシだ。
 オレは、あんたが好きだよ?」

「……え?」

 そそそ、それって……!

 思いもかけない言葉に、ぼんっと、顔が赤くなるのがわかる。

 それって先生がわたしに告……?

 わたしが一人でじたばたしていると、村崎先生は、すっと紫音に戻った。

「……冗談だよ、莫迦だな。
 からかい甲斐のある奴。おもしれぇ」

 な、なによっ!

 今度は、わたしの中で何かがぷちっとキレた。
 
 やっぱり、このヒト……!

 危険な、ホストの紫音なんだ……っ!

 ヒトの真剣な心をもてあそぶなんて!

「何がおかしいのよ!」

 今や、背中を丸めてげらげらと笑っている紫音をどついて、わたしは、くるり、と後ろを向いた。

 気のあるふりして落っことすなんて!

『好き』だって、紫音はだれにでも、簡単に言うにちがいない。

 わたしは、先輩に言うのに、ものすごく勇気が入ったのに。

「……も、帰るっ!」

「ま、待てよ。
 家までは、送るって……!」

 まだ笑いながら、追って来る紫音を振り切って、歩いて帰ろうと二、三歩進んだ時。

 前からやってくるヒトを見つけて立ちすくんだ。

「お……お父さん……」

 そういえば。

 気がつけば、帰らなくてはいけない時間を……門限をだいぶ過ぎて……いた。

 だいぶあちこち、わたしを探して歩き回っていたらしい。

 汗だくで、ぼろぼろになっている。

 父さんは、わたしを見つけると「春陽……っ!」と叫んで走ってきた。
 
「今何時だと思っているんだ!
 こんなに遅くまで!!」

 ……父さんは、アタマごなしに怒鳴る。

「遅いって、まだ九時前……」

「ウチの門限は、塾がある日でも、七時のはずだ!」

 過保護も過ぎると……すごい横暴だ。

 コレがあるから……私は、何も出来ない。

 何かの部活に入るコトも。

 サッカー部のマネージャーになるコトも。

 合宿とかで泊まると言ったら、一緒について来かねないほどに……わたしを監視する。

 いつだって。

 わたしは、もう少し、自由になりたかったのに。

 こんな風に、がんじがらめにわたしを縛る父さんは。



 ……世界で一番嫌いだ。




「今まで、どこをほっつき歩いていたんだ!」

 ……正直に。

 正直に、街でウリに出てた……なんて言ったら。

 ……パッタリ倒れてしまうかもしれない。

 何も話せなくて黙っていると、父さんは、わたしの肩をガシッとつかんだ。

「春陽っ!」

「そこの本屋で参考書を選んでましたよ?
 それはもう、真剣に。
 しかし。
 確かにもう遅いので、たまたま居合わせた私が、家まで送るつもりでした」

 絶対絶命の会話に。

 穏やかな。

 ともすると、のんきそうにも聞こえる声が割って入った。

「誰だ、お前は?」

 紫音!

 紫音がまた……助けてくれたんだ!

 ……でも……!
 
 助け舟のつもりでも、派手なホストの紫音が出て来たら、父さんは余計に怒るに違いない。

 なのに。

 わたしの心配をよそに後ろで、紫音はしれっと答えた。

「守屋さんの通っている高校で、日本史を担当させていただいている、村崎と申します」

「……え」

 その言葉に驚いて、振り返ると。

 アクセサリー類を全て外し、きまっていた髪を手櫛で解いた彼がいた。




 そこに、ホストの紫音は居なかった。





 どう見ても……村崎先生だった。





 せいぜい、高いレストランで食事をする為に、頑張って着飾ったような、村崎先生が佇んでいただけだった。


「それは失礼を……いつも娘がお世話になってます!」

 父さんは。

 紫音、いや。

 村崎先生の言葉にアタマを下げた。

 なんてヒト……!

 疑り深い父さんを、たった一言の、フツーの挨拶で信じさせてしまうなんて……!

 いや、本当に先生なんだけど。

 雰囲気の切り替えの素早さに、わたしは、ただ、ただ驚いていた。
  
 父さんと紫音は、和やかに学校の話なんかしている。

 呆然としているわたしをよそに。

 ………でも。

「……では、私はこれで」

 ずっと穏やかな微笑みをたやさなかった村崎先生は。

 帰り際、わたしにすれ違いながら、小さな声で、囁いた。


 からかうように。



「親にバレたくなかったら、言い訳ぐらい考えておけよ。
 莫迦なやつ。」


 ……ば、ばかっ……!?


 また、莫迦って言った!



 腹立つ!



 莫迦にされて、わたしは、思わず心の中でゲンコツを握りしめると。

 すれ違う紫色の瞳が笑っていた。

 彼は、そのまま歩いて行くと。

 後ろ向きのまま、キザっぼく手を振った。






 先生と紫音の中間で。






 やっぱり、わたしのコト、莫迦にしている!




 ……わたし、このヒト嫌い。




 世界で一番大嫌い!


 横暴な父さんと、どっちがより嫌いか、考えたくないぐらいに!



 わたしは、腹を立てていて気がつかなかった。






 とても大切なものを忘れていた事に。






 
「ただいまぁ~~」



 ぽふん



 部屋着に着替えもせず、自分の部屋のベッドに飛び乗って、ようやく。



 ……落ちついた。



 父さんに連れられて、家に帰りつき。

 父さんほどでは無くても、ガミガミうるさい母さんの小言と夕食を断って。

 そして。



 ミャア。



 わたしが寝ころぶと、ぴょん、とベッドに乗って来るヤツがいる。

 尻尾の長い小さな黒猫だ。

「らいむ、おいで?」

 わたしが呼ぶと、子猫は、嬉しそうに寄ってくる。

 その。

 ふわふわの背中を撫でなから、わたしは、思わず、ため息をついた。


 ……結局。

 父さんの小言は、驚くほどちょっぴりで済んだ。

 ………紫音の助け舟が、あったからだ。

「なにか、複雑な気分……」


 紫音は、嫌い。

 時々スゴく怖い上に、わたしの事を莫迦にしてからかうから。



 だけど。





 ……今日は、二回も助けて貰っちゃった……






 わたしは今まで、紫音の事どころか、村崎先生の事だって、良く知らなかったのに。






 
 


 どきん……



 耳をすますと、心臓の音が聞こえたような気がして、驚いた。



 ……どきん



 思わず、不思議な色の瞳のことを思い出して、もう一つ心臓の音を聞く。




 わたし。



「……わたし……紫音のコト……好きになっちゃったのかな……?」



 声に出して言ってみて、首を振る。


 ううん。違うよね。


 だって、わたし。

 加藤先輩が好きな気持ち、変わらないもの。

 わたしのこのどきどきは、きっと、困っていたところを助けてもらったからだ。

「ねぇ、らいむ。
 おまえも、わたしに拾われた時、どきどきした?」

 子猫は目を細めて、咽をゴロゴロと鳴らした。

 そう。

 この猫と同じ。

 ダンボール箱で、捨てられて。

 雨に打たれて、にゃあにゃあ鳴いている所を、放って置けなくて、成り行きで拾っちゃったのと。

 拾われちゃったのと。

 ……たぶん、同じだ。

 だから。

 だから、この思いはきっと感謝で。

『好き』じゃない。