リュナは落ち着きを取り戻し、改めてカルサの様子を伺った。

見えるのは彼の頭の上だけ、表情は全く見えないが彼もまた落ち着きを取り戻そうとしているようだ。

様子がおかしい、そんな事は分かっている。

総本山に来てから、来る前からもどこかおかしかった。

「カルサ?」

躊躇いながらもゆっくりと頭を撫でながら声をかける。

しかしカルサは何も答えず、ただリュナを抱きしめていた。

目を閉じてリュナの体温と鼓動を感じる。

何もかも忘れられる、そんな瞬間を求めているのかもしれない。

甘えられているのが分かり、愛しさと同時に切なさが込み上げてきた。

リュナは屈み、カルサの背中にキスをする。

その刺激に反応したのかカルサは身体を起こした。

「…悪い。」

相変わらず顔を合わせはしないが、リュナが少し覗きこむことでカルサの表情を見ることができた。

少し無気力な、虚ろげな目をしている。


リュナはカルサの肩に手をあて、目を合わせてくれない彼の頭を見つめた。

「シードゥルサが心配?」

その言葉にカルサは目を見開く。

反射的に顔を上げると心配そうに見つめてくるリュナと目が合った。

「何で…。」

カルサの驚いた声にリュナは微笑む。

揺れるカルサの目には寂しげに笑うリュナの顔が映り、肩に置かれていた彼女の手がカルサの頭を撫でて髪を指に絡めた。

まるで母親にあやしてもらっているような、そんな優しく温かい空気に包まれる。

「私のこと、何も知らないって思ってるでしょ。」

その質問に目を見開いたカルサはまた何も答えられなかった。

言葉を無くすなんて思い出せる限りでは数える程でしか体験したことがない。

信じられないが確かに何も思い付かないし、とりあえずの声も出てこないのだ。

それは図星だと言っているようなものだった。

リュナは微笑み、固まったままのカルサの手を取る。

「行きましょ!」

「えっ?」


「守麗王様や皆が待ってる。」

珍しく彼女に圧されたままカルサは腕を引っ張られ、そのまま部屋の外に出た。

まだ頭が回っていないのか、楽しそうに笑うリュナの背中を引っ張られて追うだけだ。

「どんなお料理が出るんでしょうね。楽しみです。私、甘い物が好きなんですけど陛下は…。」

駆け足に近い速さでカルサを引っ張るリュナは、振り返って彼の姿を見た瞬間に言葉をつまらせた。

しまったという表情で口を隠す、そんなリュナの様子に調子を崩していたカルサは冷静さを取り戻した。

そしてため息をひとつこぼす。

「言葉遣い。」

カルサの呆れた声にリュナは照れ笑いをして頭を掻いた。

「そうね、ごめんなさい。」

違和感を覚えながらも口にした言葉、向き合うリュナの目を見てカルサは気が付いた。

この会話が計算され作られたものだとリュナの態度で分かる。

わざと言わせたこの会話に彼女の優しさを感じずにはいられなかった。

リュナなりの気配りになんとも情けなくなる自分を奮い立たせる。


「いや。行こうか。」

あえて感謝を口にはせずにカルサは歩き始めた。

離れてしまった手が再び繋がれることはなかったが、並んで歩く今の方が近くに感じる。

会場は一人で散歩していた時に見付けたという、リュナの案内で目指すことにした。

どうやらその時にもうすぐ始まると聞いたようだ。

場所は宮殿内にある式典などに使われそうな大広間、そこには既にたくさんの食事と人が集まっていた。

「お飲み物をどうぞ。」

主役を待ち構えていたように女官がグラスの乗ったトレイを差し出す。

「私たちの新しい仲間に。乾杯!」

守麗王の声を合図に掲げたグラスで乾杯を行い、みな自由に話を始めた。

無数の世界に散らばる御劔が既に何人か総本山で暮らしている。

こんな場所でない限りこうして集まることはそうない。

御劔は象徴として扱われる者、戦士として闘う者、人知れず暮らす者、正体を隠し普通に生きる者、そしてカルサの様に国や集落を治める者。

様々な形で己の人生を生きている。

しかし大多数の者が形に構わず命を狙われていた。

強大な力をもつ故かの追われ狙われる日々、そんな生活に疲れて抜け出し総本山に住む者も少なくはないと聞いている。

御劔たちがいつでも帰れるように、居場所を与える意味での総本山という彼らの企みは良い方向に向かっているのだろう。

皆が楽しそうに笑っているのだ。

「やあ、君が雷神だね?会えて嬉しいよ。」

「初めまして、風神。」

