「……ありがとう」
そう言って野中七海は、僕が差し出した灰皿を受け取る。
彼女の煙草は、すでにフィルター近くまで灰になってしまっていた。
……このキッチンだって。
歩太がいなくなってからは、常に煙草の匂いが漂っている。
煙草の匂いを嫌っていた歩太。
けれども今はこうして、壁や天井にはヤニが染み付いてしまっている。
いつも、何かは少しづつ変化を伴っていく。
人が必要以上に記憶などに囚われて、身動きできないでいるのは、人間の持つ恐怖心を煽る想像力のためだ。
『もし』『あの時』『また』
けれども変化は必ず訪れる。
時間というものはそういうものだし、そうでなければ人間は生きてはいけないだろう。
野中七海にも、そう。
……変化は必ず訪れる。
訪れなくてはならないのだ。
可能ならば僕の手で、それを引き寄せてやりたい。
そんな至極傲慢な事を考えて、僕は一つ、小さな溜め息を吐く。