十夜は、力強い声で告げる。


「俺は、お前を愛してない」

「違うわ。そんな言葉、聞きたくない! 違う違うっ」


狂った心は、茨の棘を持ちながら、硝子のように脆い。

摩耶は、壊れかかる心で、必死に十夜を見つめた。


「十夜・・・・・・愛してるの。本当よ?」


摩耶が伸ばした手から、十夜は身を引く。

この手を取ることは、もう二度とない。


「・・・・・・あんたさえ・・・・・・あんたさえいなければッ」

「!」


殺意に満ちた目が、月野を捉らえる。

身を硬くする月野に、摩耶が素早く襲いかかった。


「キャア!」


悲鳴を上げたのは、摩耶だった。

十夜は、刀で容赦なく摩耶の腕を切り付けた。


「痛いわ、十夜」


すぐに癒えるが、傷を負えば痛みを感じる。


「十夜が私を攻撃するなんて・・・・・・。その女が、何か十夜に命令してるの? そうよね! 十夜が私を傷つけるはず、ないもの」



壊れかかる心を守るための、現実逃避にも似た言葉。


「綾織くん・・・・・・」

「十夜に触らないで!」


悲痛な摩耶の叫び。

一途に愛を求める彼女は、痛々しい。


「十夜。十夜は私を愛してるわ。だって、そう言ってくれたもの」


あの日、彼女のために告げた、偽りの愛してる。

そこには、微塵の愛情も込められてはいない。

冷たい、酷いと言われても、十夜は反論などしないだろう。

非を受け入れて尚、偽れぬ気持ちがある。


「摩耶・・・・・・」


十夜は静かに目を伏せ、思いを馳せた。


彼女と初めて会った時。

彼女が許婚となった時。

彼女が、十夜と仲良く遊ぶ妹に嫉妬したこと。

彼女が、教会で嬉しそうに行った結婚式のまね事。

彼女が、十夜に告白した女の子を傷つけたこと。

彼女が、死んだと聞いて出向いた葬儀のこと。


君が悪いんじゃない。

愛してあげられなくてごめん。



君の思いのすべてを受け入れられるほど、俺はできた人間じゃない。

だから、恨むなら君を殺す俺を恨め。


十夜は、朧村正を静かに構えた。


「私を愛してると言って。ねぇ、十夜?」

「摩耶、哀れな女―――」


―――ドス・・・・・・ッ。


心臓を貫く朧村正。

しかし、傷はすぐに癒えようとする。

十夜は、引き抜き、また刺した。


月野は目を背けたかった。

けれど、真っ直ぐに見つめて、逸らさない。

背けちゃいけない。


「ほら、やっぱり十夜は・・・・・・私のこと、愛してるのよ・・・・・・」


あの女じゃなくて、私を抱きしめてる。

私の十夜。

私だけの、十夜―――。


「せめて、安らかな夢を見て―――眠れ」


ヴァンパイアの強い心臓が、その機能を終える時。

摩耶の体は、力無く倒れた。


「十夜・・・・・・愛してるわ・・・・・・」


彼女を染めるのは、赤い赤い、真っ赤な血。



微笑み、摩耶はゆっくりと目を閉じた。

甘くて優しい、永遠に続く夢を見るの。

そこは、きっと彼女の心を癒してくれる。

たとえ、十夜がいなくても。


「うっ・・・・・・」

「綾織くん!」


十夜が、その場に膝を付く。

まだ本調子じゃないのに、無理をし過ぎた。


―――ガサッ。


物音が聞こえて、月野は顔を上げる。


「お父さん・・・・・・?」


現れた人物に、月野は開いた口が塞がらない。


「な、なんで・・・・・・?」

「お前を迎えに来たんだ。どうやら、終わったようだな」


息絶えた摩耶を、慧は優しく抱き上げた。


「月野。頑張ったな」


微笑みを浮かべて、慧は摩耶を抱いて、二人の元から立ち去る。


頑張った?

