赤くなった手首を隠し、月野は笑顔を返す。


「・・・・・・」

「・・・・・・す、座る?」


ばつが悪いとでも言うのか。

そんな表情の十夜を、月野はベッドに座らせた。


「月野、隣に」

「あ、うん」


隣に座ると、十夜が月野の手を掴み、眉間に皺を寄せた。


「痛むか?」

「ちょっと・・・・・・」


縄で擦れて、皮が剥けている部分もあるが、我慢できない程じゃない。


「守るって言ったのにな」

「守ってくれたでしょ? 私、血吸われなかったし」


月野の言葉に、十夜は視線を逸らす。


「気にしないで。私、大丈夫だから」


十夜が悪いわけじゃない。

そう言っても、十夜は自分自身を許せないのだろう。


「綾織くん」


月野が、十夜の手を握り締める。


「私、綾織くんを怖いと思った」



血のように赤い目で、桜太の首を絞めた十夜。


「私を助けてくれたのに、怖いと思ったの」

「それが普通の反応だ」


手を離そうとする十夜を、月野は力いっぱい握り締めて、逃がさない。


「ヴァンパイアとか、そういうのは、まだ良くわからない。でも、綾織くんは綾織くんだもの」

「月野・・・・・・」

「助けてくれて、ありがとう」


そう、言わなきゃいけないのは、この一言。

怖いとか、そういうのは後回しだ。


「・・・・・・月野。あいつに、何もされなかったか?」


シャツを切られ、素肌を晒されたあの状況。

何かされたと考える方が、自然だ。


「何も・・・・・・あ」

「何かされたのか?」


言い淀む月野に、十夜が顔を近づける。


「えっと、その・・・・・・キス、された、かな」


視線を泳がせて、月野は自分の口元を隠す。



「キス?」

「まぁ、大したことじゃないよね」


傷も残らないし、うがいをたくさんしたから。


「キス、されたのか?」

「う、うん」


そんなに何度も聞かないで。

やっぱり女の子だし、初めてのキスがあんな形で終わったのは、ちょっと不本意だけど。

キスだけで済んだんだ。

それを喜ばないと。


「・・・・・・」

「・・・・・・月野」

「何? ―――あ」


顔を向けた瞬間、十夜と唇が重なっていた。

形の良い十夜の唇と、自分の唇が触れている。


「!!!」


驚きすぎて、声も出ない。

目も開けたままで、間近にある十夜の顔が、よく見える。

長い睫毛に、きめ細やかな肌。


「目、閉じて」

「ん・・・・・・」


言われるがまま、月野は目を閉じた。

十夜がぺろっと唇を軽く舐めるから、月野は驚いて口を開けてしまった。



(やだ、変な感じ・・・・・・)


口腔内に入って来る、十夜の舌。

ゾクリとした感覚が背筋を伝い、肌が震えた。


「ん・・・・・・んっ」


頬を赤らめて、月野の手が宙をさ迷う。

その手を、十夜が優しく握り締めた。


(なんだろう? 気持ち悪くなくて・・・・・・)


慣れないキスに戸惑う月野を気遣い、十夜は、時折息を吸わせながら、キスを繰り返した。


「・・・・・・はぁ」


唇を離すと、月野は焦点の定まらない目で、十夜を見つめた。

微かに潤む瞳が、艶っぽい。


「なんで・・・・・・」

「消毒だ」


消毒?

何の??


