その日は、朝から騒がしかった。

ゴールデンウイークも過ぎ去った後の日曜日。

椿は客間や外の掃除、キッチンで料理の仕度。

小野瀬もそれを手伝いながら、来客を待った。


月野も何か手伝おうとしたのだが、椿に、今日はなるべく部屋から出ないように、と言われた。


「私の親戚、ってことよね?」


日記を綴りながら、月野は窓の外を見た。

客間に飾るための薔薇を選ぶ、椿の姿が見える。


(花村さんは、無駄にプライドが高いって言ってたけど・・・・・・)


話さなくてもいいから、見てみたい気はする。


「月野、入るぞ」


ノックもせずに、十夜が部屋にやって来た。


「綾織くんは、会ったことある? その・・・・・・今日来る人達と」

「あぁ。あまり関わりたくはない人達だな。特に、梨瀬さんとは」


以前、月野が買った新刊を、十夜が返す。


「梨瀬さん?」

「お前の父親―――慧さんの妹だ」



初めて会ったのは、いつだったか。

例えるなら、蝶のように華やかで、プライドの高い女性だ。


「でも、ずっと部屋にいるのは・・・・・・」


アウトドア派じゃないけど、息が詰まる気がする。


「なら、俺と遊ぶか?」

「遊ぶ、って・・・・・・」


その表現はどうだろう。

まるで、子供に言っているみたいだ。


「冗談だ。暇潰しに、話くらい付き合う」

「話かぁ。じゃあ、質問してもいい?」


十夜が頷くと、月野はイスから下りて、床に座った。

十夜も床に座り、お互いが向かい合う。


「誕生日は?」

「そういう質問か・・・・・・。2月14日」

「バレンタイン?」

「あぁ。毎年、誕生日プレゼントにチョコレートがついて来るのは、嫌気がさす」


甘い香りは好きな方だが、甘いものは嫌い。

あの口の中に残る甘ったるい感じが、どうにも好きになれない。



「大変みたいね。じゃあ・・・・・・」

「お前の誕生日は?」


自分だけ答えるのは不公平だ。

十夜の言葉に、月野はそれもそうだ、と納得した。


「11月6日。私は、家族揃って食べる誕生日ケーキが好き」

「誕生日ケーキ、か。そんなの、10歳が最後だったな」


小さい頃から甘いものが嫌いだったから、親が見兼ねて、誕生日ケーキを翌年から用意しなくなった。


「じゃあ、趣味は?」

「特にないな。強いて言うなら・・・・・・音楽鑑賞か」


暇な時に、クラシック音楽を聞くことは多い。


十夜は自分のことを語ろうとしないから。

月野は他愛のない会話をしながら、十夜と笑い合っていた。










太陽が徐々に沈みかける頃。

月野は中庭でうずくまる女性を見つけた。


「大丈夫ですか?」


駆け寄ってみれば、とても美しい女性だった。

柔らかな髪と白い肌、大きな瞳。



ほのかに香るのは、香水だろうか?


月野が手を差し出すと、女性は一瞬、驚いたように目を見開いた。


「お兄様・・・・・・?」

「え?」


小声だったけれど、確かに聞こえた。


(お兄様? 私、女なんだけど・・・・・・)


そもそも、この女性と月野では、女性の方が年上だ。


「いいえ、ごめんなさい。見間違えたようね。・・・・・・あなた」


女性は立ち上がり、月野の姿をまじまじと見つめる。


「あなた、もしかして―――月野?」

「そうですけど・・・・・・」


どこかで会ったことがあるだろうか?

