「…もしも、あなたの目が見えなくなっても」
「え?」
コチン、と固そうな音でグラスが置かれた。
クリープもガムシロップも入っていないアイスコーヒー。
さっきまで黙っていたタチくんがいきなり、もしも、なんて呟くから、わたしは驚いて聞き返す。
「なに、それ?」
「あー…うん。なんかの小説にのっとったねん。あなたの目が見えなくなっても、わたしは化粧するし、一生懸命、洋服を選ぶって」
タチくんはぼうっとしたままそう言って、ガラス張りになっている外の景色を見下ろす。
少し隠された、タチくんの目元。
店の中でも、タチくんはいつも帽子を被っている。
「そんなんさぁ、あり得んやろ。おれやったら絶対、手ぇ抜くわ」
なぁそう思わん?と聞かれたから、うんそうだね、と答えた。笑って答えた。
なんていう小説なの?そう聞いたら、忘れた。
いつ読んだの?そう尋ねたら、だいぶ前。
わたしも最近、本読んでるんだ。そう話しかけてみたけれど、へぇ。
そんな返事しか返ってこなかったから、わたしは口をつぐんだ。
本の名前は、言わなかった。