聞き返そうにも、なんだか頭がうまく働かない。


「月野、もう眠った方がいい」

「でも・・・・・・」

「眠るまで、傍にいてやるから」


ベッドに横たわらせ、十夜は月野の髪を撫でる。



手首の傷が痛々しくて、十夜はそっとキスを落とす。

ヴァンパイアなら、こんな傷、すぐに癒えるのに。


「・・・・・・」


小さな寝息が聞こえて、十夜は安堵の息をつく。


「月野、おやすみ。いい夢を」


彼女の唇にキスをして、十夜は立ち上がる。

紅茶の残るカップを手にして、部屋の明かりを消した。










キッチンにいた椿に、十夜はカップを渡す。


「月野ちゃんは?」

「眠った」

「そう。明日は、念のため学校を休ませるように、って美鶴様が」


カップを洗いながら、椿が告げる。


「わかった」

「それにしても、十夜があんなにも怒るの、初めて見たわ」


洗い物をすべて終えて、椿は濡れた手を拭く。


「俺にも、よくわからない」

「いいじゃない。お姫様を守る騎士みたいで、素敵よ?」



どこが素敵なのか、十夜には全然わからない。


「あの子供の処分は、どうなる?」

「本家が香堂だから、香堂側が判断するそうよ」

「そうか」


椿はエプロンを外し、結っていた髪を下ろす。


「そういえば十夜、あんた最近、血飲んでる?」

「・・・・・・いや」

「気をつけなさい。あんまり我慢し続けて、月野ちゃんを襲いでもしたら、笑えもしないわ」


椿の警告に、十夜は小さく頷く。


「あ、言い忘れてた。近々、集まるわよ。音無家が」

「いつだ?」

「5月頃とは聞いたけど、詳しい日程はまだよ。多分、月野ちゃん関係の話でしょ? あぁ、嫌だ」


椿はそう言いながら、キッチンを出ていった。


(音無家が集まる。月野に何もなければいいが・・・・・・)


十夜はキッチンの明かりを消して、自分の部屋へ戻ることにした。



―――ピピピッ


(朝? 起きなきゃ・・・・・・)


目覚まし時計の鳴る音が頭に響いて、月野はうっすらと目を開けた。


―――ピピ・・・・・・ッ


「・・・・・・?」


うるさかった目覚まし時計が、見つける前に静かになった。

月野は少しだけ頭を動かして、目覚まし時計がある場所を見た。


「綾織、くん?」


制服をきちんと着た十夜が、目覚まし時計のスイッチを切ったらしい。


「あ、学校・・・・・・」

「今日は休んでろ。美鶴さんも、そう言ってる」

「でも、具合が悪いわけじゃないし」


ずる休みは良くないと、体を起こそうとする月野。

そんな月野を、十夜が優しくベッドに横たえる。


「・・・・・・っ」


近くなる顔の距離に、月野は思わず顔を背けた。

昨夜のキスがありありと浮かんで、十夜の顔を直視できない。



「念のためだ」

「・・・・・・綾織くんは?」


顔が離れると、月野は視線を十夜へ戻した。


「俺は行くに決まってるだろ。ひとりで大丈夫か?」

「花村さん達もいるわ」


それに、病人というわけではない。

月野は見送ろうとしたが、十夜は寝てろと言って、部屋を出ていった。


(・・・・・・どうして、キス・・・・・・あぁ、ダメ!)


思い出すと、恥ずかしさで死んでしまいそう。

月野はベッドに潜り込み、思考を遮断することにした。










「十夜! あれ、月野ちゃんは?」


学校に着いたところで、十夜に明るい声をかける鷹斗。

その後ろには愛理もいて、十夜を見つけると笑顔で駆け寄った。


「まるで犬だな」

「うるさい。・・・・・・あの雑種は? 襲われた、って聞いたけど」



情報が行き交うのは早い。

十夜はため息を漏らしながら、教室に向かって歩き出す。


「念のため、今日は学校を休ませるよう、美鶴さんに言われてる」

「そう・・・・・・。怪我とか、したの?」


愛理の言葉に、鷹斗が楽しそうに笑っている。


「そんなに気になるなら、帰りにお見舞いに行こうぜ」

「鷹斗」

「いいだろ、別に。それに、月野ちゃんを襲ったのは、ガキとはいえ香堂に連なる者だ」


詳しく話さないにしても、月野の顔を見ておきたい。

鷹斗の真意に気づいたのか、十夜はそれ以上、何も言わなかった。





教師の教科書を読む声を聞きながら、十夜は空席の隣を見た。

本来なら、鷹斗や愛理と同じように、十夜も特進クラスにいるはずだった。

けれど、美鶴の配慮で月野は特進クラスではなく、普通のクラスに転入した。

それに伴い、十夜も今年は特進クラスではない。