月野が首を傾げると、女性は目眩がしたのか、ふらついた。


「あ・・・・・・」

「触らないでっ。汚らわしい!」


差し延べた手を、たたき落とされた。

その衝撃が強すぎたのか、月野は石畳に尻餅をついてしまった。


「私の視界に入らないよう、気をつけてちょうだい」


女性は月野を睨みながら、中庭を出ていく。



たたき落とされた手が、ヒリヒリと痛む。


「大丈夫かい?」


目の前に差し出されたのは、男の人の手。

月野が顔を上げれば、中性的な男性が立っていた。


「あ、大丈夫です」


月野は男性の手を借りず、立ち上がる。

幼い頃から、母に言われてきた。

【人の手ばかり借りていては駄目。自分の足で立ちなさい】

母は、精神的なことを言っていたのだろうが。


「母が失礼なことをしたね。代わりに謝るよ」

「母?」

「さっきの女性だよ。僕の母で、君の叔母にあたるのかな」


では、先程の女性が梨瀬なのだろう。

十夜の言っていた通り、華やかで蝶のような人だった。


「僕は音無 静貴。君の従兄弟だよ、月野ちゃん」

「私の名前・・・・・・」

「今、君の存在は有名だよ。知らない者など、いないほどに」


それは、月野がダンピールだから。

俯く月野に、静貴が穏やかな声をかける。



「手は大丈夫? かなり大きな音がしていたし、痛むんじゃないかな?」


そう言って、静貴は月野の手を取った。


「あぁ、赤くなってる」


まるで、自分のことのように心配してくれる静貴に、月野は頬を赤らめてしまう。


「綺麗な白い手なのに。・・・・・・可哀相に」


―――チュッ。


赤くなった手の甲に、静貴が慣れた仕草でキスを落とす。


「な、何・・・・・・」


驚いた月野が、咄嗟に手を引っ込めた。


「あぁ、ごめんね。いきなりこんなことをしたら、驚くよね」

「い、いえ・・・・・・」


キスされた手の甲が熱くて、月野は戸惑う。

この人からは、今のところ恐怖は感じない。


「何日かはここに泊まるから、その間に是非とも、仲良くなりたいな」

「は、はぁ」


何と言えばいいのか。

優しいその笑顔と雰囲気に、たらしこまれそう。



「月野」


聞き慣れた声に名前を呼ばれて、月野は振り返る。


「やぁ、十夜くん。久しぶりだね」

「お久しぶりです」


静貴と義務的な握手を交わすと、十夜は月野の手を握る。


「失礼します」

「あぁ。月野ちゃん、いつでも部屋に遊びにおいで」


笑顔で手を振る静貴に、月野は小さく会釈を返した。





部屋に連れていかれ、月野は十夜が怒っているような気がして、声をかけれずにいた。


「手は大丈夫なのか」

「あ、うん。大丈夫」


もう痛みは引いている。

少し赤い気もするが、直に赤みも引くだろう。


「・・・・・・なら、いい」


十夜が部屋を出ていくと、月野はやっぱり怒っているのだと、うなだれた。





「十夜、暇なら洗い物手伝ってくれない?」


キッチンに入ったところで、椿に仕事を与えられてしまった。



無言で洗剤を手に取る十夜を、椿が不思議そうに見つめる。


「何、機嫌悪いわね? 月野ちゃんと喧嘩でもしたの?」

「そんなんじゃない」


喧嘩などしていない。

ただ、胸の中が得体の知れない感情で掻き混ぜられて、苛立たしいだけだ。


静貴はフェミニストだ。

手の甲にキスするのだって、彼からすれば特に騒ぎ立てる程のことでもない。


「部屋に戻る」

「ちょっと!」


洗い物の半分も終えぬまま、十夜はキッチンを出ていく。


「もうっ! こっちはただでさえ、あの傲慢我が儘女に苛立ってる、っていうのに!」


椿は割りそうな勢いで、溜まった洗い物を片付けていった。










美鶴の自室を訪れたのは、梨瀬とその弟―――伊織。

美鶴は寝間着姿で、ハーブティーを飲んでいた。


「椿、お前は下がって」

「・・・・・・失礼致します」


梨瀬の言葉に、一瞬だけ眉間に皺を寄せて、椿は部屋を出た。



「こんな時間に、何の用です?」


カップを置き、美鶴はふたりを見ずに問う。


「あの娘、ダンピールのことですわ、お母様」


美鶴に歩み寄り、梨瀬は怒りにも似た視線を向ける。


「あんな娘を屋敷に入れるなんて、気が知れません! お兄様は音無を捨てたというのに、その娘を呼ぶだなんて」


激昂する梨瀬を、美鶴は落ち着いた目で見つめ返す。


「お前には関係のないことです」

「私は嫌です! あの娘は、あの汚らしい人間の女の子ですよっ?」


梨瀬の綺麗な顔が、怒りと嫉妬で歪む。


「姉さんは、兄さんが大好きだからなぁ」

「伊織は黙っていなさい!」


怒鳴られて、伊織は肩を落とす。


「お母様。まさかとは思いますが、あの娘を当主にさせようなど、思っていませんわよね?」

「それはないわ。私が亡くなった後、あの子を慧の元へ送るよう、小野瀬達に指示している」