3月27日 晴れ

今日私は、初めて父方の祖母に会う。
両親の海外転勤が決まって、今まで疎遠だった祖母の家に、1年お世話になる。

どういう人なのか楽しみだけど、厳しい人だったらどうしよう?
お父さんに聞いてみても、会えばわかる、の一点張りで―――


「あ、もうすぐ駅に着くみたい」


書きかけの日記をバッグに押し込み、音無 月野は車窓から見える景色に視線を移した。

緑豊かで、近くには海も見える。


両親の海外転勤の間、父方の祖母の元で、お世話になることになったが、正直、不安でいっぱいだ。

祖母に会うのは楽しみだけど、慣れない土地でうまくやれるだろうか?

あまり社交的ではないから、新しく友達を作れる自信もない。


「私もお父さん達について行けばよかったかな? でも、海外は怖いし・・・・・・」


慣れない土地でも、せめて言葉が通じる方がいい。




電車はゆっくり速度を落とし、駅に到着した。

降り立った駅は小さくて、どこか寂しい雰囲気がある。


「えっと、おばあちゃんの家は・・・・・・」


地図を送ってくれたのは嬉しいのだけど、この辺りの土地勘はないので、よくわからない。


「とりあえず、高台にあるみたいだけど」


見上げた先には、レトロな洋館。

山の緑と赤い屋根が、まるで物語に出てくるような、そんな印象を受けた。


「あれ、かな?」


自信はないけど、高台にあるし、一応、行ってみよう。

月野がそう決めた時、一瞬、妙な違和感を覚えた。


(何・・・・・・?)


形容しがたい感覚は、すぐに消えて無くなったけど、初めて感じたその感覚。


「・・・・・・」


なんだか、心臓がやけに早く脈打つ。


「何か探してるの?」

「っ!」


背後から急に聞こえた声に、月野は慌てて振り返る。



「あ・・・・・・」


年は20代後半で、浮かべる笑顔は優しげで、いい人そうに見える。


「どうかした?」

「い、いえ。大丈夫です」


いい人そうに見えるのに、なんだろう?

逃げ出したい気持ちが、沸き起こる。


「もしかして、道に迷ってる?」

「え?」

「ここら辺の子じゃないよね? 迷ってるなら、案内するよ」


いい人。

いい人なんだろうけど、素直に好意を受け取れないでいる。


(・・・・・・目が、笑ってない)


優しげな微笑みの中で、男性の目だけが、違和感を放つのがわかった。

笑っていないんだ、この人。


「大丈夫です。行き先はわかってるんで」

「ホントに?」

「は、はい。あの高台の家に―――!」


その瞬間、背筋に走った悪寒。

目の前の男性が一瞬、その表情を変えたのだ。


「あ、あの・・・・・・失礼します!」



頭を下げ、月野は全速力でその場を離れた。

よくわからないけど、あのまま、あそこに居ちゃいけない。

そんな気がした。


「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」


こんなにも走ったのは久しぶりで、3月だというのに、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

坂を一気に駆け上がり、今は高台へ続く階段の、ちょうど真ん中辺り。


月野は眼下を見下ろし、誰も見えないことに安堵の息を漏らした。


(なんか、顔は綺麗なのに、変な人だったな)


呼吸を落ち着け、月野は階段に腰を下ろす。

足が痛い。


「疲れた。ちょっと休憩して行こう」


荷物を先に送っておいて正解だった。

こんな階段を、重い荷物を持って上がるなんて。


「・・・・・・ふぅ」


呼吸も落ち着き、立ち上がろうとした時。


「―――おい」

「キャア!」



綺麗な悲鳴を上げて、月野は恐る恐る振り返る。

さっきの男の人がいたら、どうしよう?


「・・・・・・」


けれど、その心配は杞憂だったらしい。

振り返り見上げた先に立っていたのは、物語から飛び出してきたみたいに、綺麗で美しい青年だった。


黒く艶のある髪が風で揺れ、月野を捉える瞳もまた、深い闇を湛える黒。

滑らかな陶器のような肌と、すらりと伸びる手足。

思わず見入ってしまうその容姿に、月野は言葉を失っていた。


(さっきの人より・・・・・・ううん、比べるのが失礼なくらい、綺麗・・・・・・)


どのくらい見つめあっていたのかわからないが、青年が痺れを切らしたように口を開いた。


「音無 月野か?」

「声も良い・・・・・・あ、音無 月野です!」


我に返り、月野は慌てて立ち上がる。

背も高い青年は、懐中時計を取り出し、時間を確認する。



「聞いていた時間より早いな」

「えっと、早い電車に間に合ったので、それに乗って・・・・・・」


状況はいまいち掴めないが、この人は自分のことを知っているらしい。

青年は懐中時計を仕舞うと、月野を睨むように見た。


「そういうことは言ってもらわないと困る。迎えに行くのに、入れ違いになったらどうするんだ」

「・・・・・・え〜っと、私の迎えに来てくれたんですか?」

「あぁ。お前の祖母、音無 美鶴に頼まれてな」


ようやく知った名前を聞けて、月野は安堵する。

目の前の青年が誰かはわからないが、少なくとも、先程の男性よりも安心できるようだ。


「よかった。また変な人に会ったのかと思った」

「変な人?」

「いえ、いい人そうだったんですよ。案内してくれる、って言ってくれたし」


変な人って言うのは、失礼かもしれない。

本当にいい人だったのかもしれないし、逃げ出さなくてもよかったのだろうか?



今更、罪悪感が込み上げてきた。


(悪いことしたかも。もし、また会うことがあったら、謝らないと)


そんなことを考える月野の耳に、ふと苛立ちを含んだ舌打ちが聞こえてきた。


「チッ・・・・・・。早めに迎えに行くべきだった」

「あ、あの?」


何か気に障るようなことでもしただろうか?

目の前で舌打ちされたのは初めてで、対応に困る。


「いや、なんでもない。行くぞ」

「え? ちょ、待ってください!」


さっさと階段を上っていく青年を、月野は慌てて追いかけた。





「つ、疲れた・・・・・・」


休むことなく階段を駆け上がった月野は、先を歩く青年を恨めしげに見つめる。

歩調を緩めるどころか、気遣いの一言さえなかった。


(はぁ・・・・・・。と言うか、この人誰なんだろ? 私と年齢は同じくらいに見えるけど)



祖母が寄越した迎えだから、祖母の知り合い。

もしかして、親戚?


(う〜ん、わかんない。聞いてみればいいんだろうけど、なんか話しかけづらいし)


雰囲気があると言うか、人種が違うと言うか。

こう、見えない壁を感じるんだ。


「着いたぞ。ここが、“紅玉館”だ」

「紅玉館?」


確かに、赤い洋館だ。

壁は煉瓦張りで、近くで見ると、より一層、レトロだ。


「突っ立ってないで、入るぞ」

「あ、はい」


初対面なのに、随分と偉そう。

でも、案内してもらってる以上、下手なことは言えない。


「うわぁ・・・・・・」


屋敷に足を踏み入れれば、その内装に感嘆の息を漏らす。

外観以上に素晴らしく、時代を飛び越えたような気持ちになる。


「ほら、行くぞ」

「あ、待って!」


迷うことなく進む青年は、扉の前で立ち止まった。