「いや、いいよ。僕はワインより、ビールの方が好きなんだ。
特に、ここのビールはうまい」
そんな風にさりげなく、僕は「僕」である事を彼女に主張する。
「そうね、おいしそう。
本当はわたしも、ワインよりビールが好きなの」
意外にもそんな事を言って、野中七海が悪戯が見付かった子供の様に笑った。
「そうなの?」
「そうよ。
でも、アユ、ビールはあんまり飲まなかったし」
僕は二、三度、わざとらしい瞬きをして彼女を見た。
「なら、ビールを注文すればいい。
本当においしいから」
殻を被った彼女が、チラリと「本当」を見せてくれた様な気がした。
僕は店員を呼び、僕と同じビールを彼女のために注文する。
彼女は躊躇いを見せたけれど、それに僕は気が付かないフリをした。
………
今日、いつになく僕の気持ちは妙に急いでいた。
何か、ここから大きな一歩が踏み出される様な気がしてたまらなくなる。
僕の中に眠っていた男の身勝手な強引さが、所々に現れてきて自分でも驚いてしまう。