わかりきった未来に夢を見れるほど、自分は子供じゃない。

かと言って、思いを断ち切れるほど、大人でもない。


「うるさいっ、うるさいっ。あんたなんか、死んじゃえばいいのよ!!」

「―――!」


振り下ろされる刀に、月野は目を瞑る。


しかし、いつまでたっても痛みは訪れない。

恐る恐る目を開けてみれば―――。


「離してっ!」


刀を奪おうとする十夜と、それを阻止しようとする摩耶。


「綾織くん・・・・・・」


十夜の瞳も、赤かった。

刀を奪い取った十夜は、月野に歩み寄る。

額に浮かぶ汗と乱れる呼吸が、彼の必死さを伝える。


「綾織くん、あの―――!」


言い終える前に、十夜が無言で月野に口づけた。


「ん・・・・・・!?」


深い口づけは、一瞬で終わり、十夜は力強く月野を抱きしめた。


「よかった、生きてる・・・・・・」


十夜の手は、震えていた。



月野が無事で、ちゃんと生きて、自分の前にいる。

それだけで、こんなにも嬉しい。


「嫌! 嫌嫌嫌!! 私の前で、そんな女と・・・・・・。いやぁ―――!!!」


狂ったような悲鳴は、夜に染まる森に響き渡る。

月野はその叫びに、身を震わせた。


それは、彼女が理性を完全に捨てた瞬間だった。


「月野、ここにいろ」

「でも・・・・・・」


十夜は微笑むと、摩耶に刀を向けた。

もう、迷いはない。


「摩耶。ここでお前を殺す」


それが、自分が彼女に贈れる、せめてもの慈悲と優しさだ。


「嫌・・・・・・いやいや嫌ッ」


流れる涙は、悲しみなのか、怒りなのか、憎しみなのか。

彼女の目に映る世界は、きっと、絶望でできている。


「私を愛してると言って! 私だけを見てるでしょう?」


縋るような願いに、十夜は首を振る。

彼女の前で偽り続けた自分の心。

もう、偽ることはやめたんだ。



十夜は、力強い声で告げる。


「俺は、お前を愛してない」

「違うわ。そんな言葉、聞きたくない! 違う違うっ」


狂った心は、茨の棘を持ちながら、硝子のように脆い。

摩耶は、壊れかかる心で、必死に十夜を見つめた。


「十夜・・・・・・愛してるの。本当よ?」


摩耶が伸ばした手から、十夜は身を引く。

この手を取ることは、もう二度とない。


「・・・・・・あんたさえ・・・・・・あんたさえいなければッ」

「!」


殺意に満ちた目が、月野を捉らえる。

身を硬くする月野に、摩耶が素早く襲いかかった。


「キャア!」


悲鳴を上げたのは、摩耶だった。

十夜は、刀で容赦なく摩耶の腕を切り付けた。


「痛いわ、十夜」


すぐに癒えるが、傷を負えば痛みを感じる。


「十夜が私を攻撃するなんて・・・・・・。その女が、何か十夜に命令してるの? そうよね! 十夜が私を傷つけるはず、ないもの」



壊れかかる心を守るための、現実逃避にも似た言葉。


「綾織くん・・・・・・」

「十夜に触らないで!」


悲痛な摩耶の叫び。

一途に愛を求める彼女は、痛々しい。


「十夜。十夜は私を愛してるわ。だって、そう言ってくれたもの」


あの日、彼女のために告げた、偽りの愛してる。

そこには、微塵の愛情も込められてはいない。

冷たい、酷いと言われても、十夜は反論などしないだろう。

非を受け入れて尚、偽れぬ気持ちがある。


「摩耶・・・・・・」


十夜は静かに目を伏せ、思いを馳せた。


彼女と初めて会った時。

彼女が許婚となった時。

彼女が、十夜と仲良く遊ぶ妹に嫉妬したこと。

彼女が、教会で嬉しそうに行った結婚式のまね事。

彼女が、十夜に告白した女の子を傷つけたこと。

彼女が、死んだと聞いて出向いた葬儀のこと。


君が悪いんじゃない。

愛してあげられなくてごめん。



君の思いのすべてを受け入れられるほど、俺はできた人間じゃない。

だから、恨むなら君を殺す俺を恨め。


十夜は、朧村正を静かに構えた。


「私を愛してると言って。ねぇ、十夜?」

「摩耶、哀れな女―――」


―――ドス・・・・・・ッ。


心臓を貫く朧村正。

しかし、傷はすぐに癒えようとする。