ううん、頑張ったのは私じゃない。


「月野、泣いてるのか?」


近くにあった木に体を預け、十夜は月野の頬に手を伸ばす。


「ありがとう、綾織くん。・・・・・・ありがとう」



血に濡れた十夜の手は、冷たかった。

月野は握りしめ、震える声でありがとうと言い続けた。

“ごめんなさい”を込めた、“ありがとう”を。


彼の手を、また血で汚したのは自分だ。

それが申し訳なくて、顔を見れない。

伝えようと思っていた言葉も、言えやしない。


「月野。言いたかったことがあるんだ」

「・・・・・・何?」


俯く月野に、十夜は思いを解き放った。


「好きだ」

「・・・・・・え?」


顔を上げれば、十夜の赤い瞳と目が合った。

感情が高ぶっても、ルビーアイは表れる。

恥ずかしさと、溢れる愛情が映し出されたその瞳に、月野は心を奪われた。


見とれるほどに美しい。


「愛してる」

「私・・・・・・」


答えなきゃ。

なのに、言葉がうまく出てこない。


「迷惑なら、はっきり言ってくれ」

「違う! あの・・・・・・」


顔が熱い。



早鐘のような心臓に、急かされる。


「私も、好き・・・・・・です」


言いたいことはたくさんある。

どこが好きだとか、どのくらい好きだとか。

でも今は、この一言が限界。


「・・・・・・本当に?」

「うん」

「信じられない・・・・・・」

「え?!」


驚く月野に、十夜が微笑む。


「キス、してくれ。そしたら、信じられるかもしれない」

「!」


いきなりの要求に、月野はたじろぐ。

キスを、自分から?


「月野。やっぱり迷惑なんじゃ・・・・・・」

「そんなことないっ。あの、えっと・・・・・・」


先程までの緊迫した空気が、嘘のよう。

十夜が放つ甘い雰囲気に、月野は覚悟を決めた。


「目、閉じてて」

「わかった」

「・・・・・・んっ」


月野はありったけの勇気をかき集めて、十夜の唇に不器用なキスを落とした。



「・・・・・・これが限界」

「あぁ、ありがとう」


十夜が、優しく月野を抱きしめる。


「月野、愛してる」

「・・・・・・うん」


十夜の腕の中で、月野は幸せな笑顔を浮かべていた。










―――綾織本家


慧が連れて来た摩耶を見た時臣は、小さくため息をつき、肩の力を抜いた。


「すべて、終わったのだな」

「そうですね」


微笑みを浮かべる摩耶の顔。

自分達から見た最後がどうであれ、彼女には幸せな最後だったのだろう。


十夜がどんな思いで、摩耶の命を絶ったのか。

それを推し量ることはできないが、迷いはなかったと信じている。


「―――慧」

「なんですか?」

「戻る気はないのか?」



慧がいれば、音無家は安泰だ。


「お前の娘を、十夜は気に入っているようだし・・・・・・」

「戻るなんて考え、家を捨てると決めたあの時に、一緒に捨てましたよ」


自分が選んだのは、ヴァンパイアの世界ではない。

この世で唯一、愛した人間の女性。

そして、誕生したのは最愛の娘。


「帰る場所は、妻の笑顔が待つ場所です」

「そうか・・・・・・」


胸に刻んだ覚悟は強い。

慧が再びこの地を訪れたのは、娘のため。


「美鶴殿は・・・・・・いや、なんでもない」


時臣は首を振り、立ち去る慧を見送るため、大広間を出た。


「では。もう会わないことを願って」

「・・・・・・そうだな」


慧は変わらぬ笑みを浮かべて、消えていく。


「帰りましたのね」

「・・・・・・朔」


振り返れば、病弱な妻。

時臣は眉間を険しくするが、朔は気にせず腕を組む。


「綺麗な月ですわ、時臣様」

「・・・・・・あぁ、そうだな」



本当に、綺麗な月だ。


(災い、か)


結局、あの娘がもたらしたものは、災いではなかった。

彼女はただ、ゆっくりと廻る運命の輪を、少しだけ早めただけだ。


「今夜は、お前と眠ろう、朔」

「はい、時臣様」


朔は微笑み、愛しい夫の腕に頬を寄せた。










「月野ちゃ〜ん?」


燃える教会を背に、椿は月野の姿を探す。


「あんたも探しなさいよ」

「はぁ・・・・・・」


何と言うか、期待した自分が悪いのか。

教会から脱出した後の椿は、珍しくしおらしかった。


だというのに、椿はすぐに気持ちを切り替えて、月野探しに精を出す。


「なぁ、椿」

「何よ?」

「お前は俺のこと―――」


決定的な台詞を遮ったのは、悪気を知らないあの子。


「花村さ〜ん」

「月野ちゃん!」


手を振る月野に肩を借りているのは、十夜だ。


「無事みたいね。で? 何か言いかけたでしょ?」