リュナに話しかける者、カルサに話しかける者、二人は同じ場所に居ながらも会話をするのは困難だった。

余所行きの顔は作り慣れている。

カルサは愛想を振りまいて適当に会話を済ませ周りの興奮が冷めるのを待つ。

やがて落ち着いた頃に沙更陣がカルサに近寄ってきた。

手にはグラスを二つ。

「カルサ。さっき庭に行ったのか?」

グラスを差出しながら問いかける、カルサはそれを受け取り、はい、と頷いた。

ふと辺りを見回してみると守麗王の横にはジンロが位置して警護している。



どちらか一人が必ず護衛につく、御劔の当主は常に命を狙われていてもおかしくはないのだ。

「今はジンロがついているよ。」

何を気にしているのか分かった沙更陣は背けていたカルサの顔を自分の方に向けさせた。

相変わらず優しい笑みを絶やさない沙更陣、その顔を前にしてもカルサは無表情だった。

作り笑いも部分的にしか使わないようだ。

温度の低いカルサの振る舞いに沙更陣の目に悲しみが表れる。

「ジンロの方が良かったかな?私は彼女…ロワーヌの…。」

「何を仰るのですか。沙更陣様と話せるだけでとても光栄です。」

カルサは笑顔で沙更陣の言葉を遮った。

さっきまでとは違う完全に外向けの笑顔、あからさまな感情の示し方は露骨だ。

それには思わず沙更陣も苦笑いしてしまった。

「会えて嬉しかったよ、どうか楽しんでいってくれ。」

これ以上話すことはないと態度で示され、諦めた沙更陣は去っていった。

最後の言葉を発する前の微妙な表情が気にならなかった訳ではない。

しかし去り行く沙更陣を呼び止める気がカルサには起きなかった。


彼の後ろ姿をちらりと見つめ、カルサはその場から離れて人混みをかきわける。

「カルサ!」

動き出して間もなくカルサを呼び止める声がした。

聞き覚えのある声だけに目を見開いて足を止める。

「千羅。」

カルサの視線の先に手を挙げて立つ千羅を見付けた。

珍しく千羅が姿を表し、しかもカルサの名を呼んでいる。

その時カルサは沙更陣が見せた去り際の表情の意味に気が付いた。

どうやらカルサの背後で地神・千羅が睨みをきかせていた事が理由のようだ。

「あっちへ行かないか?」

親指を立てて後方を指す、カルサは物言わず頷いて彼の後に続いた。

千羅はカルサを会場に面した広いバルコニーに連れ出したかったらしい。

天気もよく、開放的で過ごしやすい場所だというのに意外と誰もいない。

まるで二人の為に用意されたようだ。

「どうした?珍しいな。」

「パーティーだし、少しくらい楽しんでもいいでしょ。」


持っていた瓶に口をつけて酒を喉に流し込む。

その姿は下町にいる普通の若者のように見えた。

千羅のこの言葉遣いを聞くのは随分と久しぶりで懐かしく思える。

「それとも何か?俺は影に徹しろと?」

「そんなこと言うか。好きにしたら良いと思ってる。お前も英琳も、サルスも。」

そう言ってカルサもグラスに口をつけた。

懐かしい味がする、しかしその気持ちには気付かないフリをしてカルサは目の前に広がる景色を眺めた。

美しい緑溢れる光の国。

「さっきリュナに凄い事言われたよ。」

バルコニーの手摺りに身体を預けカルサは笑った。

カルサの横に並ぶように、千羅は景色を背にして手摺に身体を預ける。

「へぇ…どんな?」

カルサがこんな言い回しをするのは珍しい。

しかも気のせいか穏やかな顔をしているように見えた。

敬語の抜けた千羅と並んで肩の力が入らない会話をしている、それだけでも可笑しな話なのにとカルサは一人で笑った。


そして言われたばかりの彼女の言葉を思い出したのだ。

少し寂しそうな目で口にした彼女のあの表情と共に。

「私のこと、何も知らないって思ってるでしょ。」

その瞬間、千羅は固まった。

彼はおそらく、それを言われた時のカルサと同じ反応をしていただろう。

何回かの瞬きを重ねた後、止めていた時間を動かすように吹き出した。

しかし遠慮したのか千羅は拳を口に当てて肩を揺らしながら声を殺して笑う。

「いいぞ、おもいきり笑えよ。」

カルサのその言葉を合図に千羅は大声で笑い始めた。

いいとは言ったものの、あまりの豪快な笑いにカルサは顔を赤くしむくれる。

しかし千羅はお構い無しにお腹を抱えて笑い続けた。

「そうきたか!言われたな、お前!」

予想以上に笑い続ける千羅に腹を立てるかと思ったが、反してカルサは笑った。

そして目の前に広がる庭を眺める。

何も知らない、その言葉にカルサの中に思いが廻った。