十夜は、引き抜き、また刺した。


月野は目を背けたかった。

けれど、真っ直ぐに見つめて、逸らさない。

背けちゃいけない。


「ほら、やっぱり十夜は・・・・・・私のこと、愛してるのよ・・・・・・」


あの女じゃなくて、私を抱きしめてる。

私の十夜。

私だけの、十夜―――。


「せめて、安らかな夢を見て―――眠れ」


ヴァンパイアの強い心臓が、その機能を終える時。

摩耶の体は、力無く倒れた。


「十夜・・・・・・愛してるわ・・・・・・」


彼女を染めるのは、赤い赤い、真っ赤な血。



微笑み、摩耶はゆっくりと目を閉じた。

甘くて優しい、永遠に続く夢を見るの。

そこは、きっと彼女の心を癒してくれる。

たとえ、十夜がいなくても。


「うっ・・・・・・」

「綾織くん!」


十夜が、その場に膝を付く。

まだ本調子じゃないのに、無理をし過ぎた。


―――ガサッ。


物音が聞こえて、月野は顔を上げる。


「お父さん・・・・・・?」


現れた人物に、月野は開いた口が塞がらない。


「な、なんで・・・・・・?」

「お前を迎えに来たんだ。どうやら、終わったようだな」


息絶えた摩耶を、慧は優しく抱き上げた。


「月野。頑張ったな」


微笑みを浮かべて、慧は摩耶を抱いて、二人の元から立ち去る。


頑張った?

ううん、頑張ったのは私じゃない。


「月野、泣いてるのか?」


近くにあった木に体を預け、十夜は月野の頬に手を伸ばす。


「ありがとう、綾織くん。・・・・・・ありがとう」



血に濡れた十夜の手は、冷たかった。

月野は握りしめ、震える声でありがとうと言い続けた。

“ごめんなさい”を込めた、“ありがとう”を。


彼の手を、また血で汚したのは自分だ。

それが申し訳なくて、顔を見れない。

伝えようと思っていた言葉も、言えやしない。


「月野。言いたかったことがあるんだ」

「・・・・・・何?」


俯く月野に、十夜は思いを解き放った。


「好きだ」

「・・・・・・え?」


顔を上げれば、十夜の赤い瞳と目が合った。

感情が高ぶっても、ルビーアイは表れる。

恥ずかしさと、溢れる愛情が映し出されたその瞳に、月野は心を奪われた。


見とれるほどに美しい。


「愛してる」

「私・・・・・・」


答えなきゃ。

なのに、言葉がうまく出てこない。


「迷惑なら、はっきり言ってくれ」

「違う! あの・・・・・・」


顔が熱い。



早鐘のような心臓に、急かされる。


「私も、好き・・・・・・です」


言いたいことはたくさんある。

どこが好きだとか、どのくらい好きだとか。

でも今は、この一言が限界。


「・・・・・・本当に?」

「うん」

「信じられない・・・・・・」

「え?!」


驚く月野に、十夜が微笑む。


「キス、してくれ。そしたら、信じられるかもしれない」

「!」


いきなりの要求に、月野はたじろぐ。

キスを、自分から?


「月野。やっぱり迷惑なんじゃ・・・・・・」

「そんなことないっ。あの、えっと・・・・・・」


先程までの緊迫した空気が、嘘のよう。

十夜が放つ甘い雰囲気に、月野は覚悟を決めた。


「目、閉じてて」

「わかった」

「・・・・・・んっ」


月野はありったけの勇気をかき集めて、十夜の唇に不器用なキスを落とした。



「・・・・・・これが限界」

「あぁ、ありがとう」


十夜が、優しく月野を抱きしめる。


「月野、愛してる」

「・・・・・・うん」


十夜の腕の中で、月野は幸せな笑顔を浮かべていた。










―――綾織本家


慧が連れて来た摩耶を見た時臣は、小さくため息をつき、肩の力を抜いた。


「すべて、終わったのだな」

「そうですね」


微笑みを浮かべる摩耶の顔。

自分達から見た最後がどうであれ、彼女には幸せな最後だったのだろう。


十夜がどんな思いで、摩耶の命を絶ったのか。

それを推し量ることはできないが、迷いはなかったと信じている。


「―――慧」

「なんですか?」

「戻る気はないのか?」